Saturday, 30 November 2019

首里城の火事

暫く前に、沖縄の首里城が焼けた。沖縄には何回か行った事があったが、首里城は何故か一度も行った事がない。それは沖縄戦で悲惨な場所になった為か、あえて再建された人工的な場所だった為か?良く分からない。ただ毎日のニュースで、ここが琉球のシンボルだった事を改めて知り、関係者のショックを案じている。琉球は黒船の「ペリー提督日本遠征記」によると、「一片のゴミや塵も見ることなく、中国のあらゆる都市の汚さとは非常に異なっている」と書いてある。中国や朝鮮と違って、さぞかし当時から清潔な町だったようだ。

その首里城が落ちてから一か月が経った。火事は突然やってくるから防ぎようもない。昨今のカルフォルニアやオーストラリアの森林火災も悲惨だし、暫く前にはパリのノートルダム寺院の火事もあった。相次ぐ火災に、忘れていた自身の火事体験も思い出してしまった。あれは海外勤務を終え、明日帰国という朝だった。泊まっていたホテルに電話が鳴り、受話器を取ると日通の社員から「倉庫の荷物が全焼しました!」と言われた。一瞬何の事だか分からなかったが、後に放火によって倉庫が焼けた事が分かった。あっという間に全ての家財を失い、帰国して待てども暮らせど何も届かない現実を受け止める事が出来なかった。数カ月してやっと全てを失った実感が沸いた。

大事なモノが無くなると、あたかも自身の拠り所も無くなる気がする。ふと思ったのは中欧やソ連の属国だった。度重なる外敵の侵略で破壊が続くと、人心も萎えてしまうのか、他の国に置いて行かれる。ヒトの記憶はモノにリンクしているから、モノが無くなると人間は弱くなる気もする。かつて哲学者のサルトルも、「人は実存するモノを見て初めて自身の存在を確かめる」みたいな事を言っていた。今回の場合、子や孫の世代を考えると、不完全でも再建した方がいい。

Wednesday, 27 November 2019

バチカンとカネ

バチカンの教皇フランシスコ教皇が来日した。長崎、広島と廻り、東京では東京ドームで5万人のミサを行ったと報じられた。青年との集いでは、文京区の東京聖マリア大聖堂が使われた。丹下健三が建築したコンクリートむき出しの教会で、昔近くに住んでいた事もあり懐かしかった。建つ前は子供達が遊ぶ野球場だった。当時は遊び場がなくなり寂しかったが、その斬新な建物を見て将来は建築家になりたいと思った。特に教会の横に立っている鐘楼は、下から見ると捻ったカーブ状になっており、その奇抜なフォルムに魅かれた。

キリスト信者は世界の13億人もいると言う。6人に1人の割合だから大変な組織である。その最高指導者だから、信者が涙するのも分かる気がした。ただ核廃絶を祈る一方で、核を作り管理しているのもキリスト信者だから複雑だ。特にバチカンに纏わるマネーロンダリングや幼児虐待など、汚職の話は尽きない。カルビ事件ではマフィアも登場し、巨大なバチカンマネーの運用が明るみになった。

そのバチカンの闇を題材にしているのが、ダ・ビンチコードで有名なダン・ブラウン(Dan Brown)の作品である。良く身の安全が保たれていると心配になってしまうが、読む方は面白い。「天使と悪魔(Angels & Demons)」では、教皇選出のコンクラーベが出て来た。密室の儀式が開示され、次期教皇の座を狙う神父が本命を殺害し、自作自演で危機を演出する信じられないストーリーたった。フリーメイソンやイルミナティなど、謎に包まれた秘密結社も出て来るし、信者はこれを見て疑心暗鬼にならないのだろうか?と不思議になる。神聖な祈りの裏で、バチカンを支えるのはやはり巨大なカネである。1人1円集めても16億円、1000円なら1兆6000億円だ。今回も4日間の滞在でいくら集まったのだろうか?と、ついそっちの方が気になってしまう・・・。

Monday, 25 November 2019

ナポレオンの童貞

久しぶりにル・ポアン誌の「今日は何の日(C'est arrivé aujourd'hui)」を覗いてみた。日本のラジオ番組にも同じようなタイトルの番組があるが、流石フランスとなるとユニークで人間味が違う。例えば今日の11月25日は、1763年に有名な歌劇「マノンレスコー」の作者であるl'abbé Prévostが死んだ日であった。ただ彼は駆け付けた外科医に、まだ生きていたにも拘わらず、検視の為に腹部を切られた事が死因になった。マノンレスコーと言えば、男達を破滅させる悪女の物語である。ロマンチックな作品とは裏腹に、悲惨な最後だった。

また昨日の11月24日は、1971年にアメリカで飛行機の乗っ取り犯がジェット機からパラシュートで脱出した日とか、11月23日は、1829年にフランスで胴体が1つの双子が死んだ日という。関心を誘ったのは、11月22日は、1787年にナポレオンが18歳で童貞を失った日と言う。

場所はパリのパレ・ロワイヤルで、雨の降る寒い日に娼婦に捧げたという。パレ・ロワイヤルはオペラ通りの終点に位置する。昔から怪しげな場所で、鹿島茂の「娼婦の館」や「薩摩治郎八伝」にもこの手の話が出て来た。この建物の裏には大きな庭がある。ある時日本から来た人を案内して連れて行った事があった。庭の噴水の前で彼と写真を撮ろうと、近くに居た女性にシャッターを頼んだ。ところが言葉が通じなかったのだろうか?「いいわよ!」と彼女が噴水の前でポーズを決めて来た。「いやいや、そういう訳じゃなくて・・」と誤り、写真を撮って貰ったが、後から考えると、その誤解のままにしておいた方が良かったと反省した。ともあれここは、今でも出会いの場所の面影が残っている。

Saturday, 23 November 2019

ベルルスコーニの半生

シシリー島を旅したのが2011年だった。1週間かけて車で島を廻った。古代遺跡や古びた街並みに、凝縮されたイタリアがあってそれは楽しい旅だった。その頃イタリアは選挙の最中で、現職のベルルスコーニ首相の成就に注目が集まっていた。ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)氏といえば、汚職、麻薬、マネロンに加え、当時買春罪で起訴されていた。ただ旅先で地元の人に評判を聞いてみると、殆どの人が肯定的で、その人気振りに驚かされた。

そんな氏の半生を綴った映画「LORO(欲望のイタリア)」が公開されたので観に行った。自宅で披くブンガブンガパーティーなんて本当にあったのだろうか?まして現職の首相が未成年少女と関係を持つなんて?と思っていたが、それは本当だった。コンパニオン派遣会社が、調達した若い女性を大挙してサルべニア島の別荘に送り込んでいた。映画では沢尻エリカの逮捕で有名になった麻薬MDMAも登場し、そのエキスタシーの効用もたっぷりPRしていた。裸で踊り狂う前半の乱交パーティーは余りにハレンチで、見ていて気持ち悪くなった。

ただ最後は一転し、2008年に起きたラクイラ(L'Aquila)の地震のシーンで終わる。被災した人々を見舞い、その厳かな雰囲気は前半の狂乱を中和してくれた。崩壊した家屋に代わり仮設を用意した姿を見ていると、これって彼が起こした人工地震?とも思える流れだった。ベルルスコーニ氏は不動産で財を成した人である。カネの為なら何でもする辺りは、そう言えば同業のトランプ氏と似ていた。ともあれ、贅を極めたサルべニア島のヴィラを堪能できたし、アモーレのイタリア社会を垣間見えたり、あっという間の2時間半だった。

Friday, 22 November 2019

ジョン・ウェンの名画

名画は何度見ても飽きない。中でもジョン・ウェンの「黄色いリボン(She Wore A Yellow Ribbon)」は、往年の作品だが見る度に面白く感じる。映画は退役を間近にした騎兵隊の大尉の物語である。映画のタイトルにもなっている有名なテーマソングが勇ましく、騎兵隊とインディアンの対峙が西部劇の絵になっている。大尉は最後のパトロールを終え、部隊から退職の記念品を貰いカルフォルニアに向かう。しかし元部下が追ってきて、大統領から復職する命が下り中佐に昇進したと知る。一度は終わった人生がまた繋がる辺りは、サラリーマンなら誰しも理想とする件であった。

作品は部隊長の姪が、次期大尉の見合い相手としてやって来る処から始まる。相手の中尉の家柄は良さそうだし、二人はお似合いである。姪の教育の為に、危険なパトロールに同行させる辺りは、アメリカ社会でも昔は粋な計らいがあった。時代は南北戦争が終わり、カスター将軍の第七騎兵隊が全滅した頃だった。力を付ける騎兵隊と追い詰められるインディアンがそれを物語っている。

今から10年ほど前だったか、テキサス州を車で廻った事があった。州と言っても日本の面積と同じ広さなので、10日間で3000Kmも走った。都市から一歩出ると映画に出て来る荒野が続いた。ダラスフォートワースを始め、町の名前には「砦」を意味するFortが沢山残っていたり、中継点にポツンと佇む雑貨店やスペイン語メニューのレストランなど、今でも当時の面影が残っていた。映画でも、最後に「この騎兵隊がアメリカ陸軍になって行った」と言っていた。そんなテキサスを思い出すと、この映画がよりリアルになる。

Saturday, 16 November 2019

炎上する桜の会

内閣の「桜を見る会」が炎上している。桜を見る会には、安倍首相の後援会ではないが、とあるご縁で何回か呼んでもらった事があった。まだ開門前の新宿御苑を貸し切り、朝の清々しい空気の中、広大な芝生に映える八重桜は本当に美しい。参列者は議員の後援会の人が多いのだろうか?地元の先生を見つけては写真撮影の輪が出来る。各国の大使館員や武官が民族衣装や軍服に身を包み、国際色も豊かである。多くの人のお目当ては、芸能人の一角である。毎回その顔触れは代わるが、テレビで見るスター達が会に華を添えている。

今回の騒動の印象は、二階幹事長が「何が悪いの?」と言っていたが、その通りだと思っている。選挙で選ばれた時の政権が、関係者を招待するのは当然である。共産党が税金を使って飲食を提供すると言っていたが、量と数が限られているのだろうか、今まで一度もあり付いた事がない。そもそも早朝の7時台にお酒なんて飲む人はいない。呼ばれない人には不公平感もあるかも知れないが、こんなに注目されるまで話題にもならなかった。

その会である時、菅官房長官が立っていたので、一緒に写真を撮ってもらった事があった。最後は握手して別れたが、時の権力者と身近になると気分が高揚するものだ。つい口から「応援してます!」が出てしまった。「お国の為に命を捧げて頂けますか?」と言われて、「ハイ」と応えてしまうのはこういう事か?と思った。普段は雲の上の世界がグットと近くなる、まして桜は日本のシンボルだ。そんな行事だからこれからも続いて欲しいが・・・。

Tuesday, 12 November 2019

とんかつの食感

テレビ東京の「ニッポンに行きたい人応援団(Who Wants to Come to Japan)」は、中々面白い番組である。毎回、世界から柔道、剣道、味噌、寄木細工、手毬等々、日本の伝統文化に興味を持つ外国人を探して招待する。そうした人を世界から探し出すテレビ局も凄いし、番組として良く出来ている。つくづく世界には、日本人以上に日本文化を知っている人が多いのに驚く。それも一度も行った事の無い中で、見様見真似でかなりの技術を磨くから大変な事だ。今のネット社会の成せる業なのだろうか?それにしてもその情熱の源泉に、逆に日本文化の奥深さを教えられる。

先日は再放送だったが、とんかつ好きのスペイン人夫婦を招待していた。小川町のポンチ軒にカメラが入り、亭主の説明に熱心にメモを取っていた。見終わると急にとんかつが食べたくなり、翌日近くのとんかつ屋に飛び込んだ。日本食と言うと、寿司、天ぷら、最近ではラーメンがワールドスタンダートになっているが、次はとんかつではないか?と兼ねがね思っている。

とんかつの元祖は、カツレツ(Cutlet)やシュニッツェル(Schnizel)である。ただどちらも薄くて肉は硬い。肉の味よりソースの味が勝っている。その点、とんかつはフワッとした食感があり、肉そのものの味が伝わって来る。テレビでも紹介されていたが、その秘訣はパン粉と油の湯加減にあるようだ。ごはんとみそ汁との相性は抜群だし、やがて世界のグルメを遠巻きにする気がする。

Friday, 8 November 2019

ラグビーとボーア戦争

ワールドラグビー決勝は、事前の予想を覆して、南アフリカがイングランドに勝利した。表彰式では、銀メダルを授与された何人かのイングランド選手が、メダルを首から外した。イギリスにはGood loser という言葉がある位だから、あれは明らかにスポーツマンシップに反する行為だった。久々の決勝まで来て敗けた事が悔しかったのか、旧植民地に敗れた事が屈辱的だったのか、その辺はよく分からない。

思い出しのは、昔読んだジャン・モリス著「帝国の落日(Farewell the Trumpets)」である。イギリスの凋落を綴っている本だが、その発端はボーア戦争だったと書いてあった。ボーア戦争とは、1800年の後半に、南アフリカに入植したドイツ系のボーア人と、旧主国のイギリスの間で起きた戦争である。結果的にはイギリスが勝利したが、財政を大きく圧迫し、その後の第一次大戦へと疲弊の道を歩む事になった。著書ではそれを「大英帝国の終わりの始まり」と言っていた。

あれから140年、折しもイギリスは、EU離脱(BREXIT)の佳境に差し掛かっている。もしも離脱になれば、経済への影響も大きいだけでなく、スコットランドの独立など、益々国の形が小さくなる事にもなりかねない。ボーア戦争から続く凋落はまだまだ続いている!それを彷彿とさせる象徴的な出来事だった。

Thursday, 7 November 2019

韓国ユニクロのCM

暫く前に、韓国ユニクロのCMが没になる事件があった。13歳の孫が、98歳のお婆ちゃんに「How did you used to dress when you were my age? (私と同じ歳の頃に何を着ていたの?」と聞くと、「I can't remember that far back. (そんな昔の事は覚えていないわ)」と応える場面である。韓国で放映された字幕が、そんな昔を80年前と訳したため、慰安婦と重なったという。改めてそのCMを見てみたが全く普通の会話である。そういう捉え方をするんだ!と今更だが驚いた。

アメリカではグッチの黒人人形も問題になった。こちらは顔を半分隠した黒のセーターだったが、明らかにアフリカの土人をイメージしていた。昔なら、絵本の「ちびくろサンボ」が許されたのに、今では何でも差別になってしまう時代だ。こっちは仕方なかったかも知れないが、ユニクロの場合はちょっと事情が違う。

韓国人の一部は明らかに反日で生きている。おカネになると思えば何でもする人達である。今は慰安婦と徴用工で済んでいるが、これからも例えば氏名を奪った恥辱賠償とか、王制を奪った復古賠償とか、漢字からハングル化した文化賠償とか、考えればいくらでも材料はある。その辺は、百田尚樹氏が面白可笑しく解説していた「七奪の勘違い」を読むと、容易に想像出来る。それにしてもこれが永遠に続くかと思うと嫌になるが・・・。

Monday, 4 November 2019

香港と小説1984

デモが長期化する香港を見ていると、ジョージ・オーエル(George Orwell)の未来小説「1984」を思い出す人は多いだろう。「ビックブラザーが貴方を見ている(Big Brother is watching you)」という有名なフレーズは、独裁者(Big Brother)が常に市民を監視する社会である。香港のマスク禁止令は、正にモニターで顔を特定し管理しようとするシステムだから、それと被っている。

ビックブラザーのスローガンは、War is Peace(戦争は平和)、Freedom is Slavery(自由は隷属)、Ignorance is Strength(無知は力)の3つである。物語は西側(Oceania)、ソ連(Eurasia)、中国(Eastania)の3つの独裁国家が戦争している設定だから、今の世界と似ている。「戦争は平和」は、核の抑止力が軍事バランスを保つ意味なのか? 「自由は隷属」は政府に抵抗しなければ身の安全が保障される事だし、「無知は力」は情報が人心をコントロールするのを指している。特に最後の2つは、香港人が懸念するの今の事象と重なるから凄い先見であった。

オーエルがこの本を書いたのは戦後の1949年であった。初めて読んだのは60年代後半だったか?1984年なんてずっと先だと思っていたが、いつの間ににか遠い過去になってしまった。当時は原書で読んだが、英語力もなく筋が追えなかった記憶がある。ただ先のIgnoranceの意味を「無視」と誤って解釈し、当時は「無視は力」と思っていた。反抗期だった事もあり、そのフレーズのインパクトは大きく、社会への抵抗力になった。オーエルというと、「パリ・ロンドン放浪記」がとても面白い。下町の貧しい人々の生活がペーソスを交えて良く書かれている。「1984」はそんなヒューマンタッチな本とは随分と異なる。最近改めて原書を読み返してみたが、古典だけあって相変わらず英語は難解だ。

Friday, 1 November 2019

香は人を支配する

犬の散歩をしていると色々な人に出会う。先日は犬好きのおばさん二人組がやってきて、「この犬の匂いが好きなのよ!」と言う。どうやら彼らも犬を飼っているようで、本来は臭い動物臭が生活臭の一部になっているようだった。かと思えば不評を買うこともある。

暫く前に、テニス仲間4人でゴルフに行った時だった。車を出してくれないか?と頼まれたので、3人を乗せることになった。普段は犬を乗せているので、前日消臭剤を撒いて掃除したが匂いは消し切れない。当日、開口一番で「臭くてすみません」と言うと、「全然匂わないよ!」と言ってくれたのでホッとした。ただ一人、中年の女性だけは、無言で反応がなかった。それから数日経ってその女性に会った時、「あの時は臭い車ですみませんでした」と改めて反応を探ると、「・・・・・・」と又無言になってしまった。多分この人とは、二度と一緒に行く事はないと悟った。

斯くして、臭いは人を幸福にもするし不幸にもする。有名なパトリック・ジェースキントの小説「香水、ある人殺しの物語(原題 Das Parfum)」は、香が人を支配する事を教えてくれる。主人公のグルヌイユ(フランス語で蛙の意味)は、無類の臭覚を持つ男である。彼はある晩、今まで嗅いだことのない甘い匂いに思わず外に飛び出す。その香りの元を追うとそこには少女がいて、挙句の果て殺人を犯してしまう。暫くして彼は捕らえられるが、処刑される寸前に、その少女の香りをアレンジした香水をばらまくと、群衆はその香りに酔いしれて彼を許してしまう、という物語である。鼻がいいフランス人を理解する上でも格別の一冊と言われ、昔読んだ記憶がある。