Wednesday, 13 February 2019

罪深い人間と慈悲

オーストラリアの第二の国歌と言われるのが、ワルティング・マチルダ(Waltzing Matilda)である。旅の途中、ロッド・スチュワートが歌うこの曲を繰り返し聴いた。歌詞は、野宿していた男がある日、やって来た羊を空腹のあまり食べてしまう話である。当時はそれは縛り首の罪であった。暫くして警官がやって来て事態が判明し、彼は池に身を投げるのであった。マチルダは寂しく包まって寝る毛布の愛称である。その悲哀と郷愁が入り混じり、深い共感を呼ぶのであった。

シドニーの港に行くと、最初に来た移民の碑が立っていた。Convictsという肝心の英単語が分からなかったので、近くに居る人に聞くと囚人だと教えてくれた。それで思い出したのは、何年か前にアイルランドを旅した時に立ち寄ったCobhの港町だった。タイタニック博物館があり、アイルランドからの移民の歴史を紹介していた。当時はジャガイモ飢饉と称し、多くの餓死者が出ていた頃だった。オーストラリアに最初に行ったのが男ばかりだったので、暫くして女性が集団で移民した件はリアルだった記憶がある。囚人と云っても、Prisonerとはちょっと意味が違うようだ。今から230年前にやってきたConvictsが今のオーストラリアを作ったと思うと、ダイナミックな時間の流れを感じた。

そう言えば、小説「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンも、一切れのパンを盗んだ廉で、生涯に渡り警部から追われる話であった。こちらもミュージカルで世界の人に感動を与えているが、やはり泥棒の話である。キリスト教の影響なのか、西洋の人はつくづく罪深い人間が、慈悲を乞い善を施しながら生きていく姿が好きだ。

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