Monday, 11 February 2019

ゴールドコーストの慰霊碑

旅の前半は、ゴールドコースのクーランガッタ(Coolangatta)という町に泊まった。60Km続くゴールドコーストの南端に位置し、人口6千人程度でこじんまりした町だった。朝、レストランで食事をしていると、カメレオンみたいな大トカゲが出て来た。ビックリして店主に聞くと、「その子チャリーって名前よ、毎朝来るわ!」と教えてくれた。地理的にはこの町までがクイーンズランド州で、隣町はニューサウスウェールズ州である。そのため、少し場末感があってそれがまた良かった。そんな町を歩いていたら、ビーチや広場に立派な記念碑が建っている事に気付いた。それは大平洋戦争の記念碑で、この町から出征して還らぬ人の慰霊碑であった。「私たちは貴方を忘れない(We shall remember you)」の文字が印象的だった。

ある日の夕方、夕陽が綺麗と聞き、海を見下ろす高台に登ってみた。多くの人がどこまでも続く海岸線を見下ろして寛いでいた。若いカップルもベンチで食事していた。テイクアウトして持ってきた料理とワインで、フォークナイフを使いながら、それはとてもオーストラリアらしい風景だった。そんな断崖のフェンス沿いに歩いていたら、フェンスに多くのプレートが掛かっていた。読むとそれは大平洋戦争で犠牲になった船の慰霊ボードだった。例えば「IRON CHIEFTAN号、4812t、1927年にグラスゴーで建造、1942年6月3日シドニーの東にて日本潜水艦の魚雷により沈没、12名の犠牲者」、「MAMUTU号、300t、1938年香港にて建造、1942年8月7日ケープヨークの北東にて日本の砲撃により沈没、114名の犠牲者」といった具合である。
 
日本軍は、パプア・ニューギニアのポート・モレスビーの飛行場まで爆撃に飛んで行ったのは知っていたが、オーストラリア近海まで出没していたようだ。それから何か加害者になったような気分になってしまい、暫しバカンス気分もどっかに行ってしまった。

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