Saturday, 30 March 2019

烏のエンブレム

犬が騒ぐので出てみると、飛べなくなったハトが庭にいた。抱き上げてみると、お腹の辺りに小さな外傷があった。雨も降ってきそうなので、取り敢えず軒先に置いて様子を見ることにした。ところが暫くして戻ると、カラスに無残に食いちぎられ、辺りに羽が霧散していた。油断も隙も無いとはこの事だが、ハトが可哀想でならなかった。そんな話をある人にすると、「そりゃそうだよ、カラスは喰う事と生殖だけを考えているからな・・・」と、あっさり片付けられた。
 
朝のゴミ出しでもカラスの被害が続く。道路に飛散する生ごみは見るに絶えない。ゴルフ場もそうだ。止まったカートに群がり、バックの中の食べ物を持って行く。そんな憎きカラスだが、役所に「どうして駆除しないのか?」と聞いても、「鳥獣法があるので捕獲出来ません」という。百害あって一利なし、いくら自然界の事とは言え、こればかりは法律がおかしい気がする。
 
ところが日本サッカー界のエンブレムは、何とこのカラスがモチーフになっている。八咫烏(ヤタガラス)で、何やら神武天皇を大和国に導いたと云う。しかし今の時代には全く馴染まない。もっと他に隼とか鷹とか強そうな鳥はいるはずだ。誰が考案したのか知らないが、センスが疑われる。

Thursday, 28 March 2019

冬の北海

先日ノルウェー沖で、豪華客船のエンジンが動かなくなった。乗員1400人の内500人がヘリで救助される事態になったが、幸い人命に異常はなかった。船はViking社でノルウェーの船籍であった。バルト海で良く見かけた船会社だが、事故の原因がオイルの積載不足と聞いて驚いた。Viking社のクルーズは、北海近辺でも10泊だと70万円もするから、助かったとは云えこれから破格の賠償交渉が大変だ。

思い出したのは、アリエスタ・マクリーンの小説「北海の墓場(原題:Bear Island)」である。”事実は小説より奇なり”と言うが、彼はその反対で、歴史をフィクション化する天才である。特に戦記物では多くの作品を残していて史実より面白い。「北海の墓場」は戦後のノルウェーの孤島を舞台にした作品である。ナチが隠した黄金を探すトレジャリーハンターの物語で、最後まで犯人が分からない構成になっている。特に冬の北海を小舟で渡るシーンは、船乗りでなければ書けない臨場感を醸し出している。随分前に読んだが、海の寒さが伝わってくるようで凄かった。

勿論クルーズ船にも乗った事がないし、まして冬の北海にも知らない。ただこうして事件があると、小説のお蔭で身近に感じる。山に登っていないのに、山岳小説を楽しむ人を、英語でArmchair climber と呼ぶという。以前からその海のヴァージョンを何て呼ぶのか、誰かに聞こうと思って忘れている。

Saturday, 23 March 2019

イチローとアスペルガー

野球のイチロー選手が突然引退する事になった。王監督が「来るべき日が来た」みたいな事を語っていたが、現役に復帰した後だっただけに驚いた。しかしその会見では、「昨年のブランクがあったからこそ、今年こうして打席に立てて今日に至った」と語っていた。それを聞いて、長い葛藤があった事も伺えた。それにしても、メジャー通算3089安打、日米通算で4367安打、数々のゴールデンクラブ賞の偉業は凄い。

ところでそのイチロー選手だが、予てよりアスペルガー症候群と云われている。アスペルガー症候群とは、自閉症に似た症状で、コミュニケーションが苦手な特徴がある。空気が読めないから、受け答えが一方的でストレートになってしまう。確かに彼の唯我独尊的な話し方は、それを象徴している気もする。所謂自閉症と異なるのは、普段の生活には問題ないばかりか、人との希薄な関係を逆手に取って、ある分野で特殊な才能を発揮するのが特徴である。モーツアルトやベートーベン、アインシュタインやエジソン、スピルバーグ監督やトム・クルーズもアスペルガー症候群だったというから、ややもすると偉人の条件なのかも知れない。

あまり野球の事には詳しくないが、以前からイチロー選手はピート・ローズのメジャー記録、4256安打を目指していたのではないかと思っていた。それは計り知れない挑戦で、密かに狙っていても不思議ではなかった。そんな彼の事だから、何か大きな夢を考えている気がしてならない。これからの彼の生き方が楽しみだ。

Wednesday, 20 March 2019

昔の女

昔の女が会社に訪ねて来る!そんな怖い出来事があった。知人のSさんは、若い頃アジアの某国に駐在した。当時は、単身の駐在員には身の世話をする女性がいた。食事や清掃だけでなく、時には個人的な関係になる事も多かった。特に親日的な国なら、人々は至っておおらかだ。そんな駐在員に待っているのは帰国命令である。突然の終わりに、当時の人々は100万円を渡すのが慣習になっていた。しかしSさんはそれを怠ったのか、そのツケは大きかった。帰国したある日、本社1階の受付から「外国のお客様がお見えです」と呼び出され、行ってみると見覚えのある女性が立っていたという訳である。その後どうなったのか知らないが、考えただけで恐ろしい。

そう言えば、銀座のママさんもいた。ある日、役員だったKさんから国際電話が掛かってきた。それは家に帰る社用車からだった。「今度、馴染みのクラブのママが行くので宜しく頼むよ!食事代は後で私が払うからさ・・・」という内容だった。それから一か月程して、その女性が現れた。銀座のママにしては地味な人だった。丁重にフランス料理でランチを持て成し、無事任務は終了した。暫くして帰国した際に、その時の勘定書を持ってKさんの処を訪れようとした。ところが何度電話しても、秘書は「今、K社長は不在です」と繰り返す。ひょっとして払いたくないのだろうか?そんな事が頭を過り、その内嫌気が指して諦めた。今更銀座のママなんて持ち出さないで欲しい、そんな気持ちも分からないではないが、それにしても踏み倒され酷い目にあった。

かと思えば美談もあった。タイに良く仕事で行っていた時に、政府機関の担当官にPさんという女性がいた。実家は医者の育ちがいい人で、地味な役所にあってひと際目立つ人だった。そんなある日、世話になったPさんの慰労会を皆で披くことがあった。聴くと、Pさんは元外資の銀行に働いていたが、「尊敬していた日本人のボスが帰国するというので、給与は安いが、今の処に代わりました」と言う。バンコクの日本人というと、中には威張り散らす輩も多かった時代だから、立派な日本人が居るもんだと感心した記憶がある。実は これにはオチがあって、何年かしてその日本人に偶然お目に掛かった。確かにPさんから聞いていた通りの方で、こちらまで誇らしい気持ちになった。

Tuesday, 19 March 2019

過去を知る女

昨日、イタリアのベルルスコーニ元首相の買春疑惑で、話題になった女性が死亡したニュースが飛び込んだ。乱交パーティーで元首相と関係を持ったとされる少女だったが、毒殺かもと囁かれている。バチカンの法王や銀行の頭取が謎の死を遂げる国だから、驚く事ではではないかも知れないが、やはり今もってそうかとビックリした。事件は2012年だったので、もう終わったと思っていたから猶更だ。やはり過去を知る女は怖かったという事だろうか?

思い出したのはマリリンモンローである。死因は睡眠薬の大量摂取だったが、誰もが殺されたと思った。当時はケネディー大統領との関係が明るみになった頃だった。大統領の誕生日パーティーで歌うHappy Birthday Dear President ! は、その艶めかしい姿と相まって、二人の関係を露呈していた。彼女を大統領に引き合わせたのがマフィアだったから、最後はその筋を好ましく思わないに者に消された。

名声を得た男にとって、不遇な過去を知る女ほど邪魔な者は無い。古い映画の「飢餓海峡」では、三国連太郎演じる政治家の処に左幸子演じる昔の女が訪ねて来る。男は元囚人で、脱走した時に世話になったのがその女である。当初は必死に知らぬを貫くが、ひょんな事でバレテしまい、挙句の果て女を殺してしまう物語である。この辺は、洋の東西を問わずどこも同じである。

Friday, 15 March 2019

ケン・ドーンの世界

先日、シドニー湾を歩いていたら、ケン・ドーン(Ken Done)美術館があった。ケン・ドーン氏はオーストラリアを代表する画家である。彼が日本を初めて訪れたのは、70年代後半か80年代初頭だっただろうか、知人の紹介で個展に行った。始めて見る鮮やか色彩は、とても躍動感があって強烈な印象だった。当時の日本は高度成長期に入った頃で、そのダイナミズムが時代にマッチしたのだろう、多くのファンが出来た。確か、雑誌のHanakoの表紙を何度か飾ったりした。

同じ頃、やはり大胆な色彩で魅了したのが、カトラン(Bernard Cathelin)である。こちらはフランス人だったが、銀座の画廊が紹介した。カトランの特徴は、やはり鮮やかな色彩と抽象化したモチーフの組み合わせであった。花や動物の題材が多く、ヨーロッパ的な落ち着きと品を兼ね備えていた。居間に飾ると部屋が引き立つというので、ステージアップを願う日本社会に受け入れられた。

絵画も世相を反映する。日本はバブルが弾けて絵画どころでは無くなったのだろうか、どちらの画家も最近ではあまり聞かなくなった。ケン・ドーン美術館の係りの人に聞くと、氏は未だに健在と知り嬉しかった。相変わらずのタッチで、多くの作品を手掛けているという。長年に渡り、こんな絵を描き続けられるオーストラリアが眩しく感じる。

Tuesday, 12 March 2019

モンフィス選手の快進撃

テニスのモンフィス(Monfils)選手が今季調子がいい。先のロッテルダム選手権では優勝したし、今行われているBNPパリバ選手権も4回戦に駒を進めている。好調の原因は、昨年から付き合っているガールフレンドの存在があるらしい。お相手は、ウクライナのやはりテニス選手、スヴィトリナ(Svitolina)選手である。彼女のランキングは過去に世界3位だったので、彼より上である。確かドバイの大会だったか、早々敗退した彼が彼女の応援で残っていた姿が印象的だった。テニス選手と言え所詮は人間だから、いいパートナーに出会うと結果も付いてくるようだ。

その意味で一番安定しているのはフェデラー選手であろう。元テニス選手だった奥さんのミルカさんが、昔から応援席で声援している姿は献身的だし、2組の双子にまで恵まれ何とも幸せな人である。ジョコヴィッチ選手も永年のガールフレンドと結婚し1位に返り咲いた。昨年ジャパンオープンで錦織選手を破って優勝したロシアのメドベージェフ選手は、直前の結婚が契機になった。彼の奥さんは好印象で、全豪大会ではテレビにインタビューされていた。一方でその反対も多い。かつて女子にしては珍しいシングルハンドで鳴らしたベルギーのエナン選手は、離婚するとトーナメントから姿を消してしまったし、ヒンギス選手もコーチの母親と別れてから変ってしまった。その点、かつてのNO1だったデンマークのヴォツニアッキ選手は、結婚してもお父さんのコーチ関係は維持しているためか、今でも一線で戦っている。

ところで気になるのは錦織選手である。お相手の女性は元タレントと聞くがあまりいい噂がない。他人前には出ないし、テニスも関心なさそうだ。国民的アイドルだけに以前からずっと心配している。

Saturday, 9 March 2019

ゴルフルールの改定

ゴルフのルールが今年から新しくなった。ドロップは膝の高さになったり、打つ順番が自由になったり、バンカーに入ったボールも出して打てるようになった。迅速なプレーを念頭に置いているようでいい事だ。どうせなら、18ホールはスルー原則にするとか、ハーフで2時間15分を超えると罰金やペナルティーが発生するとか、素振りは2回までとか、まだまだ改善の余地はある。グリーンのパットも、旗を立てたまま打てるようなった。そのため、一度抜いた旗を又立て直して打つ人が出て来た。これでは何の為に改正したのか分からない。暫くは慣れるまで時間が掛かりそうだ。

そのゴルフだが、おかしな慣習はまだまだ多い。代表的なのはゴルフ場のジャケット着用である。戦後の着る物に困る時代なら未だしも、こんな杓子定規は今では時代遅れである。日本人は外の文化を輸入して日本的にアレンジするのが得意な一方、一度定着すると中々それから抜け出せない典型的な例だと思っている。それからレストランの豪華な食事もそうだ。立派な建物を作ってしまった付けかも知れないが、コンビニのおにぎりで十分である。ゴルフ利用税も早く撤廃して欲しいし、練習ボール代は海外ではクラブ持ちが一般的である。

電動カートも乗りたい人が乗ればいい。健康を考えると、原則カートを引っ張って廻りたい。スタート時間も到着順にすればいい。何カ月も前から時間に縛られるのは窮屈だ。明日は晴れそうだからゴルフでもしようか?そんな気軽に廻れる日はいつ来るのだろう?。

Thursday, 7 March 2019

バチカンの秘密文書

バチカンが第二次大戦時の秘密文書を公開するという。ホロコーストに対し、在籍していたピウス12世がどう関与したか、その手掛かりになるという。終わった事とは言え、世界に13億人の信者を抱えるカソリックの総本山、祈りを捧げる一方で大量殺人を進めていた事になれば大変である。

カルビ事件の伏線となったパウロ1世が、在位1カ月で謎の死を遂げた事件があった。折角なので、バチカンを知るいい機会かと思い、当時ベストセラーになったジョン・コーンウェル著「バチカンミステリー(原題:A Thief In The Night, The Death Of Pope I)」を読んでみた。他殺か自然死か、調査の結論は後者だという。散々興味を誘っただけに、これにはちょっとガッカリした。ただ神に仕える枢機卿でも、酒や煙草は嗜むしゴルフもする、普通の人と大して変わらないというのが良く分かった。法王が亡くなっていたのを最初に発見したのは修道女だった。しかし法王の寝室に女が出入りした事に成れば、神聖なイメージが損なわれてしまう。そのため当初は秘書の男性にすり替えたようだ。どこも組織を維持するは大変だ。

バチカンと言えど所詮は宗教団体である。昔、伊丹十三の「マルサの女」にやはり怪しげな宗教団体が出て来た。三国連太郎の演技が光った作品だったが、宗教にカネが絡むと似たような光景が生まれるものだ。実はカルビ事件や法王の死には、もう一人の主役がいた。それはフリーメイソンである。次はその暗部を描いたローシャの「P2(原題:La Muerte Del Papa)」を読んでみようと思っている。

Sunday, 3 March 2019

ベトナムという国

米朝会談の場所になったベトナムだが、60年~70年代のベトナム戦争を知る者にとっては隔絶の感がある。多くの犠牲を強いられながら、こうしてアメリカの大統領を迎え、方や中国の支援を受けやって来た朝鮮の小国も歓迎している。特に中国とはその後、中越戦争で大きな衝突があったし、今でも西沙諸島で争っているから猶更である。ベトナムは昔も今も強かな国である。

そのベトナムだが、10年ほど前にホーチミン市を訪れた事がある。昔のサイゴンである。今ではフランスの植民地時代を彷彿とさせる平和な町だったが、突入した戦車やべトコンの地下通路など、戦争の面影があちこちに残っていた。その光景を、かつて見た映画「キリングフィールド」のサイゴン陥落のシーンと重ね合わせた。必死にアメリカ大使館に押し寄せる人々や、残されてべトコンに粛清される人々など、当時の修羅場が蘇ってきて感慨深かった。

夜は若者が集まるクラブみたいな処に飲みに行った。そこに集う人々は東南アジアで良く見る光景だったが、ミュージカルの「ミスサイゴン(Miss Saigon)」に出て来る売春バーを思い出した。ミスサイゴンは、ベトナム戦争に派遣されたアメリカ兵とベトナム女性の物語である。2人の間には子供が出来るが、アメリカ兵はサイゴン陥落と共にベトナムを去ってしまう。何年かして戦争が終わり、そのアメリカ兵は奥さんを連れてベトナムを再訪する。そこで彼は嘗ての女性と子供が健在な事を知る。女性は子供をアメリカで教育させようと、自らの命を絶ち三角関係にピリオドを打つという衝撃的な結末で幕が下りる。以前NYのブロードウェーで観たが、誰もが戦争の犠牲者で、その悲劇を乗り越えて生きて行こうとするフィナーレに打たれた。

Saturday, 2 March 2019

38度線の非武装地帯

第2回目の米朝会談が終わった。予想に反し会談は物別れになった。今までの友好ムードも一転し、トランプ氏はささっと帰ってしまった。いつものアメとムチ、脅しては宥める手法なのだろう。そもそも金正恩が核を手放すなんてあるのだろうか?手放したその瞬間に彼の命が無くなる事を思えば、また現実の世界に戻って行くのかも知れない。また仮に両者が終戦宣言を行えば、在韓米軍も要らなくなる。そうなれば日本も困る。どちらに転んでも、隣国の動きから目が離せない。

その朝鮮半島であるが、随分前に38度線ツアーに参加した事がある。1度目は板門店である。事前に登録したツアーバスに乗り、板門店を往復するツアーである。途中アメリカ軍のキャンプで昼食を取るのだが、その一角だけが保護されているようで、出されたハンバーガーがやたらに美味かった記憶がある。板門店では北の兵士が近くに立っていた。間近に敵を見たのは初めてだったし、国境に架かる橋を渡れば二度と帰れない緊張感が何ともリアルだった。

2度目はトンネルツアーである。北は今まで何本もの侵入トンネルを掘っては、南に発見されている。その中の一本をトロッコに乗って見て廻るのだが、車が通れるほど広かった。38度線からソウルまで40Kmしかない。こんな地下を取ればあっと言う間に制圧されてしまう。途中、北側から拡声器で何か叫んでいるのが聞こえた。「北はいい所だからおいで!」と言っているという。時期は今と同じ真冬、朝鮮半島の身を切るような寒さは尋常ではなかった。その乾き切った空に、拡声器の声だけがうら寂しく響いていた。