Friday, 30 August 2019

貢物が少ない国

毎日話題に事欠かないお隣の韓国、そろそろいつもの自壊が始まって来た気もする。河野外相がいみじくも「歴史は書き換えられない」と言っていたが、現実を無視した願望が大き過ぎて、又辻褄が合わなくなるサイクルに入ってきた。そんな文という大統領に付けたニックネームはサリーである。名前の由来は、2018年5月18日付けのブログ「第二のサリー」に書いた。こんな人をトップに頂く風土こそが韓国なのかも知れない。

それにしても朝鮮は興味が尽きない国だ。最近読んだ黒川博行著「国境」は長編だが面白い本だった。あらすじは金を持って北朝鮮に逃げた男を、日本のヤクザが追い掛ける話である。ヤクザは中国国境から北に密航する。どうしてこんな小説が書けるのか?と思える程現地に精通している。ストーリーも沙流事ながら、北の国民には51の階級がある事や、階層が核心(トマト層)、動揺(リンゴ層)、敵対(ブドウ層)の3つに分類されて管理されている事、不純分子は7万人で内6千人が処刑されていることなど、良く調べていた。

昔読んだ、帚木蓬生著「三たびの海峡」も凄い小説だった。戦時中に日本に働きに来た男が、戦後に又行き来する物語である。歴史に翻弄されながら生きる姿に、ボクシングの山根会長を思い出した。百田尚樹氏が、「朝鮮」の名前の由来は「貢物が少ない」という意味だと書いていた。つまり清国の属国だった頃に付けられた名残りである。今から思えば、戦後に台湾のように中国に戻しておけば良かったのかも知れない。そうすればホワイト国やGSOMIAもなかったし、何より統治時代のノスタルジーが残ったかも知れない。

Monday, 26 August 2019

G7のビアリッツ

G7がフランスのビアリッツ(Biarritz)で披かれている。トランプ大統領が開催意義を懸念し、共同声明は出さない異例の会議になっている。確かにちょっと前にはG20が披かれたばかりだし、形骸化しているのかも知れない。それにしても今回の開催場所のビアリッツ、今頃さぞかし綺麗だろうな!と旅に思いを馳せた。

ビアリッツはフランスのバスク(Basque)地方の都市である。バスクはスペインとフランスを跨ぐ歪な地方である。その地理的な特殊性から昔から独立の機運が高く、パリなどの都市でも爆破テロが頻繁している。バスク地方の北は、あの三銃士で有名なガスコーニュ(Gascogne)地方である。ボルドーやコニャック、アルマニャックなど、ワインやブランディーの産地でとてもフランス的な地域だ。それに比べてバスク地方は内陸に行くと緑が少なく、スペイン的な感じがする。海岸線も、ビアリッツからスペインのサン・セバスチャンに続く辺りは砂浜が多く、山が切り込んで石ころばかりのコートダジュールや、湿度の高いコスタデルソールとは趣が大分異なる。カラッとした大西洋の強い日差しに、黒っぽく歴史を感じさせる石の街並みが映えている。この時期ビーチの女性は殆どトップレスで、それがまた田舎ぽくていい。

内陸に入ると、スペインとの国境のピレネー山脈に出る。車を置き、ロバの馬車で揺られる事30分で、氷河を湛えた絶壁の麓に出る。あのナポレオンのピレネー越えに思いを馳せ、さぞかし難所だったと想像する。ピレネーから更に東に行くと、巡礼の聖地ルルド(Lourdes)の町がある。猛暑のこの時期、世界からの巡礼者が奇跡の泉を求めてやって来る。暑さでよくも倒れないかの心配を余所に、黙々と行進する姿は信仰の深さから来るものなのか?ここまで来るとまたフランス的になる。

Sunday, 25 August 2019

横浜のカジノ誘致

横浜市がカジノ誘致を表明した。東京に近い場所だから、観光客が集まり市の財政は潤うかもしれない。一方、ギャンブル依存症と治安悪化などが心配だという声が多いが、賭博とはちょっと違う気がするし、だったらパチンコと何が違うという議論になってしまう。ただラスベガスやマカオのように、然したる産業も無い場所なら兎も角、あえて大都市の一角にしかも大規模カジノを作るのもどうかと?正直どっちがいいのか分からない。

ギャンブルは苦手だが、あちこちのカジノを覗いてみた。古くはラスベガスやシンガポール、巨大な空間にスロットマシーンが並ぶ光景は圧巻であった。これならおカネがいくらあっても足りなくなるのは容易に想像出来る。一方こじんまりした雰囲気なのが、ロンドンやフランスの高級避暑地ドーヴィルである。こちらは正装した大人がお酒を嗜みながら集う社交場であった。バルト海の都市にもカジノが多い。全体的に暗くうらぶれていて、暖房が効いているから冬の暖を求めて屯う人が目に付いた。先日訪れたオーストラリアのゴルフ倶楽部やホテルにも、必ずスロットマシーンが置かれていた。昼からゴルフもしないで賭け事に励む姿に違和感があったが、倶楽部ライフの一環のようだった。一口にカジノと言っても、色々な形がある。

カジノにはルーレットがある。その必勝法はディーラーの癖を知る事と言われている。横にある電光掲示板には過去の当り番号が表示されるので、暫く見ている内にその傾向に気付く。しかしそれは錯覚で、素人が始めると傾向も変る仕組みにもなっている。確実なのは、そのディーラーと懇意になることだと言われる。彼を休みの日に接待したり、贈り物を届けたりすると便宜を図ってくれるらしい。尤も最近はデジタル式が増えたので、そんな余地はないのかも知れない。ともあれ、カジノが出来れば新たな人間模様も生まれる。横浜はどうなるのだろう?

Friday, 23 August 2019

孤高の人

テレビを見ていると剣岳が出て来た。雄大な北アルプスの景色を見ている内に、そう言えば昔は良く新田次郎の山岳小説に憧れ、夏山に登ったものだ!そんな日々を思い出した。

あれは確か空木岳を目指した中央アルプスの縦走だったか、それは暑い日だった。千畳敷カールから木曽駒を経て宝剣に着いた。険しい尾根を登り切り、山頂で一休みし、その日に泊まる木曽殿山荘を目指した。ところが三ノ沢分岐を過ぎ熊沢岳に差し掛かる頃、水筒の水が底を付いてしまった。喉が渇くが、行き交う登山者も疎らで困り果てた。何を思ったか、バックの中にその晩飲む日本酒がある事を思い出した。禁じ手とは知りつつ、ついそれに手が出てしてしまった。当たり前だが足は重たくなるし、余計喉が渇き、危うく遭難の二文字が頭を過った。幸い何とか山小屋に辿り着き、大事には至らなかったが怖い思いだった。

その縦走では下山の時に、足を滑らし滑落もした。怪我はしなかったが、急勾配の谷から脱出するのが大変で、一人取り残される恐怖を味わった。当時の登山は殆ど単独行であった。それは新田次郎の小説「孤高の人」と関係がある。本では加藤文太郎という健脚の登山家が、最後は遭難して亡くなってしまう。それは普段は単独行を専門としていた彼が、ある時同僚を連れて登山すると彼を気遣う余り、いつものペースが乱されてしまったのである。いつもそれが頭にあったが、今から考えれば自身は文太郎ではないし、真似する事もなかった。

Wednesday, 21 August 2019

プロは汗かかない

全英オープンで優勝した渋野選手を一目見ようと、軽井沢72で披かれた大会に行ってみた。猛暑の中、2日目だったが物凄いギャラリーが詰めかけていた。殆どは中年の男性で、周到に椅子と食べ物を準備した熱烈なファンだった。そのせいかマナーがいいのに驚いた。声を出す人はいないし、勿論写真も撮らない。

渋野選手と一緒に廻ったのは、同じ世代の原英莉花と笠りつ子だった。原選手はスラっとしたスタイルで華があった。一方笠選手はクラブのママさんみたいな雰囲気で、親衛隊らしきおじさんグループが付いていた。初めて直に見るプロに、改めてショットの正確さに感心した。グリーンを捕えるボールはあわやオーバーするかと思いきや、スピンが掛かってピタッと止まる。それも3人が3人ともピンから5m以内に乗るから流石だ。またドラーバーが真っ直ぐ飛ぶ。スライスして森の中に入る事もないし、当たり前だがチョロもない。

試合は最終日の最終ホールで渋野選手が3パットし、優勝は成らなかった。それでも十分楽しめた。テレビで見ているより、直に見る女子選手はとても小さかった。ファッションのセンスがなかったり足が太くて短いと、女子選手はハンディーを負う事や、暑いのに誰一人大汗をかかないから化粧落ちも無い事も分かった。ただダラダラと歩き続けると結構疲れるものだ。半日で早々に引き揚げた。

Friday, 16 August 2019

金ブームと投資

米中の貿易摩擦を受け、金の価格が上昇している。1グラム5572円の高値を付け、ここぞとネックレスを売る人が多い一方、有事の金を買う動きも出ている。思い出すのは70年代後半の金ブームである。オイルショックやソ連のアフガン侵攻で、金の価格が空前の高騰をした。会社に入って間もない頃、人から勧められて金のドル平均法で毎月投資を始めてみた。ところがその後、金価格は下がり続け、トントンに戻ったのは30年後の2011年であった。

金に限らないが、外国物の投資には為替が大きく影響する。金の場合、その30年間にドルベースでは最高で9倍上がったが、円ベースでは精々2倍ちょっとだった。購買平価が為替で調整されてしまうので、中々うま味が取れない仕組みになっている。これは日本の宿命かも知れないが、如何せんどうしようもない。

2011年は、ギリシャに端を発したユーロ危機が原因で上がった。今回も世界貿易の滞りを危惧したドル危機になるのだろうか?ただアメリカも選挙があるから、そんな馬鹿な事にはならない気がする。況や日本人は、南米やアフリカと違って金銀を身に着け、いざという時に備える必要も無い。所詮持っていても大して上がらないなら、無理して買うモノではない。失敗の教訓がそれを語っている。

Thursday, 15 August 2019

マフィアの報復

最近、やたらに煽り運転が話題になる。ドライブレコーダーのお蔭で、証拠が残る事も一因かも知れないが、それにしても見知らぬ車に怖い思いをさせられ、挙句は殴られるなんて、何とも理不尽である。そんな時は、相手のナンバーをメモして住まいを割り出し、後日手下を連れて訪れる。「いつぞやの方でしょうか?今日はお礼に来ました!」、さり気なく確かめて後は手下に任せてその場を去る・・・なんて事が出来たら痛快だろう!
ところがそれを実践した人がいた。「ゴッドファーザーの血」の著者マリオ・ルチアーノ氏である。彼はイタリア人であの有名なマフィア、ラッキー・ルチアーノ(Lucky Luciano)の甥に当る人である。波乱万丈の人生で、シシリー島からアメリカ、フィリッピンに渡り、今は日本で過ごしている。マフィアの血を引くだけあって、山口組とも盃を交わしたり、クラクションを鳴らしたと言い掛かりを付けられて殴られた落とし前には、先の報復に出た。絡まれたヤクザにも、金属バットでベンツをボコボコにするなど、その道の流儀が身に付いている。

本物のマフィアには会った事はないが、以前シシリー島のコルレオーネ村を訪れて以来身近になっている。本の著者は、現在茅場町でイタリアレストラン「ウ・パドリーノ」を営んでいるというから驚きだ。あのマフィアスタイルの麻生さんも訪れたというし、話のタネにいつか行ってみたいと思っている。

Sunday, 11 August 2019

台湾と日本

もうすぐ終戦記念日が来る。今年で74年が経ったというから、一世代に相当する時間が過ぎた事になる。そんな中、ニュースで「台湾の太平洋戦争」を特集していた。台湾からは20万人が出征し、7万人が亡くなったという。今でも地下壕が残っていたり、戦友会が披かれているという。それはアメリカ軍が台湾を避け沖縄に上陸した事と関係しているようだ。民間の犠牲者が沖縄に比べ著しく少なかったことが、ノスタルジーが温存されている理由になっている。

その台湾だが、日本と本当に良く似ている。食べ物や町の様子、人々の内向的な処などそっくりだ。昔飛行機で隣り合わせた日本の外交官が、「台湾に骨を埋めてもいい」と惚れていたが、とても外国には思えなかったのだろう。真珠湾攻撃の暗号「ニイタカ山ノボレ」は日本の誇りだった。台湾人の親日も有名で、李登輝総統の「武士道」を読むと、日本人以上に日本らしさに憧れている様子が伝わって来る。それは「Youは何しに日本へ?」に出て来る外人のように、日本人が忘れた日本文化を継承している。

よく台湾人は同じ頃に併合した韓国人と比べられる。日本は台湾から戦後引き揚げたが、韓国には50億ドル相当のインフラを残した上10億ドルの借款を行った。何でもやり過ぎるとプライドが傷つくものである。ほどほどにしておけば良かったのである。

Saturday, 10 August 2019

グレーシャー国立公園

先日テレビで、グレーシャー国立公園(Glacier National Park)が紹介されていた。グレーシャーはアメリカの国立公園で、ロッキー山脈の北、カナダ国境に隣接している。その名の如く、湖に流れ込む氷河の白さと、湖水のエメラルドグリーンのコントラストが美しい景勝地であった。ところが近年の温暖化で氷河が熔け始め、テレビで見た映像は大きな変貌を遂げていた。

今から40年以上前になるがアメリカをヒッチハイクで一周した事がある。イエローストーン公園を経てここにやってきた。途中、大学の先生のバンに拾われ、彼と2人でそこでキャンプした。先生は「自分は恐妻家(Henpecked husband)なので、家内から逃げて旅している」と言う。その時は恐妻家の意味を理解出来なかったが、今となれば何となく分かるる気もする。

夜はバンの中でシェラフに身を包み、食事は小さなコンロを携帯していたのでそれで料理した。コンロはガソリンを注いで手で温めると、小さなノズルから気化した蒸気が噴き出す仕組みだった。ところがある時中々気化しないので、息を吹き掛けると爆発を起こした。幸い軽傷で済んだが、気が付くと睫毛が吹き飛んでしまった。グレーシャーと聞くとその時の怖い体験が蘇るが、氷河の消滅はショックである。

Friday, 9 August 2019

東京オリンピック

暫く前に、東京オリンピックのチケット抽選があった。駄目もとで何種目か申し込んだ処、何とテニスとゴルフが当たった。昔からくじ運や勝負ごとに滅法弱かっただけに、奇跡としか思えない。周囲でも当ったという声が余り聞こえないだけに、少し申し訳ない気もある。ただ、タイガー・ウッズやマキロイ、ファウラー、フェデラー、ナダル、錦織が直に見れると思うと今からとワクワクする。
 
前回の東京オリンピックは1964年だった。子供の頃、国立競技場の陸上競技を見に行った記憶がある。多分学校が手配してくれたのだろう、初めて見る外国人とその鮮やかなユニフォームの色、そして晴れ渡った空が何とも美しかった。その時の日本で多くのメダルを取ったのがレスリングだった。あの有名な「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり!」は、その時覚えた。オリンピックが終わった頃、都電の中でその選手の一人と隣り合わせた。何を話したか覚えていないが、ヒーローに会って感激した。

そのオリンピックもあと1年、先日も国立競技場の横を車で走ると、立派な建物が出来上がっていた。日本人は国を上げた仕事になると異常な求心力が出る民族だが、改めてその底力を感じた。暑さ対策なども、きっと周到に準備するから大丈夫だろう。

Tuesday, 6 August 2019

Never up, never in

全英女子オープンで渋野選手が優勝した。何とも嬉しいニュースである。最終ホールで、2パットでもプレーオフの処、あの大舞台で強気に狙いに行ったのには驚いた。少し強いか?と思った瞬間、ボールはカップに吸い込まれバーディーになった。有名な格言に、パットは「越えなければ入らない(Never up, never in)」があるが、改めてその言葉を思い出した。

そのパットも沙流事ながら、ゲームの流れを引き寄せたのは12番のドライバーだった気がする。多くの選手が刻んでいく中、ワンオン狙いで攻め、ギリギリのところでグリーンに乗った。あの場面で良く打てるな!と、度胸の良さにも感心した。その振りも迷いがないから、見ていて気持ちいい。多分身体の体幹がいいのだろう、軸がぶれない。

ゴルフ場では朝からその話で盛り上がった。深夜までテレビ観戦していた人も多く、寝不足と暑さでフラフラになりながらプレーしていた。スマイリングシンデレラの笑顔も清々しいし、ギャラリーへの気配りも大したものだ。テニスの大阪なおみ選手といい、また日本人選手にスターが現れた。

Sunday, 4 August 2019

目は口ほどに

令和新鮮組の登院が話題になっている。重度の障害を持つ議員の一人は、ALS(筋委縮性側索硬直性)である。視線の会話を補助員が読み取っていたが、国会議員として真っ当な議員活動が出来るのだろうか?支える費用も掛かるし、少し無理があるような気がしてならない。

思い出したのは、アレキサンダー・デュマの「モンテ・クリスト伯(Le Comte de Monte-Cristo)」である。作品の後半に登場するノワルティエ(Noirtier)という老人がいる。彼は脳卒中で全身不随のため寝たきりである。唯一意思を伝える手段は視線であった。彼はその視線を使い、息子の後妻が前妻の娘(つまり孫娘)を毒殺しようとする事から守るのであった。読んでいて、視線を孫娘がどうやって読み取るのだろう?と不思議だったが、分かる人には分かるようだ。

モンテ・クリスト伯の物語は、痛快な復讐劇である。そのノワルティエの息子は検事総長まで登り詰めた大物だったが、元は主人公のダンテスを無実の罪で投獄した検事で、私生活でも赤子を遺棄した悪者であった。ところが遺棄された嬰児は危うい処で救われ、大人になってその事を知った彼は父を糾弾し破滅に追い込むのであった。ダンテスもモンテ・クリスト伯の名前で政敵の前に現れる。「目は口ほどに物を言う」と言われる。障がい者だと思って蔑視していると、思わぬしっぺ返しがあるかも知れない。

Thursday, 1 August 2019

ウマが合う

一昨日、ディープインパクトがこの世を去った。競馬とは無縁な者でも、その名前を知っている位だから、大変な名馬だったようだ。無敗で三冠、生涯賞金が14億円は確かに凄い。競馬ファンならさぞかし思い出も深いから、どんな感慨に浸っているのだろう?

思い出したのは、学校の先輩だったTさんである。学生時代から競馬場に通い詰めていた大の競馬ファンであった。卒業して30年程経った頃、昔の仲間が集まる会でお会いした。結構な人数の会で、近況報告は一人3分だった。Tさんの番が廻って来ると、挨拶は最初から最後まで競馬の話になった。ちっとも昔と変わっていないと感心すると共に、この人って頭の中どうなっているの?と思った。

かと思えばやはり競馬好きのY君もいた。見合いで結婚したが、奥さんの趣味が乗馬だったことから、馬で話が盛り上がったという。正にウマが合った訳だ。またSさんも趣味の乗馬が高じて、今では乗馬倶楽部でアルバイトしている。倶楽部には、毎年一線を退いた競馬馬が引き取られて来る。ただ餌代などの管理費が掛かるため、馬主を探す必要があるらしい。ある日Sさんはその馬主にならないかと、4百万円で打診された。それを断ると、値段は2百万円から1百万円に下がり、最後はタダで貰ってくれないか?になったという。改めて、競馬馬の厳しい余生を憂いていた。華やかなレースもいいが、そんな馬に纏わる話が面白い。