Thursday, 13 September 2018

V2ロケットを追って

バルト海の都市、グダニスクに向かう途中、やはりハンザ同盟の都市だったポツナン(Poznan)に立ち寄った。カラフルな中世の建物はとても美しく、改めてポーランドって凄い!そんな気分になった。町の解説を見ていると、その町の出身者に、あのロケットの生みの親、フォン・ブラウン博士がいた。「あれ?彼ってドイツ人じゃなかったの?」と思って調べると、昔はドイツのプロイセン領である事が分かった。彼はその貴族の末裔で、どうやら、第一次大戦後にポーランドに移ったようだ。
 

そのフォン・ブラウン博士だが、戦時中はV2と呼ばれるロケット爆弾の製造に携わった。V2はそれまでのV1に比べ、時速5700Kmと10倍のスピードが出たが、費用も10倍掛かった。彼を含めた技術者は終戦末期にアメリカに亡命し、アメリカの宇宙計画の中枢として活躍した話は有名である。ドイツ在住の作家、熊谷徹氏の「ドイツの生んだ世界の技術」にも出ていた。

V2の開発と発射実験は当初、バルト海の町ぺーネミュンデで行われていたが、1943年に爆撃されてから内陸部のブリズナ(Blizna)に移された。今のポーランドの南、ウクライナ国境に近い森である。今回も例のGPSに頼り、頑張って行ってみた。誰も居ない道を走り、夕方にV2ロケットが立つ実験場跡に辿り着いた時はホッとした。館内では当時の発射実験のフィルムが公開されており、何度も打ち上げ失敗を繰り返す映像がリアルであった。しかしその場所は、遠くからでも住民に目撃されない過疎地で、かと言って作業に携わる労働力が必要で、そうなるとやはり収容所の近くになる。アウシュビッツのあるクラコフの町はそこから200kmだし、その一帯には多くの収容所が点在しているのであった。

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