トブリンカの風
第二次大戦で犠牲になったユダヤ人は6百万人と言われている。日本人が兵士を含め4百万人だった事を考えると大変な数字である。でもいつ、どこで、どうやって・・・一度どうしても知りたかった。俗に言う欧州の主要な収容所は24か所あった。しかし調べる内に、それらは抑留、強制労働、絶滅の3つに分かれている事が分かった。場所も、抑留はドイツなど現地、絶滅はポーランド、強制労働はその両方で行われていた。何故ポーランドだったのか、一つはユダヤ人の数が多かった為であり、もう一つは隠ぺいであった。特に旧ソ連の国境付近に多いのは、行ってみると寂しい土地であった。そんな事で、今回はチェコのテレジン(Terezin)、ポーランドのグロス・ローゼン(Gross-Rosen)、スツットホフ(Stutthof)、トレブリンカ(Treblinka)、マイダネク(Majdanek)の5か所を訪れた。有名なアウシュビッツは過去に行ったし、今映画でやっているソビボルは遠いので避けた。
どこも辿り着くのが大変であった。GPSがあるので近くまで行けるのだが、広大な敷地とは裏腹に入り口はとても小さいし、グロス・ローゼンなどはサブキャンプが100以上もあったので、辿り着くと何もない野原や工場跡地だったりした。着くとまず駐車場に車を置き、徒歩で敷地を廻った。どこも黒い監視塔と鉄条網が不気味で、バラックに展示されている過酷なパネルを見ると段々気分が悪くなってくる。他の人も同じで、誰もが下を向いて無言で歩いていた。現存する焼却炉はとても怖くて一人では見る気になれないし、時折耳にする風が人の声に聞こえて来たりした。そんな時、トレブリンカだっただろうか、イスラエルから来た高校生の一行に出会った。彼らの明るい声がせめてもの救いになった。
収容所を実際に管理運営したのは、選ばれた囚人だった。どこもドイツ兵1人に対し10名と多かった。戦後その裁判が始まり、仲間を抑圧した罪で報復が成された。その様子をフィルムで見ていると、被害者が加害者になり、また被害者に戻る運命を感じた。またホロコーストは、周到は準備の下で進められた事に改めて感心した。大量の人間を秘密裡に処理するのはやはり大変な事だが、それをあえて時間を掛けて実行した。戦争が終わり、ポーランドに居た3百万人のユダヤ人は3千人になった。チェコやハンガリーでもそうだったが、使われていないシナゴーグがそれを物語っていた。もう収容所巡りは十分だ!そんな気持ちにさせられた旅だった。
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