Thursday, 15 March 2018

江田島の海軍兵学校

周防大島に行く前に、江田島の海軍兵学校を訪れた。子供の頃に一度行った記憶がかすかに蘇ってきた。整然として校舎は相変わらず美しい。訪れる一般人が通る正門は、広大な敷地に比べると小さかった。それは、多くの関係者は海から来るからだと聞いて納得した。

改めて明治以降の富国強兵の原点を見た気がした。「強い国はまず人造りから」、そんな時代の雰囲気が伝わってくる。アメリカのウエストポイント、英国のダートマスと並ぶ世界三大海軍兵学校、改めて明治という時代は凄かった。係りの人によると、校舎の煉瓦は英国から運ばれてきたと言う。屋根の瓦は一枚20銭、当時の職工の月給が13銭だった頃だった。その姿は当時のままだ。本土空襲が始まる中、呉への爆撃は激しかったが、米軍は終戦後を考えて爆撃対象から外したという。その講堂には接収後に聖母マリアが置かれた教会に変身した。当時そこで各国から来賓を招いて卒業式が行われた。成績順で証書が渡され、1番から200番までの生徒が順次壇上に上がった。そう言えば、今でも官庁採用の「公務員試験XX番」は、この辺から来たのだろうか?

印象深かったのは、卒業生の遺品を預かった建物だった。東郷元帥の遺髪始め、横山大観やフジタの絵画も陳列されていた。何やら終戦時には4万点もの遺品があったが、米軍の接収を恐れた関係者が3万点を焼却、残る1万点を2つに分け寺に隠したという。その寺の名前を聞き逃してしまったが、当時の混乱が伝わってきた。

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