Wednesday, 31 October 2018

恩を仇で返す韓国

代表質問の国会中継を見ていると、維新の党の代表の時、突然「先ほど韓国で徴用工の判決が最高裁で出た事をご存知ですか?」と切り出した。予想しなかった展開に、流石に安倍さんも顔色が変わり、「それは1965年の日韓請求権協定で解決済み、常識では考えられない!」と反応した。外務大臣の河野さんも早速駐日大使を呼んだそうだが、それにしても今回ばかりは激しい憤りを感じる。

その、対日請求権資金を使ったのが、1973年に出来た浦項総合製鉄(現在のPOSCO)であった。確か5億ドルの1/4程度だったか、80年代の韓国の大きな成長の原動力になった。その出来て間もない浦項を、70年代後半に訪れた事があった。それはソウルに勤務していた友人を訪ねたプライベートな旅だった。当時は「韓国に行ってきます」と云うと、会社の人からニアニアされた時代であった。どうして浦項に寄ったか、今では良く覚えていないが、日韓を象徴する事業だったから、見てみたい気持ちがあったのかも知れない。前日その浦項の町に泊まり、翌朝ぶらっと製鉄所を訪れた。寒い日だった。受付で「日本から来た者だが、工場を見たい」と頼むと、何と丁寧に対応してくれた記憶がある。今から考えると、一介の旅行者に信じられない事だった。ところが雑談になった頃、「昨日の晩は何処に泊まったの?」と聞かれた。それはどういう意味だが直ぐに分かったが、会社の会議室で一同からニアニアされたのは予想外だった。

その浦項に代表する韓国鉄鋼業は、その後日本を凌駕する発展を遂げた。当時は母屋を取られたような気分だったが、後でそれは新日鉄の技術を不正取得した為だと判明した。助けたと思っていたら、恩を仇で返された事件だった。そしてまた今回の事、つくづく韓国と云う国は、日本に寄生して集りとゆすりを繰り返しながら生きている、改めてそう思った日だった。

Tuesday, 30 October 2018

セレナの挑発

この土曜日、NZとオーストラリアのラグビー戦があった。日本でこんな好カード見れるなんて夢のようだった。パス回しのスピードといい、当りの激しさといい、流石に一流のレベルは違った。

試合の後半、リードを許したオーストラリアの選手が退場する場面があった。NZの選手に挑発されたオーストラリアの選手が手を出した。そのペナルティーであった。解説者によると、最初に仕掛けたのも悪いが、ラグビーではそれに応えた方がもっと悪いと言っていた。確かに戦いでは、敵に先に撃たせることから始まるから、理にかなっているかも知れない。それにしても、まず挑発に乗らない事が大事だ。

思い出したのは、全米テニスの女子決勝、セレナ・ウイリアムズと大坂なおみの一戦だ。中盤、劣勢に立ったセレナは、コーチングを受けたとして警告を受けた。その次にラケットを壊した事でポイントを、最後は主審への暴言でゲームを失うペナルティーを受けた。そして、その後に始まった狂ったような抗議で、自分を失ってしまった。見ていてとても見苦しく、不快な気分になった。偉かったのはポルトガル人の主審である。あれだけ言われれば、審判と言え、どこかで切れてもおかしくなかった。そんな心配を他所に、彼は頑として仕事を熟したのであった。とても自分には出来る技ではない、そんな思いで見ていた。

Sunday, 28 October 2018

戦場のジャーナリスト

ジャーナリストの安田純平さんが救出された。3年振りというが、良かったという反面、その責任を責める気持ちも大きい。トルコのエルドアン首相に安倍さんが謝意を示していたから、きっとおカネを払ったに違いない、そう思うと複雑な気分になってくる。

戦場のジャーナリストの走りと云えば、何と言ってもヘミングウェーである。スペイン内戦にも兵士として参加したり、第2次大戦ではイタリア戦線からノルマンジーに上陸、激戦地だったオマハビーチを取材した。2カ月後の着いたパリでは、バンドーム広場のリッツホテルに立ち寄り一杯飲んだが、その縁でバーは今では彼の名前を冠している。ただ彼は正規の従軍記者だった。もう一人、「キリング・フィールド(Killing Field)」の作者シドニー・シェーンベルグである。カンボジアの内戦を取材し、ピューリッツァー賞を取った戦場ジャーナリストである。カンボジア人記者の逃走劇はスリルがあって、何度も見た映画だったが、そのシドニーもNYタイムスの記者であった。

安田さんとヘミングウェーやシドニーを比べるまでもないが、その伝え方も随分と違う。方や見た世界を切り売りするらしいが、一方はそれを編集している。我々も現実の生の姿を知りたいという欲望はある一方で、それを少し加工して、ロマンスや勇敢な兵士物語を織り込んでくれた方が面白い、という心理がある。ドキュメント映画は一度見ると飽きるが、ノンフィクション映画は何度見ても飽きないのと同じである。行くのは勝手だが、やはり責任は自身で取って欲しかったし、生の姿を伝えることが本当にニーズにマッチしていたのか?知りたくない感情もある事も事実である。況や、政府がそんな彼らに関与したのだったら如何なものかと思ってしまう。

Thursday, 25 October 2018

長銀破綻20年

久々に日経新聞を見ていたら、セゾン銀行の安斎氏が、長銀破綻から20年を振り返る記事が目に留まった。その中で、当時日銀にサマーズ長官から、極秘資料を出すように言われた件があった。改めてあの事件の真相は何だったのか?オーバープレゼンスになった日本の銀行が、やはりウオール街の標的になった、そんな事を再認識した。破綻した長銀がアメリカのリップルウッドに売却されたのは、それを象徴していた。

ただ、今でも悔やまれるのはその後の破綻処理である。金融再生法を適用し、一時国有化された長銀だったが、東証の整理ポストで更生を目指す道もあった。その後の西武鉄道などが選択した方法だった。そうすれば株主は損を計上しないで済んだ。当時の長銀の時価総額は5兆円を超えていたから、その社会的な影響も大きく、その後に追随した日債銀なども考えると、大きな国民財産が保全された事になった。しかし結果は倒産扱いになり、上場は廃止され、株価はゼロで確定した。それを選択したのは、当時の自民党の石原伸晃氏であった。彼はまだ議員になって左程時間が経っていなかった頃だったが、金融再生委員会では中心的な存在だった。今から思えば若気の至りであった。それは、リーマンブラザーズへの公的資金注入を拒否したアメリカ政府と同じ間違いであった。ちょっとした政治家の選択で人の人生も大きく変わる、特に経済や金融を熟知していない政治家に任せる事程怖いものはない、その事を実感した。

その伸晃氏だが、最近フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章したようだ。お目出たい話にケチを付ける気は毛頭ないが、あれから20年、未だにデフレから抜け出せない。あの時の判断をどう思っているのだろうか?

Monday, 22 October 2018

旭日旗を掲げよ!

先日、韓国政府から「国際観艦式では旭日旗を自粛するよう」に言われ、それを受けた日本政府は、自衛艦の派遣を見送った。防衛大臣は「日韓の未来志向・・・」とか「国際法で決まっているから・・・」とか弁明していたが、多くの問題を象徴していたので、とても不快な気分になった。

まず、これはケンカである。殴られたら殴り返す、その気合が大事だ。今の政治家には、そのセンスと初期動作が欠けている。慰安婦もそうだが、毅然として聞き流せばいい。戦後に生まれた者にとって、過去の戦争は他人事である。だから正直に、「そんな事は先人が行ったことで、俺達には関係ない」と構えればいい。そもそも、今の韓国を作ったのは、明治に日本が併合したからである。もしもあの時に日本が統治しなければ、中国かロシアの属国で終わっていたはずだ。近代化はもとより、国として独立も無かったかも知れない。今のウラジヲストックを見ていると、ソウルが第二のウラジヲストックになった姿が浮かんでくる。感謝されこそあれ、被害者意識なんてとんでもない話である。

マスコミが伝える韓国の姿と、実際に会う韓国人とは随分違う。海外を旅行していると、「日本人ではないが、中国人か韓国人どっちかな?」と思う時がよくある。この夏も中欧の田舎でよく遭遇した。思い切って「どこから来たの?」と聞いてみると、「韓国」と答える人は、決まって自信なさそうに目を伏せる。何か罰が悪そうな感じがする。それは日本の旅先で会う若者も同じである。1対1で対峙してみると、お互い普段は気が付かない両者の関係に初めて気が付く。そんな気合を持って、旭日旗を掲げて参加して欲しかった。

Saturday, 20 October 2018

サウジアラビア人の殺害

トルコのサウジアラビア領事館で、アメリカ在住のジャーナリストが殺害された。そのニュースで連日賑わっている。殺された男は、生きたまま解体されたとか、iPhone腕時計に音声が残っていたとか、生々しい様子が伝わって来る。それにしても、暗殺団と称する一団は、どうして白昼堂々と専用ジェットで入り、在外公館で殺害するという愚行に出たのだろう?プロにしては脇が甘かった、そんな印象を受けた。

思い出したのは、1997年に起きたダイアナ妃の事故である。夫のチャールズ皇太子と別れ、アラブの富豪と関係を持った矢先だった。身籠れば、英国ロイヤルファミリーとイスラムの接点が生まれる、そんな懸念は誰しも感じていた。事件は、パリのバンドーム広場に建つリッツホテルを出た直後だった。車はセーヌ河沿いの道路を西に進み、アルマ橋のトンネルの柱にぶつかった。入り口から数えて13番目だったので、プロのメッセージと受け取った人は多かった。ただ事件は結局事故扱いになり、他殺説は否認された。

しかしM16や007のお国柄だから、そのまま信じた人は少なかったのではないだろうか?車に同乗していたのは、当時付き合っていたエジプト人の富豪Dori Fayedであった。その彼の従兄が、サウジアラビア人の富豪Adan Khashoggiであった。こちらも実業家だが、今回の被害者と同じ名前であった。たまたまそうなのか?血縁があるのか、それはよく分からないが、何か2つの事件に因縁を感じる。

Thursday, 18 October 2018

フェアーな愛

ジェフリー・アーチャーの短編集に、「All's Fair in Love and War(恋と戦は道を選ばず)」がある。あらすじは、莫大な財産を相続した男と、彼に嫁いだ女性の話である。2人の関係は次第に疎遠になる中、男は出征する。残された妻はある男と知り合い子供を身籠る。その事を戦地の夫に何度か手紙を出して告解し、離婚を申し出るが、夫からは返事が来ない。そうこうしている内に、夫は戦死し、晴れて彼女は再婚し、夫の財産も正式に相続するという話である。結果良ければ全て良し、フェアーな愛であった。

読んでいて、昔読んだ「Summer of '42」を思い出した。やはり出征した夫を待つ若い女性の話である。こちらはアメリカが舞台だが、その若くて美しい女性に、近所の思春期の青年が恋をする。こちらも結局夫が戦死してしまうが、それを知った青年は彼女に迫る。ただ気が付くと彼女は引っ越し去って行く。若い頃読んだので、痛く感動した記憶があり、失恋したような切ない気持ちになった。

百田尚樹氏のベストセラー「永遠のゼロ」も、夫人は戦死した戦友の奥さんだった。孫が最後にその事を知るオチが、物語を骨太にしていた。ただでさえも、些細な事で結ばれたり分かれたりする男女の縁、それが戦争が間に入ると、運命的になっていく。現実だと深刻だが、小説になると深い味わいに変る。

Tuesday, 16 October 2018

007のグルジア訛り

先日、テレビでグルジアの世界遺産を放映していた。2000mの高地に、外敵から身を守るために作られた9世紀の塔群であった。耳にした事のないスヴァン人という人種は、今でも自給自足の生活を続けていて興味深かった。

そのグルジアは、以前タリンで披かれた旅行博のブースに寄って以来、未知の魅惑に取り付かれている。旧ソ連で唯一のキリスト教国、世界最古のワインの国、黒海とカスピ海を繋ぐコーカサス山脈・・・、そして何よりあのスターリンの出身地である。マイナーな人種の彼がどうやってロシアのトップに登り詰めたのか?後に自身の過去を知る人を多く殺害したのは何故か?なぜ誕生日が2つあるのか?そんな謎めいた思いで飲むグリジアワインの味もまた格別だ。タリンでも一番安いワインはグルジア産だったので、雪に閉ざされた中で良く飲んだ。ドロドロとして甘く、日本の葡萄酒に似ていた。決して美味しい訳ではなかったが、想像力を掻き立てるには十分だった。

先日、カタール航空でドーハからプラハに飛んだ時、眼下にはトルコの砂漠の先にコーカサツ山脈が連なっていた。「スターリン、赤い皇帝と廷臣たち」という本に、「グルジアは、地理的にサント・ペテルスブルグよりバグダットの方が近く、風土はシベリアよりシチリアに近い」と書いてあった。そう言えば、007の映画「ゴールデンアイ(Goldeneye)」の主役の女性も、ジェームス・ボンドから「グルジア訛りがあるね!」と言われた。彼女はソ連の基地を襲うのだが、きっと犯人はグルジア人を想定したのだろう。実はコーカサツの山を越えると、気分は中近東なのかも知れない。そう考えると、込み入った歴史が分かり易くなる。

Sunday, 14 October 2018

ゴッホの足跡を追って

そのオーベール・シュール・オワーズ(Aubers-sur-Oise)は、オワーズ河に沿ったパリ郊外の農村である。ビンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent an Gogh)が生涯を終えた場所もあり、彼は亡くなる前の2カ月をそこで過ごした。随分前に訪れ、とても120年程前とは思えない程、当時の風景が残っているのに驚いた。

ゴッホはそこで多くの作品を残した。有名な「ガシュ博士」や「オーベール教会」「カラスのいる麦畑」等々、誰もが一度は見た事のある傑作である。今でも当時と変わらぬ風景が沢山残っていて、その前に置かれた絵画と見比べる事が出来る。まるでタイムスリップしたよう気分になり、何気ない風景がゴッホの目で見えてくる。そして最後は村にある彼のお墓である。画商として彼を支えた弟のテオのお墓と隣り合わせで、二人の生涯と重ね合わせるのであった。

そんなゴッホの足跡を追った事もあった。彼はオランダ人だったから、それはアムステルダムから始まり、ベルギー、フランスなどを廻った。勿論全部は無理だったが、初期の作品が多く飾っているアムステルダムの美術館、30代の頃に伝道師を目指して住んでいたベルギーの片田舎の家、ゴーギャンと不仲になり、耳を切断して入院したアルルのサンレミ病院等々、今でも現存している建物が多いから、さして難しい事ではなかった。彼は37歳の短い人生で、1000点以上の作品を残したので、旅も充実したものになった。

Friday, 12 October 2018

ジェフリー・アーチャーの短編集

暫く前に丸善に行ったら、ジェフリー・アーチャーの最新本があった。あの数年続いたクリフトン年代記の後に何が出るのだろう?と思っていたが、それは短編集であった。しかも発売されてもう半年以上経っていたから、必ずしも新しくなかった。タイトルは「Tell Tale」で、”密告”と訳すのだろうか?、ともあれ早速読んでみた。

最初の告解(Confession)という短編は、ナチ政権下のフランスを舞台にしていた。銀行家、病院経営者、市長、大学の学長の4人が主役である。あらすじは、ある時ドイツ将校の乗った列車がレジスタンスによって爆破され、当時の慣行で4人が報復の対象になった。彼らは死を覚悟すると、司祭に告白を始め、遺書も残した。話を始めると、4人のエリートは過去に患者の殺人、ユダヤ人の密告、同僚の交通事故などを犯していたという。華麗な人生の裏には、いろいろ影の部分があるものだった。ただ最後にオチがあって、事故では犠牲者が出なかったため、本人達の懺悔は徒労に終わってしまう・・・、そんなウィットがとてもアーチャーらしかった。

それにしても、人は死に直面すると、自身の罪の意識に苛まれるようだ。生きている時も大変だが、その後の天国という住処に入りたいからだ。次の作品は、「オーベール・シュール・オワーズの風景(View of Auvers-sur-Oise)」であるから、あのゴッホやコローの印象派が活躍した舞台である。英国的な品の良さと、フランスの柔らかな景色が相まって、今からワクワクしている。

Wednesday, 10 October 2018

同期の時代

先日、中途で入った会社仲間から、名前を呼び捨てにされた。さして親しくも無い奴だったので、「馴れ馴れしいね!」というと、「同期だから・・・」と釈明された。たまたま同じ時期に採用されただけなのに、何を勘違いしているのだろう?それ以来、その男は悪びれたように、さん付けで呼ぶようになった。

確かに、昔は大学を出て会社に入ると、XX年組と呼ばれる同期がいた。同じラインでスタートし、途中で出世に差が付いても、最後まで仲間である特別な関係である。考えてみれば終身雇用の成せる業だったが、同期なんて会社言葉があるのは、日本だけだと後で分かった。通年採用で転職が普通なら、確かにそうかも知れない。その言葉のルーツは、勿論あの海軍の兵学校である。この春に江田島の海軍兵学校を訪れ、改めて日本という国の成り立ちを実感した。

江田島の兵学校は1888年の開設というから、明治維新からたったの20年しか経っていない頃だった。当時の日本を囲む国際情勢がどんなにひっ迫していたか、富国強兵がどんなに急務だったか、現場に立つとよく分かる。行くと今でも立派な校舎が残っていて、海上自衛隊が管理していた。英国から高価な建築資材を輸入し、全国から優秀な集め、国を挙げて優秀な士官を育てた。今こうして日本国民が独立を守って平和に暮らしているのも、そんな先人が努力してくれたお蔭だ!、訪れた人なら誰でもそんな気持ちになってくる。卒業した同期の仲間は、仮に戦死しても家族の面倒を見ることが、暗黙の習わしだったという。一つの塊でないと生きて行けない、そんな時代だった。

Tuesday, 9 October 2018

経団連の就職ルール

経団連が、就職協定の廃止に踏み切った。当たり前というか、今まで続いていた事が不思議である。外資やベンチャーなど、経団連に加盟していない処は対象外だったり、そもそも留学生にこの縛りは意味がないから形骸化していた。

ニュースを見ていて面白かったのは、学生や大学の反応であった。それを歓迎する人もいれば、就活が混乱するので心配する人も多かった。”時代の変化に対応するには柔軟で斬新な思考”とか、口では言っても、いざ自身の事になると保守的になってしまう人が多いものだ。これをチャンスと捉える人は企業も欲しがる人材だろうし、逆に不安がっている人は駄目かも知れない。気軽にテレビのインタビューに応じて、文句ばかり言っている学生を見ていると、「会社は見ているよ!もう既に面接が始まっているんだよ!」と、思いず言いたくなってしまった。

ところで、その経団連の会長に就任した中西氏だが、流暢な英語を話す国際人である。ある国際会議でお目に掛かったが、単に英語が上手いばかりでなく、お人柄もスマートな方だった。久々に日本の顔として恥ずかしくない人が出て来た、そんな印象である。これからも、古い体質をどんどん改革していって頂きたい。

Sunday, 7 October 2018

軽井沢の気圧

昔、スキューバーダイビングに凝っていた時期があった。教習所でNAUIのライセンスを取り、週末ともならば伊豆に潜りに行った。これから寒くなるこの季節、海水の透明度が増し、視界も拓けて来る。いつも指導員が何人かの生徒を連れて行く。船や岸壁からダイブするのだが、10m程潜ると段々気圧が高くなり、私の場合、左の耳の抜けが遅い事が分かった。ただ団体行動だから、遅れる訳に行かない。無理して着いて行こうとすると、頭が割れるように痛く、辛い思いをした。結局そんな事もあって、いつの間にかご無沙汰している。

気圧の変化は体調に異常を来たす。雨が降り空が曇っている時(=低気圧)は、憂鬱な気分になり、眠たく、けだるく、場合によっては頭が重たくなる。一方晴天に恵まれた日(=高気圧)は、清々しく気分も爽快だ。そう言えば、冬の長い東北、北海道の人は無口だが、九州四国の人は明るく饒舌の人が多い。自然現象は人の性格まで変えてしまうから恐ろしい。

気圧と言えば、先日ある人が、「軽井沢の気圧は胎内の気圧と同じなのです。だから体にとてもいいのです!」と言っていた。軽井沢は大体標高差が1000m程度である。リラックス出来るのは、適度な低気圧が、赤ん坊時代の記憶を呼び戻すのかも知れない。これから紅葉の季節である。人気も少なく、静かに過ごすには一年で一番いい季節だ。快適なのには、それなりの訳があるようだ。

Thursday, 4 October 2018

Catch Me

先日、長らく逃走を続けた男が逮捕された。大阪の留置場を脱走し、48日振りに山口の道の駅で御用になった。見つけたのは、万引きを監視していた女性警備員というから、警察の面目は丸つぶれというものだ。それにしても、どこか軒下に潜伏していたかと思ったら、堂々と自転車旅行を装っていた。どこで身なりを整えたのか?どうやって監視網を潜り抜けたのか?それにしても大したものだった。

思い出したのは、昔見た映画、「Catch Me If You Can(捕まえられる、ならやってみな!)」である。レオナルド・ディカプリオが逃走犯、追うFBIはトム・ハンクスが演じる現代喜劇である。ディカプリオは医者、弁護士、パイロットなどに化け、堂々と逃走を続ける。見ていて、制服を着ると人は簡単に騙されてしまう事が分かる。尤も誰でも出来るかと云えば、ディカプリオみたいな格好いい人だから、成せる業であるが。

ところで、その映画は実話に基づいたものという。フランクという21歳の男で、天才的な詐欺師だったようだ。その能力を買われ、刑期が終わるとFBIに雇われて、防犯コンサルタントとして活躍したというからアメリカらしかった。今回の犯人も、そうした才能があるなら、上手く生かして社会に貢献するように仕向けたらいい。馬鹿と鋏は使いようである。

Wednesday, 3 October 2018

骨董品オークション

先日テレビを観ていたら、イギリスの骨董屋が出ていた。海外の町を散歩する番組だったか、自身も骨董品が好きなので、つい懐かしく見てしまった。ロンドンに行くとポートベロー(Portobello)、パリではクリニアンクール(Clignancourt)には必ず寄る。骨董品には歴史的な価値のあるアンティークと、それ以外のガラクタに大きく分けられるが、その中間があれば適度な値ごろ感でいい。思えば、絵画、書斎のデコレーション、オベリスクなど、随分投資したものである。骨董品はいつまで見ても飽きないし、知らない過去の時間と共存する深みがある。

その品々だが、人が亡くなると遺族が業者に頼んでお金に換えて貰う。その番組でも、店主が取りに行くと、「白骨体もあったよ!」と本当かどうか分からないが語っていたが、兎に角ありとあらゆる遺品を丸ごとオークションに掛ける。パリでも、オペラ座近くにのHôtel Drouotというオークション会場がある。家具や絵画、服などカテゴリー別に陳列され、時間が来ると競りが始まる。競りは毎日やっていて誰でも参加できる。時間のある時にぶらっと下見し、お目当てのモノがあれば懐と相談しながら競りに参加して手に入れる。特に遺品となると点数が多いので、物凄いスピードで進む。もたもたしていると、あっという間に次に行ってしまうから、思い切りも大事だ。競りで運よく落とすことが出来ると、その場で直ぐにチェックを払い、モノを受け取れる。仕組みが分かると、買い物感覚で使える。

それにしても不思議なのは、骨董品屋の主人である。いつも暇そうに椅子に座っていて、中には居眠りしている人もいる。これでどうやって生計を立てているのだろう?余計な心配をするが、永年年代物に囲まれた生活をしていると、本人も骨董化するのかも知れない。