Sunday, 24 February 2019

ブラタモリのパリ

先日、昔の職場仲間が集まった時、ブラタモリの話題で盛り上がった。結構皆んな見ているものだと感心した。そのブラタモリは、2週に渡ってパリであった。地下の通路や石の採掘場所など、普段知らない世界を紹介していて面白かった。確かに一帯は昔海底だったようだ。番組でも貝の標本が出て来たが、近くのフォンテンブローの森にはその痕跡が多く残っているから本当なのだろう。

またオスマン計画が始まる前の路地は狭く、汚物も二階から投げ捨てる習慣があったという。さぞかし不潔な町だったのだろうと、思い出したのはジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」であった。時代は20世紀の初頭、パリの貧困街に住んだ筆者が自身の毎日を描いている。それはあの未来小説「1984」を書いた人とは到底思えない生活振りで、正にその悪臭が伝わってくる本である。その貧困こそがパリの人間味を醸し出し、華やかな町のもう一つの顔になっている。

番組の最後で、タモリさんはムーランルージュのあるモンマルトル界隈が一番興味があったと言っていた。どうやら新宿のごちゃごちゃした世界と重なったようだった。確かに権威と貴族的なパリにあって、そこは下町風な一角である。昔はクリッシー通りを挟んだ北側がパリ市でなかったので、酒が安く芸術家も集まる切っ掛けになったようだ。今でもパリは特殊な場所で、フランス人でも足を踏み入れた事の無い人は多いと言われている。その違和感が黄色いベスト運動の原点になっているのだが・・・。ともあれアシスタントの女性も、始めの頃に比べて少し慣れて来てイイ感じだった

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