その江田島には、ハワイ奇襲の時の特殊潜航艇が飾ってある。戦後、アメリカから返却されたものである。資料館には勿論その九軍神も祀られていたが、俗に言う捕虜第一号となった酒巻少尉の写真も並べてあった。係りの人によると、その酒巻さんのお孫さんが暫く前にやってきて、「(祖父は)日本が戦争に勝っていたら処刑されていました」と語ったという。酒巻さんは戦後、トヨタのブラジル社長として活躍された。詳し事は分からないが、お孫さんはブラジルから来た人だと言うから、氏は現地で結婚したのだろうか?時代を経てそんな話を聞ける平和を感じた。
実は酒巻さんを知ったのは、テキサス州を旅した時だった。それはミニッツ提督の故郷のフライデリックスブルグで、立派な太平洋戦争博物館が建っていた。座礁してオアフ島に打ち上げられた酒巻艇は、引き揚げられアメリカの各都市を巡回し、戦争国債のPRに駆り出された。その後永久の住処になったのが今の博物館だった。偶然その特殊潜航艇と対面した時は流石に驚いた。殆ど人も訪れることがないテキサスの田舎で、艇は久しぶりに訪れた日本人に向かって、「寂しい、国に帰りたい!」と訴えているようだった。
戦時中、特殊潜航艇は人間魚雷「回天」として進化していった。今回の旅では、徳山市から船で渡る大津島でその回天の訓練場を訪れた。今ではコンクリートの残骸と記念館だけが残るヒッソリとした場所だった。ただ艇を隠した立派な洞窟だけは、当時の面影を十分残していて怖かった。思えば、回天の発案者の仁科中尉の故郷である佐久市の貞祥寺や、靖国神社の遊就館など、あちこち彷徨ったものだ。赤提灯ではないが、黒光りする魚雷兵器は、その冷たい不気味さ故に、人を引き付ける何かがある。
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