暫く前に、沖縄の首里城が焼けた。沖縄には何回か行った事があったが、首里城は何故か一度も行った事がない。それは沖縄戦で悲惨な場所になった為か、あえて再建された人工的な場所だった為か?良く分からない。ただ毎日のニュースで、ここが琉球のシンボルだった事を改めて知り、関係者のショックを案じている。琉球は黒船の「ペリー提督日本遠征記」によると、「一片のゴミや塵も見ることなく、中国のあらゆる都市の汚さとは非常に異なっている」と書いてある。中国や朝鮮と違って、さぞかし当時から清潔な町だったようだ。
その首里城が落ちてから一か月が経った。火事は突然やってくるから防ぎようもない。昨今のカルフォルニアやオーストラリアの森林火災も悲惨だし、暫く前にはパリのノートルダム寺院の火事もあった。相次ぐ火災に、忘れていた自身の火事体験も思い出してしまった。あれは海外勤務を終え、明日帰国という朝だった。泊まっていたホテルに電話が鳴り、受話器を取ると日通の社員から「倉庫の荷物が全焼しました!」と言われた。一瞬何の事だか分からなかったが、後に放火によって倉庫が焼けた事が分かった。あっという間に全ての家財を失い、帰国して待てども暮らせど何も届かない現実を受け止める事が出来なかった。数カ月してやっと全てを失った実感が沸いた。
大事なモノが無くなると、あたかも自身の拠り所も無くなる気がする。ふと思ったのは中欧やソ連の属国だった。度重なる外敵の侵略で破壊が続くと、人心も萎えてしまうのか、他の国に置いて行かれる。ヒトの記憶はモノにリンクしているから、モノが無くなると人間は弱くなる気もする。かつて哲学者のサルトルも、「人は実存するモノを見て初めて自身の存在を確かめる」みたいな事を言っていた。今回の場合、子や孫の世代を考えると、不完全でも再建した方がいい。
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