その「砂の器」は、何度見ても飽きない作品である。加藤剛演じる若手作曲家が、世間にデビューする、その隠された半生を追う話である。ライ病の父とあてのない放浪の末、心ある巡査が彼を拾う。その後戦争末期の爆撃のドサクサで戸籍を得て、芸大に進む。物語は彼を救った元巡査が彼を訪ねて来る処から始まる。「父親が生きているので、是非会いに行ってこい!」、巡査はそう促すが、忘れたい過去を出された挙句、その巡査を殺害してしまうのであった。所詮は砂で出来た器である。真水が入ると簡単に崩れてしまう。
有名になれば輝かしい世界が待っている。不都合な自身の過去は、折角の輝きが曇ってしまう。だから闇に葬ってしまいたい、そんな気持ちになるのだろう。何故か、佐村河内守という人を思い出した。日本のベートーベンとか言われたが、結局ゴーストライターが居た事が分かり、関係者は面目丸つぶれになった。最初は軽い気持ちで付いた嘘が、途中から引き返せなくなってしまった。
砂の器にはもう一つのメッセージがあった。それは義理人情というか、世話になった人への恩である。特に命の恩人は勿論、人の道を諭した人なら猶更だ。それはヤクザ世界の世界に似ている。戦後ヤクザ映画が人気を博したのも、そんな日本人の心理を代弁していた気もして来た。この作品を見ると、様々な事が頭を過るのである。
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