Thursday, 31 May 2018

カジノとペタング

カジノ法案で国会が揉めている。会期延長の話も出ているらしいがもういい加減にして欲しい、そんな思いで見ている。ただでさえも重要法案が山積しているのに困ったものだ。そのカジノだが、野党はギャンブル依存症を懸念していると聞く。でもそれは本当なのだろうか?そもそもパチンコ、競輪、競馬などの公営賭博がある。そこに通う殆どの人は、小遣いの延長でゲームを楽しんでいる。それをあたかも、カジノが病気を誘発するような議論をするのはどうしてなのだろう?その論理は、シナリオを前提とした、あの森友、加計の展開と不思議に良く似ている。

ところでそのカジノだが、ヨーロッパではゲームセンターみたいな感覚の場所である。ただ年齢制限があるので、誰でも入れる訳では無い。ルーレット、トランプ、スロットマシン、何処に行っても大体同じ仕掛けで、小金持ちが負けて大金持ちが勝つ事も万国共通だ。時折ロンドンのカジノのように、社交場の雰囲気もあるが、所詮はカネの世界である。来ている人の表情は暗いし何か陰湿である。損すると分かって、どうしてあんな処に行くのだろう?というのが素朴な疑問である。

実は、ギャンブルはカジノに限った事でなく場外で行われている方が多い。有名なのはサッカーなどのスポーツである。その勝ち負けで死傷者が出るのも、大きなカネが絡んでいるからである。ヨーロッパではペタングと呼ばれる競技がある。プレーヤーの多くは年配者で、公園で砲丸投げみたいな大きな鉄玉を転がしては競っている。傍から見ていては中々分からないが、ある人に聞くと、老人たちが真剣なのは賭けているからだという。日本は強ちゴルフだろうか?オリンピックとかお友達とか、でも所詮はかわいいものだ。そんな世界を政争の具にしないで欲しい。

Monday, 28 May 2018

長幼の序

大学を卒業し40年余、殆どがリタイアしている中で、残るは社長だけである。時々日経新聞に顔写真入りで紹介されるので、同窓も結構多い。しかし残念ながら学生時代にその殆どは、目立たぬ無名の人であった。その事を、先日仲間が集まった時に話題にした。するとやはり、「あいつ誰だっけ?」という点で一致した。それから分かった事は、”偉くなる人は必ずしも優秀な人でない”であった。それは御本人に大変失礼な言い方かも知れないが、半分妬みも入っている。ただ社内に敵を作らない事がどんなに大切か、今になって分かる気がする。

後継者を選ぶ時、会社の存続と維持が何より大事である。何より、選んだ自身の立場が守られ、今までの経営が保証される事が大前提である。そうした条件をクリアできるのは、豪傑やゴマ摺りでは無理だ。YESマンで適度のヨイショが出来る人でないと務まらない。

それを長幼の序と言うのか少々疑問だが、年配者を立てる後輩はとても快い。しかもその後輩が、上を立てながら下の面倒を見る親分肌なら尚いい。理想的な経営者である。そんな事が誰しも卒業した時に分かっていれば、苦労はなかった。ゴルフやテニスも、力を抜いてスウィングする事程難しいものはない。きっと秀でた人たちは、力まないでフルショットしてきたのかも知れない。

Sunday, 27 May 2018

夏の旅行準備

久々に旧友のM君に連絡を取ると、「今、ハリファックスいるよ!7月に帰る」と返事が来た。クルージング好きのM君は、随分前から船で世界を旅しているが、また出かけたようだ。その旅は一風変わっていて、途中乗船と途中下船方式である。日本からはいつも飛行機で出かけ、外国の港からクルーザーに乗る。そうすると、出航から帰港までのベッタリした人間関係から解放されるという。飛鳥に乗ってみて懲りたようだ。

そう言えば、この前もAさんにメールすると、「今パリにいます!」だった。先週はC君が「今は中国を旅行中!」と、結構多くの人が気軽に海外を旅行している。それに刺激された訳ではないが、夏も近付いてきたので今年のプランを練り始めた。

昨年と一昨年は、バルカン半島6000Kmを走破した。素朴で手付かずの土地柄が良かった。と言う事で、今年はそのバルカン半島の北、チェコとポーランドを中心に旅することにした。大きなヨーロッパ地図を広げ、過去に廻ったルートを塗りつぶす作業をしていると、あの時の記憶が蘇って来る。これからの2カ月は、その地図と睨めっこしながら、ルートの選定と下調べが続く。チェコの冷たいピルスナーを想像して、こうして準備している時が一番幸せである。

Thursday, 24 May 2018

大手町の玉乃光

どんどん再開発が続く東京、久々に大手町に行ってみると随分と雰囲気が変わっていた。20年前の三和銀行や富士銀行のビルも高層ビルになっていた。残された平将門を囲む一帯も、最後の開発工事が進んでいた。昔を知る一人として、思い出も吹き飛んだかのような感じだ。物凄いスピードで進む東京の変化を受け止めるしかない、そんな心境だった。

そんな中、唯一健在だったのは大手町ビルである。昔から、利権者が入り込んでいるので、中々建て替えられないとは聞いていた。ただその後、周囲のビルがドンドン再構築されているのに、未だに残っているのは奇跡としか思えない。ビルも沙流事ながら、地下の飲食店には頭が下がる思いだ。鰻の「手の字」など当時のままだし、千代田線に向かうゴルフショップも良く持ち堪えている。そしてその通りの一角にある「玉乃光」に寄ると、主人がテキパキと旬の酒を出してくれるのがとても快かった。

その玉乃光だが、大昔に若社長を海外のレストランで持て成した事があった。若社長は注文を聞きに来たソムリエに、持参した玉乃光を取り出して、試飲したいと言い出した。仰天したソムリエだったが、大事なお客の要望に応じて、彼も一緒にその酒を飲むことになった。若社長がまず飲み方のデモをし、それに合わせてソムリエも音を出して喉に流し込む流儀を真似した。ただ横で見ていてちょっと恥ずかしかった。今でからこそ日本酒が認知されているが、当時は「なんだコレ!」の世界だったから猶更だ。あの商売熱心だった彼は今どうしているのだろう?そんな事を思い出した。

Wednesday, 23 May 2018

天は人の上に

政府が、働き方改革で裁量労働制の推進をしようとしている。目玉は高度プロフェッショナルだという。何の事かと思いきや、例えばディーラーを指しているという。朝から晩まで目の前のスクリーンと睨めっこし、生き馬の目を抜く様な緊張感に包まれている職業だ。しかし高度でも何でもない、多くの人は普通のサラリーマンだ。ロンドンが始まれば帰宅し、朝出勤すればNYの担当から引き継ぐ組織で仕事をしている。

良く分からないのは、それに反対している人達がいることだ。対価に見合った仕事と報酬がどうして否定されるのだろうか?その時間に縛られた労働は、18世紀の産業革命が発端だった。規格化された大量生産が求められた時の遺物である。あれから200年を経たのだから、もうそろそろそんな制度を見直していいと思うのが普通だ。

そもそも労働賃金の均一なんてナンセンスとつくづく思っている。人々は顔や性格が違うように、能力、得意分野も違う。それを画一化するから今回のような議論が出て来るし、それは共産主義を求める人の論理である。生産性とその対価は一人ひとり違って当たり前で、その柔軟性とダイナミズムこそが市場経済である。劣後し経済的に窮する人がいれば、セーフティーネットの世界である。そして強いて言えば、唯一平等なのは人権だけである。「天は人の上に人を作らず人の下に・・・」のフレーズは、その事を指している。それを所得の配分と勘違いしている人が多いから困ったものである。ともあれ、硬直的な国内の雇用慣習を早く変えないと、国際的な競争力がいつまで経っても整わない。

Tuesday, 22 May 2018

犬と磁場

朝晩の犬の散歩、眠たい朝や、寒い日に帰った後は辛いものがある。それでも食事もせずに待っていた愛犬を思うと、つい頑張ってしまう。そんな日常に、とある発見があった。それは犬が用を足す時の方角である。友人のY君が教えてくれたのだが、犬は用を足す時に南北を向くらしい。確かに見てみるとその通りだった。用を足す前にグルグル廻るのは、その磁場を調べているかららしい。改めて動物の帰巣本能を知った。

かと思えば、ゴルフ仲間のA君は暫く前にソニーのAIBOを買った。本物の犬を飼いたかったが、マンションで無理だった。新しいAIBOは目が可愛く、年齢と共に反応も進化するところがいいらしい。今年で3年目になるが、始めは出来なかった仕草がある時出来るようになる仕掛けが付いている。呼んでも反応しない時もあり、その感情の起伏が、よりリアル感を増しているという。バッテリーが切れ掛かると、自分でチャージに行くようだ。

ただ私にはやはり本物がいい。4歳を過ぎた頃だろうか、呼んでも来なくなった。声は聞こえているが、太々しく知らん振りをして寝ている。あと何年もすれば足がよろけて立てなくなり、寝たきりの生活が待っている。寿命はあと数年、だから毎日が不憫で愛おしい。

Sunday, 20 May 2018

ヌーディストの鑑賞会

初代駐日大使のH.コータッツ氏の「維新の港の英人たち」を読むと、当時日本にやってきた欧米人達が、江戸時代の混浴文化にとても驚いていた様子が分かる。男女が一緒に風呂に入り、人前に裸をさらけ出すのを見て、羞恥心がなく野蛮で低俗と言っている。それを切っ掛けに幕府も混浴を禁止してしまった。しかし今から思えば余計なお世話としか思えない。

ところでこの春、パリのパレ・デュ・トーキョー(Palaris de Tokyo)で、ヌーディスト向けの
鑑賞会が開かれた。自然の気持ちで芸術に触れてもらう企画らしいが、如何にもパリらしい出来事だった。元々夏になるとセーヌ川にはその類の人が集まる場所がある位だから、本人達にとってはどうって事ないのかも知れない。因みに正式には彼らをナチュラリストを呼ぶ。そんな自然愛好家が、どうして他国の文化にケチを付けたのだろうか?しかもアフリカは良くて、なんで極東の日本が駄目だったのか?全く理解できない。

ただパリのナチュラリストと言っても、実際はホモやゲイが多いのが特徴だ。勿論中には普通の男女もいるかも知れないが、元市長も自身のゲイを公言しているお国柄だから、驚くには至らない。パリにはその人達が集まる場所がいくつかある。例えばそのセーヌ川のプールサイド、夏になると避暑地に行けないゲイ・ホモの憩いの場になる。またチュエルリー公園の中にあるオランジュリー美術館の一角や、凱旋門から西に伸びるオッシュ通りなども有名だ。それに対し日本は何と健全な国だったのだろう!裸の付き合いって言葉がある位だ。その象徴が壊されたのが悔しい!つくづくそう思う今日この頃である。

Friday, 18 May 2018

第二のサリー

注目されている米朝会談、やはり北が揺すりを掛けて来た。それを察してか、韓国の文大統領が仲介を名乗り出た。果たしてこれからどういった展開になるのだろうか?思い出すのは終戦末期の日本政府だ。アメリカとの休戦仲介を、寄りによってソ連に頼んだ。今から考えると愚の骨頂だが、足元を見られてか不可侵条約まで破棄されてしまった。

仲介者が何たるか、その本質を知っているのはやはりマフィアであろう。その映画「ゴッドファーザー」では教訓を如実に語っている。それは初代のゴッドファーザーの葬式の時に、慰問客が次々と訪れる件である。中には五大ファミリーのボスもいる。これから勢力図が変わろうとしていた矢先、マイケルの腹心サリー(Sally)が仲介に乗り出す。敵対する首領と「俺の島で会合をもったらどうか?」とマイケルに持ち掛ける。マイケルはその時は聞き流し、「子供の洗礼が終わってから」と意味深な言葉を残す。案の定、その洗礼に合わせて政敵を一斉に抹殺し、そして最後はサリーを葬るのであった。

今まで強かった人が弱くなると、それに付け込む人は多い。それはとても動物的なのかも知れない。方や義理や仁義もある。流石そんな事は承知しているから、トランプ大統領も韓国に頼る事はないだろう。特に第二のサリーには・・・。

Thursday, 17 May 2018

スロベニアへの移転

英国がEUを離脱する事が決まって久しい。本当に離脱するのだろうか?英国に拠点を置く企業は不利になるのだろうか?将又ロンドンのシティーは消滅するのだろうか?正直、良く分からない。そんな中、安川電機が英国内の工場をスロベニアに移す記事が目に留まった。スロベニアは昨年のバルカン旅行で訪れたから懐かしかったし、安川電機もいい所に目を付けたと思った。

スロベニアは、旧ユーゴスラビアが分裂した時に出来た国である。その後、セルビア、ボツニアなどが政治的に停滞する中、いち早く準先進国に仲間入りし、今では一人当たりGNPが20000ドルを超えている。その理由は偏に地理的要因にある。国境をイタリアとオーストリアの西側と接しているためである。ソ連崩壊後にいち早く独立を果たせたのも、そんな関係でアメリカが多大な援助をした。旅の途中、その時の功績を湛えた陸軍博物館を偶然訪れた。多くの戦車が陳列されていたが、何よりアメリカへの感謝の気持ちで一杯の博物館だった。

そのスロベニアは、一言で言うと「緑の多いガランとした国」である。その意味する処は、然したる名所旧跡、歴史的な建造物がなく、観光客にとってはつまらないからだ。特に長く続いた社会主義の煽りで、昔から続く商店街がない。それは配給制の弊害で、バルト三国や旧ソ連の旧主国に共通した風景である。だから町を歩いても生活の営みを感じられないが、最近ではモダンな店が目に付くようにようになった。イタリアなどと違って、人々の意欲も旺盛だ。いい選択だったと思う。

Sunday, 13 May 2018

懐かしむ植民地時代

そのシンガポールには、日本の占領時代の遺物が多く残っている。当時は昭南島と呼ばれ、セントーサ島の戦争博物館に行くと貴重な展示がある。中でも極めつけは、1942年に日本軍の山下中将が英国のパーシバル中将に降伏を迫るシーンである。ところがその隣の部屋には、今度は逆に英国が日本に降伏を迫るシーンがある。どちらも蝋人形でリアルに再現されているから、歴史好きな人なら必見のスポットだ。また市内には市民の戦争記念碑が立っている。日本軍の占領によって5000人が殺害された慰霊碑である。その近くにはチャンギ収容所が、これまた当時のまま保存されている。

しかし不思議と反日感情はないし、何か忘れられた過去の一コマのように思える。いい例がそのセントーサ島である。訪れる観光客の多くは、海を渡るケーブルカーに乗り、南洋の動物園や水族館、ナイトサファリなどを訪れる。しかし戦争博物館に行く人はあまりいない。考えてみれば、日本も英国も所詮外からやって来た支配者だから、自分たちと直接に関係ないのかも知れない。むしろ反対に植民地時代を懐かしむ風潮がある。

未だに最初の英国人ラッフルズは偉人で、彼の名を冠したホテルは最高級の宿である。何より英語を公用語として、車も左車線である。シンガポールに暮すと、暑くて人工的な街並みに直ぐ飽きてしまう。それでも人々が好むのは、植民地時代の雰囲気が残っているからである。その一つが、アメリカンクラブやブリティッシュクラブである。私の場合はオランダクラブに所属していたが、プールやテニスコートが完備し、食事も洋風にアレンジした味覚で大変美味しかった。何より居留地みたいな安心感があり、その居心地の良さから一日の殆どをそこで過ごしていた。

Saturday, 12 May 2018

シンガポールの米朝会談

米朝会談が、来月にシンガポールで行われるという。北朝鮮の金正恩氏は、ロシア製の旧型機で現地入りするらしいが、機体の整理は大丈夫なのだろうか?。予てから斬首作戦もまだ生きているから、その機会を利用した事故死はないのだろうか?ひょっとして中国が保護している青年を立てて、臨時政府を作ることはないのだろうか?CIAならやり兼ねないから、ついついそんな不吉な事を想像してしまう。

そのシンガポールは、どうして選ばれたのだろう?中立の国とか新聞には書いてあったが、所詮は経済だけで生きていている国である。国際政治とは昔から距離を置いて来た。そもそも国民の多くは中国人で、度重なる動乱から逃げて来た人達である。だから中国とも一線を画し、その歴史をして他人を容易に信じない国民性になっている。信じるのは唯一おカネだけである。そして未だに身の安全には人一倍気を使っている。例えばチャンギ空港からオーチャード市街に至る高速道路は、中央分離帯の花壇を取り除けば避難用の滑走路に変身出来る。教育熱心で子供を英米の大学に留学させるが、それはいつでも逃げ出せる移住先を確保するのが目的である。

そんなギスギスした国だから、とても私は好きになれない。一見緑は多いが人工的だ。オーチャード通りの店構えの多くは世界のチェーン店だから風情もない。嘗ては一階が飯屋で二階が住居だったホーカーだったが、多額の立ち退き料を貰い、今では殆ど姿を消している。一年中クーラーをかけたビルの生活は健康に良くない。ただ島国だから治安はいいし、ホテルから出なければ安全は確保される。そんな処が選ばれた理由なのだろうか、ショーが終わってみないと分からない。

Thursday, 10 May 2018

火事の功名

私も火事に会った事がある。自宅ではないが、引っ越しの時の荷物が全焼してしまった。引っ越しを終えてホテルに移った。翌朝電話が鳴り、引っ越し会社から「倉庫が全焼しました」と連絡が入った。その時は何が何だか分からなかったが、暫くして荷物が届かなくなってから、段々と実感が増した記憶がある。段ボールで100箱以上あったから、損失も大きかった。

その時分かったのは、ヒトはモノと一体だという事だった。ヒトはモノが無くなると、拠り所を失ってしまう。モノを通して記憶が蘇り、歳は取るけど朽ちない過去が残る。だからヒトの成長にはモノが不可欠である。いい例がポーランドである。長い歴史の中で、その多くが他国の支配下にあった国である。確かに民族は生き延びたかも知れないが、歴史的な建造物、芸術品が破壊、霧散して殆ど残っていない。そうなると、人々は振り返る鏡もないから即物的な国民性になってしまう。バルト三国や韓国なんかもその類なのかも知れない。

反面いいこともある。またゼロから始めるしかないので、不思議な力が出て来ることだ。明治時代や太平洋戦争後の勢いは、江戸の大火や本土の空襲で多くの家屋を失った裏返しである。勿論火事に合わないのに越したことはないが、命があれば又何とかやっていけるものだ。そう思うしかないのだが・・・。

Tuesday, 8 May 2018

俺の夢乗せて

先日、加山雄三さんの光進丸が燃えた。永年のファンにとっても、他人事とは思えない事件だった。光進丸は、あの「桟橋に立つ君の肩から海鳥たちが飛び立っていく・・・」の歌にもなっている。良くカラオケで歌ったものだ。それだけでなく、加山さんの多くの海の歌はこの船から生まれたから猶更だ。その足場が無くなってしまったのだから、とてもCDを聞く気にもなれない。事件後のインタビューで「半身を失った・・」と言っていたが、それはファンも同じである。

あれから一カ月経った。たまたま彼は連休中の特ダネ番組に登場していた。司会の小倉さんに心境を聞かれ、天から試練を授かったみたいな言い方をしていた。長いコンサートが終わり、打ち上げが始まる矢先にそのニュースを聞いたからだ。これから伊豆に戻り、お世話になった人を船に呼んで持て成す予定もあったらしい。そんな事もあり、やたらに自分を責めていた。

加山さんは若い頃、親戚の保証人になったばかりに、多額の借金を背負った。若大将のスターから、一文無しのどん底生活を味わった話は有名だ。私はその頃の「追いつめられて」とか「荒野を求めて」の歌がとても好きである。どんどん身近な人が離れていく寂しさ、初めて知る現実を若者らしく歌っていた。その後、それが肥やしになり、歌に深みが増して80年代の大きな飛躍に繋がった。今回のことで、加山さんが予てより、船でゴールデンブリッジを潜りたいみたいな話をしていたのを思い出した。それは勿論世界一周の航海だ。コンサートでは、よく「俺に付いてこい!」と言っていたが、ファンもそれが試されているのかも知れない。81歳の先輩に対し失礼かも知れないが、まだ残る半身があるなら、また俺の夢乗せて海に羽ばたける。

Monday, 7 May 2018

鈴ヶ森の処刑場

そのコータッツィさんは、我々でも知らない当時を紹介していた。例えば富士山、最初に登頂したのは初代駐日領事のオールコック(Rutheford Alcock)だった。開国前の幕府の反対を押し切って登ったようだ。しかも女連れで、登頂に8時間、下山に3時間10分掛かった。その速さは今と殆ど変わらないスピードだった。それからアイス、当時江戸で計画したサーカスの動物が暑さで死んでしまった。その為、中国の天津から氷を輸入したが、それが今の冷蔵庫の起源らしい。またフランスパンも、その頃初めて製造された。

中でもリアルだったのは、当時の刀世界の実態だ。明治維新に先立つ1861年、芝で東禅寺事件である。その寺は、オールコック他が滞在した公使館で、攘夷の水戸藩士によって夜半衝撃された。オールコックは幸い一命を取り留め、駆け付けた幕府軍に助けられた。ただ翌朝になると、28名の両軍の死傷者が横たわっていた。賊の首も3つ転がっていて、彼はそれに躓いたという!極めつけは大森の処刑場、鈴ヶ森である。横浜に向かった一行は、そこの3名の晒し首の一人に見覚えがあった。あの時襲って来た藩士の顔だったからだ!普段血の出ないチャンバラを見慣れた世代にとっては、中々リアルだった。

そして最後は混浴である。江戸時代まで日本は男女が風呂に一緒に入っていた。西洋人に言われる迄は、恥ずかしいと思っていなかった。そんな柔らかな文化も、いつの間にか無くなってしまった。中々逆戻りは出来ないだろうが、のどかな時代だった。

Sunday, 6 May 2018

キラニー湖と長崎

九州の潜伏キリスタンが世界遺産の登録されたという。確か昔は「隠れキリスタン」と言っていた気もする。いつの間にか変わってしまったのだろうか。有名になるのはいいことだが、昨年の富岡製糸所ではないが、つくづく箔を付けるのに熱心な人がいるのに感心してしまう。そんな中、古本屋で買ったヒュー・コータッツィ(Sir Hugh Cortazzi )の「維新の港の英人達(原題:Victorians in Japan: In and Around the Treaty Ports)」はとても面白い一冊だった。本の中にその件も出て来た。

例えば長崎の地名、それは16世紀のキリスタン大名だった大村純忠の家臣、長崎純景の名前に由来していると言う。長崎をイエズス会に寄進した1579年の頃だ。また当時の長崎港の風景を、同行したW.M.Bellと言う陸軍少佐は、アイルランドのキラニー(Killaney)湖とスコットランドの渓谷トロサッシュ(Trossachs)が混じり合った様な景色だと書いていた。キラニーは、今やゴルフのアイルランドオープンの開催場所にもなっている一大観光地である。数年前にそこでゴルフしたが、レストランでは湖で捕れたマスを振る舞っていた。またトロッサッシュもミシュラン三ツ星の国立公園である。メル・ギブソンの映画「ブレーブハ-ト(Braveheart)」の主人公ウィリアム・ウォレスが活躍した舞台の近くである。ただどちらもちょっとほめ過ぎじゃない?という気もしないでもないが、長崎の自然はそんなに美しかったのかも知れない。

同じように大阪(当時は大坂)は、「セーヌ川のサン・ルイ島のように、ぎっしりと家が立て込んでいた」と紹介されていた。著者は駐日英国大使だったので、これはお世辞みたいだ。味についても、「神戸のオリエンタルホテルの味は、シンガポールのラッフルズの亀肉ステーキ、ペナンのオリエンタルホテルのカレー、香港のヴィクトリアホテルの雛肉レバーの何れにも勝る」と絶賛した件を紹介していた。兎に角、当時を知る一級品の本である。

Saturday, 5 May 2018

シアトルの思い出

シアトルマリナーズのイチロー選手が、今季はプレーしないという。野球に詳しくないのでよく分からないが、本人は未踏の記録を狙っていた感じもしたので残念だ。誰でもいつか終わりは来るものだが、それにしても突然の発表だった。

そのシアトルだが、遥か昔の学生時代に訪れたことがある。2か月掛けて、全米の国立公園をグレイハウンドバスとヒッチハイクで廻った。今から思えば長時間の移動をよく辛抱したと思うが、そんな旅の終わりに寄ったのがシアトル市だった。歩いていると、偶然レストラン紅花(Benihana)を見つけた。慶応高校のレスリング部を中退して渡米した、ロッキー青木が始めた店である。焼肉の店で、シェフのパーフォーマンスが素晴らしく、それはまるで武士の刀捌きのようで、当時は大変な人気を博していた。久しぶりに食べるコメの味は格別で、何杯もお代わりした。それを見ていた日系人のシェフが声を掛けてくれた。彼は「自分にも君と同じような子供がいる」と、親切にも息子さんを呼んでくれた。

その息子さんは地元のワシントン大学の学生で、その日は彼の運転する車で、大学などを案内してもらった。その時、ワシントン州の経済の話が出た。彼は、「ここの州は、最低賃金より失業手当の方が高いので、誰も働きたがらないんだ!」と教えてくれた。そんな素晴らしい町があると知って驚いた記憶がある。今でも失業率は9%台で全米9位と高い水準だが、そんな数字とは裏腹に、人々の豊かな生活を想像してしまう。

Friday, 4 May 2018

逆風が吹くと

今から20年近く前に、勤めていた会社が倒産しそうになった。毎日新聞に大きく掲載され、社員には憂鬱な日が続いた。ただ多くの人は、「雅か(こんな大会社が)倒産する訳はないだろう・・・」とタカを括って優雅に煙草を吹かしていた。それは身内だけで集っていたからで、外の空気とは随分と温度差があった気がした。私の場合はテニスクラブがあった。今まで「こっち来いよ!」と気軽に声が掛けてくれた人達が、心持ち視線を合わせなくなった。腫れ物に触るように、何か退いているのが分かった。逆風が吹くと他人は逃げるというが、それは本当だった。そんな時、それまでテニスもしたことがなかったMさんが、「こっちに来いよ、空いているよ!」と声を掛けてくれた。それは砂漠でオアシスに出会ったような救いだった。話を聞くと、どうやらMさんも同業で、ちょっと前にやはり会社が駄目になったという。つまりその道の先輩で、「俺はもう会社に見切りを付けたんだ!」と、その時は悠々自適の生活を送っていた。

もう一人はダブルスのパートナーのWさんだ。ベンチに座って順番待ちをしていると、「M社の仕事があるけどどう?」と突然聞いて来た。M社は名門の大企業だったので躊躇した。しかしWさんは、「大したことないよ!」と、トントン拍子で話を進め、気が付けば簡単な面接で決まってしまった。それまで居た会社を辞めることになると、敵前逃亡のように冷やかな目で見られた。ただ多くの仲間は泥船とも知らず、乗ったまま沈んで行った人も多かった。どちらがいいのか分からないが、早く逃げたのは確かだ。

捨てる神あれば拾う神あり、思えばあれから20年、稀有な人生を歩んできたが、その始まりは意外な人間関係だった。時間が経つと、自分から去って行った人も戻ってきて、今では何も無かったかのように話している。ただMさんとWさんは、命の恩人みたいな人になった。百田尚樹さんの「逃げる力」に託されたメッセージは、「大事な妻(夫)や家族を持とう」だった。私の場合、それに加えると短な遊び仲間がいた。そんな事を思い出した。