代表質問の国会中継を見ていると、維新の党の代表の時、突然「先ほど韓国で徴用工の判決が最高裁で出た事をご存知ですか?」と切り出した。予想しなかった展開に、流石に安倍さんも顔色が変わり、「それは1965年の日韓請求権協定で解決済み、常識では考えられない!」と反応した。外務大臣の河野さんも早速駐日大使を呼んだそうだが、それにしても今回ばかりは激しい憤りを感じる。
その、対日請求権資金を使ったのが、1973年に出来た浦項総合製鉄(現在のPOSCO)であった。確か5億ドルの1/4程度だったか、80年代の韓国の大きな成長の原動力になった。その出来て間もない浦項を、70年代後半に訪れた事があった。それはソウルに勤務していた友人を訪ねたプライベートな旅だった。当時は「韓国に行ってきます」と云うと、会社の人からニアニアされた時代であった。どうして浦項に寄ったか、今では良く覚えていないが、日韓を象徴する事業だったから、見てみたい気持ちがあったのかも知れない。前日その浦項の町に泊まり、翌朝ぶらっと製鉄所を訪れた。寒い日だった。受付で「日本から来た者だが、工場を見たい」と頼むと、何と丁寧に対応してくれた記憶がある。今から考えると、一介の旅行者に信じられない事だった。ところが雑談になった頃、「昨日の晩は何処に泊まったの?」と聞かれた。それはどういう意味だが直ぐに分かったが、会社の会議室で一同からニアニアされたのは予想外だった。
その浦項に代表する韓国鉄鋼業は、その後日本を凌駕する発展を遂げた。当時は母屋を取られたような気分だったが、後でそれは新日鉄の技術を不正取得した為だと判明した。助けたと思っていたら、恩を仇で返された事件だった。そしてまた今回の事、つくづく韓国と云う国は、日本に寄生して集りとゆすりを繰り返しながら生きている、改めてそう思った日だった。
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