今年の夏も又、チェコ、ポーランド、ハンガリーなどの中欧を廻った。昔は東欧と呼ばれていた場所だが、ソ連が解体してからそう呼ばれている。走る事6200Km,昨年と一昨年のバルカン半島を含めると13千Kmになった。これで戦後のソ連の社会主義圏を大方踏破し、何か仕事を成し遂げたような安ど感がある。
その中欧は、どこも取っても華やかさとは無縁な地味な場所である。それはロシアと西洋に挟まれた因縁か、将又戦後長く続いたソ連の社会主義の影響か、良く分からないが、旅をしていてもワクワク感は出て来ない。例えば町は一見とても綺麗だが、ベルリンの壁崩壊後の30年で復興した建物である。だから何処となくガランとしている。それは人が住んでいないからで、昔から続く店もないから、観光客が居なくなると町はひっそりとしてしまう。もう一つは地形である。この一帯は山も海もない平地がどこまでも続いている。ドライブしていても、農地の風景は殆どどこも同じでつまらない。バルカン半島が起伏に富んで楽しかった事を思うと、雲泥の差である。
しかしそんな事は行く前から分かっていた。それでもどうして行きたかったのか?以前人から「どこに行くのですか?」と聞かれると、よく「収容所巡りです!」と応えていた。すると殆ど人は「・・・・・」と黙ってしまう。だから最近では「第二次大戦の戦跡巡りです」と言うようにしている。確かに収容所は気味が悪い場所である。今回も4つの収容所を訪れたが、自分でも二度と行きたいとは思わない。それでもいつかあのユダヤ人が6百万人も犠牲になった場所を目で確かめたかった。行ってみると確かにそれらはソ連国境近くに点在していて、正にそこは西洋の地の果てであった。これから暫くはその中欧旅日誌を綴ってみたい。
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