Thursday, 20 September 2018

テレジンのセルビア人

第一次大戦の引き金になったのが、サラエボの銃声である。ボツニアを訪問していたオーストリア皇太子夫妻が、パレードの最中に狙撃された事件である。昨年その現場を訪れてから,その感慨はまだ冷めやらない。撃ったのは20歳のセルビア人、ガヴリロ・プリンツィプ(Gavrilo Princip)であった。彼は昼食中であったが、突然皇太子の車が差し掛かり、犯行に及んだという。その前にやはり爆弾が破裂し、その負傷者を皇太子が見舞う予定外の経路を取ったことが、運命の出会いになった。

実は今回の旅で、プラハ郊外のテレジン(Terezin)収容所を訪れた時、偶然彼の写真を発見した。その収容所は、中世の要塞をユダヤ人の強制収容所として使ったものであった。大きく2つに分かれていて、一つは城塞の中を町にしたゲットーである。もう一つは、関係者家族の宿舎、牢獄、処刑場などである。都市のユダヤ人は一度ここに収容され、その後アウシュビッツなどの絶滅収容所に移された。その数は、常時7千人程が住み、延べでは16万人にもなった。尤も戦後生き残ったのは1万人程で、殆どの人が亡くなった。中でも、尋問などによって犠牲になった人が7千人もいて、その中には終戦直前の1945年5月の50名も含まれていた。その現場の壁の前に立つと、何とも居た堪れない気持ちになってきた。

サラエボの犯人プリンシップがそこに居たのは、そんな時代のずっと前である。当時は刑務所として使われていたようだったが、彼はそこで病死したという。23歳だった。てっきり処刑されたかと思っていたが、これは意外だった。随分と遠くまで運ばれたのだった。また驚いた事に、テレジン収容所跡地には、僅かだが未だに人が住んでいた。喫茶店や小さなスーパーが、遺品や当時のパネルを紹介した博物館に隣接していた。「そんな処に住んで、御霊に邪魔されないのだろうか?」、その辺の感覚はちょっと理解出来なかった。

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