Sunday, 29 September 2019

魔法の焼かん

日本とアイルランドのラグビー戦を倶楽部で観戦した。横に居て解説したのは、元国学院久我山のバックスだったKさんだ。「それはノックオン、あれはスローフォワード」と教えてくれた。退場して交代する選手が出ると、「昔は交代なんてなかったよ!」と言う時代だった。気絶して倒れていると、「当時はおいK!お前立てるか?」と心配されるどこか駒が無くなる方が問題だった。

そう言えば、そんな時代に「魔法の焼かん」があった。脳震盪で意識を失った選手が出ると、補欠の部員が飛んで行って、焼かんに入った水をぶっかける。そうすると、倒れた選手はやおら目を覚ますのであった。今から考えれば昭和の産物だった。ただ最近は医者がチェックするようで、今日の豪州vsウェールズ戦でもレフリーが一端選手を外に出すルールに代わっていた。かつては大学のエースだった人も半身不随になったり、自身も高校時代に入部直前のラグビー部で頭を割った生徒がいた。そんな事件が無ければその時ラグビー部に入って、その後の人生も随分と変わっていたかも知れない?そう思うと複雑な思いが過る。

そのアイルランド戦だが、周囲の予想に反して日本は大金星を挙げた。主将の田村選手が「誰もが勝てないと思っていたが、我々だけは勝利を信じていた!」と試合後のインタビューで語っていた。その言葉を聞いて恥ずかしくなった。何より桜のジャージがトライすると、血が騒ぎ涙腺が緩んだのは他でもない。昨日までの傭兵とか外人部隊とか言っていたのが様変わりした。

Friday, 27 September 2019

傭兵のラグビー

ラグビーのワールドカップ2019が始まった。日本は初戦のロシア戦で勝利し、幸先のいいスタートを切った。それにしても、欧州で行われるワールドカップが日本で披かれるなんて夢のようだ。テレビでは発起人だった故奥大使の功績を振り返っている。あの人の熱意が人を動かし開催に漕ぎつけたと聞き、改めて意思の力を感じた。

そのラグビーだが、昔は良く関東学生ラグビーを観に行った。母校の選手がトライすると、胸に熱いものが込み上げて涙腺が緩んだ。ただ先の日本戦もそうだが、最近はちっともそんな感情が沸いて来ない。何故だろうと思って知人に話すと、外人が多いせいじゃないか?という。確かに日本チームの半分は横文字の名前だ。ヘッドコーチはNZ人、トライを決めた松島やラブスカフン選手は南ア、人数を数えるとトンガとNZが共に5人づついる。言わば傭兵で構成される外人部隊である。

それは日本チームだけかと思っていたら、昨日のイングランドとアメリカ戦を見ていると、ビッグジョーと呼ばれるイングランドのWTBの選手はフィージー出身、アメリカのランケ選手もNZ出身、ヘッドコーチのエディー・ジョーンズからしてオーストラリア人だったり、今や世界の潮流のようだ。世界最高峰のラグビーを見るのは楽しいが、傭兵同志の戦いと思うと、今一つ気持ちが高まらない。

Wednesday, 25 September 2019

サイレントワード

テニス仲間のHさんが亡くなった。お別れ会の教会に行くと沢山の人が来ていた。ピアノとヴァイオリンの奏でる中、牧師さんの話が終わると子供達が代わる代わる挨拶に立った。父の仕事、結婚、老後の生活など思い出話を聞くうちに、知られざるHさんの一面が浮かび上がって来た。奥さんから、亡くなる前の日に家族を呼んで感謝の言葉を伝えた話を披露した。慰霊の写真も自撮りして用意し、最後を全うしたというから驚いた。

式の最後に、讃美歌の「また会う日まで・・・」を合唱した。どこかで聞いたメロディーに、不思議と本当にまた何処かで会えるような気持ちになり楽になった。兎角お葬式と言うと儀礼的に成りがちだ。列を成してお焼香が済むと、お清めと称してアルコールが待っている。参列者で知り合いが居ようものなら、いつの間にか故人を差し置いてよもやま話になってしまう。その点こうしたキリスト教の会は、本当のお別れの会だから心が温める。

挨拶に立った次男が、「就職を控えた頃、父に自分は社会の歯車になりたくない!みたいな事を云うと、父は黙って聞いていた。今から思えば、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう?」と後悔している話をした。数ある思い出の中からそんな些細な、それでいて父の胸に寄り添おうとする姿はとても自然で聞いていて打たれた。語らなかったことが一番の記憶に残るとは、正にサイレントワード(Silent word)なのだろう。人は故人に対して後悔と罪意識を持つものだ。何かとても分かるような気がした。

Sunday, 22 September 2019

綺麗な英語

韓国がカン・ジョンファなら、日本では強ち川口順子さんだろう。経済官僚からスタートし、外務大臣や初代の環境大臣を務めた方だが、流ちょうな英語は定評があった。ボンで拓かれたCOP(気候変動枠組条約)の会議に参加した時だったか、多くの観衆を前に綺麗な英語でスピーチしている姿は誇らしかった。そう思った人は多く、当時は隠れファンクラブが出来る程だった。

流暢と言えば、経団連会長の中西さんの英語も凄かった。日立のアメリカ時代に培ったのだろうか?豊かな語彙とユーモアを織り交ぜ、シンポジウムを取り仕切る力は正に経済界のリーダーである。かと思えば、キャリア官僚から政府機関のトップに君臨するTさんの英語は酷かった。ある国際会議のパネラーで話していたのを聞いたが、モグモグと何を言っているのか分からない。著名な人だっただけに、こんな人が日本を代表しているかと思うと情けなくなった。

兎角日本人はバイ(2者)には強いが、マルチ(複数)になると駄目だと言われる。多分それは文化の違いで、スピーチの習慣がなかったリ、単一民族は以心伝心が効くから沈黙は金になってしまう。こればかりは如何ともし難いが、最近では色々な血が混じるようになってきたので、コミュニケーションの仕方も変わって行く。英語は益々大事になっていく、取り分け綺麗な言い回しは人の心を打つから、磨きをかけないと。

Friday, 20 September 2019

カン・ジョンファの英語

韓国の外相、カン・ジョンファのBBCインタビューが話題になっている。BBCのインタビュアーが、「何で今頃になって戦時中の話を持ち出すのか?」とか、日本の輸出規制を受けて、「何で福島の汚染を取り上げるのか?」と問い掛けると、相変わらず個人の請求権は消滅していないとか、訳の分からない答弁を繰り返してる。ただその内容は兎も角、彼女の英語が聴き易いので、やけに説得力がある雰囲気を醸し出している。多分事情を知らない第三者が聞くと、その力みのない受け答えに、そうかなと思ってしまう内容である。聞いていた仲間の一人から、「彼女を日本の外相にヘッドハントしたらどうかな!」みたいな冗談も飛び出した。

確かに河野外相の英語も、日本人の中では上手い方だと思う。抑揚とイントネーションは素晴らしく、アメリカ人記者の質問にも的確に応えていたのは頼もしい限りである。ただ話す言葉はどちらかと言うと文語体で、専門用語を羅列した固さは、原稿を聴いている感じがする。カン・ジョンファと違うのは、ちょっとしたネイティブの言い回しに欠せない繋ぎのフレーズがないことだ。間(ま)がないと、人としての温もりも伝わり難い。

やはり英語が上手いと得する。最近では英語が当たり前の時代になっているが、相変わらず耳触りのいい英語を話せる日本人は本当に少ない。外交官ですら彼らの話す英語に、「俺たちと殆ど変わらないじゃない?」のレベルでガッカリする。ただ翻訳を介さないで生の声を聞くと、人と人の距離が近くなり新たな感情も生まれる。特に美しい英語なら猶更だから、もっと頑張らなくては・・・。

Monday, 16 September 2019

オリンピック選考レース

昨日のオリンピック代表選考を兼ねるマラソンは、一発勝負の緊張感があって面白かった。最初から勝負に出た設楽選手は37Km辺りで追い付かれたが、果敢な挑戦で快かった。それに比べ、日本記録保持者の大迫選手は、最後まで勝負を手控えていたような気がした。いつスパートするのか?心配している内に置いて行かれた。結果、日本記録を出したことのない2人が代表に内定した事に、周囲は少し戸惑っている。

記録保持者だと兎角期待も膨らむが、実はマラソンの場合あまり過去のタイムは参考にならないようだ。調べてみると、世界記録保持者がオリンピックで優勝した例は過去に1件だけ、あの日本統治時代のベルリンオリンピックで優勝した孫選手だけであった。その逆、つまりオリンピック優勝者がその後世界記録を出したのも1件だけ、今の世界記録保持者であるケニアのキプチョゲ選手である。だから仮に大迫選手が選ばれても、過度な期待は禁物と言う事になる。尤も今や2時間1分台で走る高速マラソン時代、誰が代表になっても入賞すら難しいのだが・・・。

ところで、先の東京オリンピックのマラソンでは、円谷選手と英国のヒートリー選手のデットヒートが記憶に新しい。円谷選手は最後で抜かれた屈辱から、自ら命を絶つ悲劇が本当に痛ましかった。トラックで抜いたヒートリー選手は、直前に世界記録を出した実力者だった。余談だが、その後英国を取材していた日本の新聞記者が、車内で英国人女性から「あなたは日本人ですか?」と声を掛かられた。その女性はヒートリー選手の娘さんで、当時を気遣ってくれるエピソードに日本国民は癒された。そのヒートリーさんも亡くなり、アベベも若くして交通事故で逝った。昨日のような話だが、また新しいドラマが始まろうとしてる。

Thursday, 12 September 2019

煙草を吸う女

馬齢も重ねたので、そろそろ本音を語ってもいい歳だろう。実は昔から嫌いなものが3つあった。その第一が電信柱である。電信柱は電気を送ってくれので有難いが、家の上を電線で張り巡らせるから空を奪われる気がする。どうして今どき地中化が出来ないのだろう?住宅街は元より、商店街は電線が建物を覆っている光景が日常化している。もしも電線が取り除かれれば、姿はむき出しになるから自分の家を綺麗にしようとするものだ。電柱が今日まで残って来たのは、偏に電柱を作る電力ファミリー会社の維持のためである。いみじくも先日の台風で停電が続く千葉県、あれから4日も経ったのに未だに30万世帯に電気が届かないという。その原因は電信柱の復旧が出来ないから言うから、今更とんでもない話である。地中化の話は昔からあったし、それを無視したのは電力会社の責任は大きい。原子力だけでなく、電力会社にやるべき事はまだまだ沢山あるのだ。

2番目はタバコである。今までレストランやバーでタバコの煙に我慢してきた。最近でこそ、オリンピックを控えて東京都が禁煙対策に乗り出し、それはとてもいい事だし、一方で喫煙率も今では確か20%を切ったと言うから風は正にフォローである。そのせいか、以前は路上で吸っている人を注意すると「何でだ?」と怪訝な顔をされたが、最近では歩きタバコの人も少なくなり、人々が時代の変化に敏感になっている事が分かる。永年路上の捨て煙草を、「何でこの俺が?!」との思いで掃除してきた者の怨念が、今になってやっと天に通じて来た。

3番目は、その煙草を吸う女である。煙草を吸う女はどこか擦れて曲がっている!煙草で何とかバランスを取らざるを得ない!女には何か辛い過去があった事は容易に想像できる。ただそんな同情を通り越し、子供を身籠る属性から到底許せる事でない。女性と言うと兎角、香水の香りとミルクが漂う柔らかいイメージがあるが、煙草の臭いを嗅ぐと突如真逆な人になってしまう。以前、松たかこという女優がタバコを吸っていると暴露されてから、彼女のイメージは一変した。況やヤマザキパンは食べる気がしなくなった。女性の社会進出はいい事だが、働くがあまりストレスが高じて煙草に手を出す女性が多い。男女均等もいいが、子供を置いて外でタバコを吹かす姿に明日があるとは思えない。

Monday, 9 September 2019

三たびの海峡

帚木蓬生の「三たびの海峡」をDVDで見てみた。三国連太郎や南野陽子など、多くの日本人俳優が朝鮮人を演じていた。物語は戦時中に三池炭鉱に連れて来られた朝鮮人の男が、人生の末期に戻って来る話である。見ていてピンハネした所長は確かに悪い奴だったが、彼らが強制的に連れて来られた訳でなく、募集に応じて来日した様子が伺えた。戦争が終わり役場に行くと、ちゃんと恩給も支給されていた。

三池炭鉱だけでなく、戦時中に朝鮮人が働いた場所の一つに足尾銅山もある。今では廃坑になっているが、トロッコに乗って坑内に入ると(人形だが)裸の男達が当時を彷彿とさせてくれる。山の上に一軒ある国民宿舎に泊まり、翌日山を下るとさり気なく墓が建っていた。立派な中国人の墓に比べ、供養する人が居ないのか?朝鮮人のそれはとても粗末だった。南方から半ズボン姿で働いていたオーストラリア人の墓はなかった。

日本が終戦末期、皇族と共に遷都を計画した松代の大本営がある。長野の山奥に、しかも地下要塞の発想が常軌を逸していたが、当時は本気だったのだろう。ここで働いていたのが3000人の日本人と7000人の朝鮮人だった。山の反対には慰安所もあって女性も住んでいたようだ。金も支払われ、労働環境も良かったようだ。朝鮮人労働者というと、兎角連行されたイメージがあるが、多くは日本人と同じに扱われた姿が見えてくる。

Saturday, 7 September 2019

ジンバブエの少女

ジンバブエのムカベ元大統領が死去した。暫く前から若い奥さんが病床にある氏に代わり、政府に対抗していたニュースが流れていたがどうなったのだろう?独裁者としてあまり評判は良くなかったようだし、それにしてもアフリカ人で95歳は長寿だった。

アフリカにすら行った事がないので、況やジンバブエがどこにあるかも知らない。ただ今から30年ほど前だったか、フォスタープランの支援を行った時だった。毎月3000円をアフリカに支援するプログラムに申し込むと、暫くして事務所から手紙が来た。それには「貴方の子供が決まりました。ジンバブエに住む15歳の少女で、名前はXXです。両親は離婚しているので、お金は学費に使います」と書かれていた。写真も同封されていて、市場に立つ少女が写っていた。支援は2~3年程続けたが、いつの間にか止めてしまった。その子がどうしているか?、本当にお金が届いたのか?今では何も分からない。

そんな思い付きのような支援とは違って、直に貢献している人に会うと頭が下がる。以前日仏会館で出会った若い女性は、ブルギナファソの病院で働いていた写真を見せてくれた。牛の糞で出来たみすぼらしい小屋に住み、現地の治療に当る姿は逞しかった。今回のアフリカ会議で、日本の目玉になったケニアの地熱発電所もそうだ。辺りはキリンが歩く原野、唯一の楽しみは首都のナイロビへの買い出しで、車で半日も掛かる距離を日本食を求めてやって来る。アフリカに関わるには、やはり若い頃から始めないと難しい気がする。

Monday, 2 September 2019

無名の頃の獺祭

最近、久々に獺祭を飲んでみた。やはり旨い!少々高いが、相変わらず何とも言えないコクと品がある酒である。その獺祭だが、今でこそ有名になって中々手に入らない噂も聞くが、無名の時代もあった。

始めて獺祭を知ったのは、新橋駅前ビルの地下にあるNという居酒屋である。今から20年ほど前になるか、取引先の人に連れて行ってもらった。居酒屋といってもツマミは殆どなく、ただ竹筒に冷やした酒だけを嗜む、素朴な店だった。置いてある酒は、獺祭の他、竜馬が愛した五橋など山口県の4銘柄に限っていた。酒好きの主人が選び抜いたと自慢していた。獺祭と言う珍しい名前の由来を聞くと、ラッコに似た動物だという。山口県人会の溜まり場にもなっているらしく、安倍3兄弟が立ち寄った写真がさり気なく飾ってあった。

それから暫くして、獺祭は突然有名になった。醸造アルコールを使わない品質管理の賜物というが、素人には良く分からない。旨いものは旨い!ところがある時そのNに行くと、もはや獺祭は置いていなかった。何やら有名になり過ぎて、手に入らなくなったという。主人の寂しそうな顔もそうだが、店も心持ち人気がなかったのが気になった。アンテナ店みたいな老舗だったので、何とかならなかったのだろうか?最近は明日の獺祭を探している。気になっているのは、須坂市の遠藤酒造である。信州の酒の評判は今一だが、ここの酒は値段の割に旨い。有名になって飲めなくな前に楽しんでいる。