Wednesday, 23 May 2018

天は人の上に

政府が、働き方改革で裁量労働制の推進をしようとしている。目玉は高度プロフェッショナルだという。何の事かと思いきや、例えばディーラーを指しているという。朝から晩まで目の前のスクリーンと睨めっこし、生き馬の目を抜く様な緊張感に包まれている職業だ。しかし高度でも何でもない、多くの人は普通のサラリーマンだ。ロンドンが始まれば帰宅し、朝出勤すればNYの担当から引き継ぐ組織で仕事をしている。

良く分からないのは、それに反対している人達がいることだ。対価に見合った仕事と報酬がどうして否定されるのだろうか?その時間に縛られた労働は、18世紀の産業革命が発端だった。規格化された大量生産が求められた時の遺物である。あれから200年を経たのだから、もうそろそろそんな制度を見直していいと思うのが普通だ。

そもそも労働賃金の均一なんてナンセンスとつくづく思っている。人々は顔や性格が違うように、能力、得意分野も違う。それを画一化するから今回のような議論が出て来るし、それは共産主義を求める人の論理である。生産性とその対価は一人ひとり違って当たり前で、その柔軟性とダイナミズムこそが市場経済である。劣後し経済的に窮する人がいれば、セーフティーネットの世界である。そして強いて言えば、唯一平等なのは人権だけである。「天は人の上に人を作らず人の下に・・・」のフレーズは、その事を指している。それを所得の配分と勘違いしている人が多いから困ったものである。ともあれ、硬直的な国内の雇用慣習を早く変えないと、国際的な競争力がいつまで経っても整わない。

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