プラハから、ポーランドのオフスカ要塞に行く途中、Trutnovという町を通った。国境付近の名もない町だったが、古戦場の看板が出ていた。折角なので町に寄ると、田舎町にしては立派過ぎる広場があった。どうやらこの町の郊外で、1866年6月27日に会戦があったことが分かった。ただ誰と誰でどっちが勝った?そんな疑問を、子供連れて遊びに来ていた男に聞いてみた。すると彼は、「それはプロイセンとハプスブルグの戦いで、ハプスブルグが勝ったんだ!」と教えてくれた。
どちらの名前も今にはないから、益々分からなくなった。そこで帰国して早速調べると、それはプロイセンとオーストリアの普墺戦争であった。所謂ドイツが統一される過程で、オーストリアのハプスブルグ家と、プロイセンに点在したそれ以外のドイツ君主との戦いであった。結局戦いは2カ月続き、プロイセン側が勝った。訪れたTrutnovの戦いは、ハプスブルグが勝った一戦だったようだが、勝ったオーストリア軍の犠牲者は5千人と、破れたプロイセンの3倍にもなった。
町の広場はその時の彫刻で飾られ、とても3千人の町とは思えない重厚感があった。人も、週末だというのに、さっきの親子と数える程のヒッソリ感で、まるで1866年から時間が止まっているかのようであった。唯一、ピアノのオブジェがあった。これも何かと思って調べたら、チェコのPETROFという名器の産地だという事も分かった。ともあれ、プロイセンとは何か、ドイツはどうやって統一されたのか、ハプスブルグの終焉はどんな感じなど、日頃余り話題にならない歴史のエポックに出会えたのであった。
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