暫く前にKさんと飲んでいると、「今度、大学の友人が本を出した。中々良く書けているよ」と言う。本は、松本厚治著「韓国、反日主義の起源」である。4000円以上もするので躊躇していたが、図書館で借りる事が出来たので読んでみた。600頁を超える大作だが意外とスラスラ、雨の日に一気に読んでしまった。この手の本は何といっても百田尚樹氏が面白いが、流石東大の人は勉強量が違うと感心した。特に元経済産業省の御役人だけあって、文章に隙がなく言葉も良く練れていた。
時恰も日本が貿易制裁を強化した矢先である。この1年、文政権に我慢を強いられてきた鬱積が、やっとここに来て一矢を報いた。それにしても文ちゃんはどうしてそこまで反日で頑張るのだろう?本を読んでいてある事を思い出した。80年代半ばだったか、韓国を1年担当した頃だった。出張の度に、韓国の人に頼まれた日本の学術書を買い込んで持って行った。何やら、韓国語で書かれた専門書は少ないらしく、特に日本で教育を受けた人は日本語で学ぶ習慣という。確かにその頃も日本企業がロックアウトされたり、反日の動きはあった。しかし多くの韓国人は日本に親しみを持っていた。
先の本でも、韓国人は「素面の時は反日で、酔うと親日する」とか「反日は意識的で、親日は意識下にある」とか、ひょっとして逆かと思う親日を再認識した。文ちゃんはそんな親日残滓を清算するようだが、原点は韓国史を新たに書き換えてしまった処にあるようだ。松本さんはそれを「記録の無い5000年の文化、これが韓国の歴史である」と遠回しに皮肉っていた。ありもしない過去から生まれるのは妄想である。良く「韓国人は嘘をつく」と言われる。それは話していると現実と願望がごっちゃになり、悲しいかなその矛盾を取り繕う内に、辻褄が合わなくなってしまうのである。
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