先日、ある人から水戸の土産にお酒を頂いた。徳川博物館に行ったらしく、その名も「光圀」という酒であった。光圀公は水戸黄門として永年テレビで活躍しているが、お酒まであるとは知らなかった。恐れ多くも、その大公のお酒ならと、暫し書棚に飾っている。
しかし水戸黄門って、今でもどうしてこんなに愛されている人なのだろう?と時々不思議に思っている。勿論角さん助さんが出す葵の御紋で、悪代官を退治するシナリオにスッキリするからである。ただ妙なのは、光圀公が始めたあの「大日本史」では、南朝説を湛えている事である。日本史には滅法弱いので詳しい事は分からないが、確か日本の天皇史は後醍醐天皇以来北朝が主流だったと思う。そんな今は無き天皇を推す君主が、どうして永年に渡って未だに茶の間のヒーローなのだろう?そう言えば、皇居に建つ楠木正成像もそうだ。確か彼も南朝派である。どうして明治維新で彼が復活したのだろう?子供の頃に聴いた桜井の別れの歌も耳に残ってるので、気になっている。
今年は天皇が代わる。平成が終わり、新たな年を迎える。日本人だから一つの時代が終わる郷愁を感じる。これからその5月に向けその気運が高まって行くのだろう。いい機会なので、いつか水戸に行ってみようと思っている。
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