Wednesday, 28 February 2018

老犬の死


今週、長年飼っていた犬が死んだ。172か月だったので、人間で言えば100歳を超える大往生だった。最後の半年は腰が立たなくなり、所謂寝たきりの状態が続いた。ネットで調べると、寝たきりになると持って一年と書いてあったのは本当だった。最初は前足が使えたので、オシッコは支えて庭で済ませた。やがてその足も駄目になったので人間のオムツを充てた。ずっと横になっていると床づれが出来て、熟んで血が出始め痛そうだった。昔から良く無駄吠えする犬だったが、鳴き声も「イタイイタイ」に心持変わってきた。そして最後の一週間は食欲も低下し、飲む水も少なくなってきた。暫く前から目は見えないし耳も聞こえなかったが、鼻だけは健在だった。肉を焼くと反応したが、段々その肉も食べられなくなってきた。もう今夜が山かな?と思っていた日、大きな息をしたかと思うと、それっきり動かなってしまった。

その犬は、(もう死んでしまったが)やはり家で飼っていた父親の子供だった。ある時、近所の雌犬を飼っている人がやってきて、「掛け合わせて貰えませんか?」と頼まれた。「どうぞどうぞ」と元気一杯の雄犬を差し出すと暫くして8匹が生まれた。黒が2匹、白が6匹、その中から貰った1匹が今回死んだ犬だった。親子で飼っていたので、いつも父親ベッタリだった。寝る時も父親に寄り添い、脱走しても必ず一緒に捕獲された。ただ父親と違って頭が悪く、教えても覚えは悪いし、無駄吠えが直らなかった。「きっと母親の血を引いたんだ」みたいな悪口で慰めた。それから人や散歩中の犬を良く噛んだ。メーター検針のおばさんや宅配のお兄さん、すれ違いの散歩犬は数い切れない。事件も多く、あちこち頭を下げて廻ったのは辛かった。

残されたのは5歳の犬である。来た時からずっと一緒に暮してきた。老犬が寝たきりになってからは良く顔を舐めていた。それも動物の本能ってものかと眺めていたが、流石に動かなくなると変だと思ったのか、ショックを受けたのが分かった。呼んでも来ないし、生まれて初めて一人で暮らすようになった心細さが伝わってくる。今度はそっちのケアが始まった。

Monday, 26 February 2018

クロスカントリースキー


冬季オリンピックも閉幕した。日本人選手が大活躍して盛り上がった2週間だった。特に羽入選手の時には多くの仲間がTVの前に集まった。一緒に観戦すると又格別で、演技が終わると貰い涙してしまった。そんな中で渡部選手に刺激された訳ではないが、久々にクロスカントリースキーをやってみたくなった。

クロスカントリースキーは、数年前バルト海に住んでいた頃の土産である。冬の寒い中、どうしても運動不足になってしまうが、唯一体を動かせるのが町の体育館だ。ただそこは陸上、テニス、バスケなど、多くの人が集まるので狭い室内は危険と隣り合わせだった。周囲を走っていると横から砲丸が転がって来るし、ジョギングしていると短距離走の選手と接触する。そんな時は、やはり思い切って郊外に出るに限ると思い、始めたのがクロスカントリースキーだった。マイナス10度の中、バスを乗り継ぎ郊外のコースに行き、レンタルのスキーを借りた。ダウンヒルと違い、スキー板の幅が狭いのでバランスを取るのが難しい。地面が平らなので、漕がないと直ぐ止まってしまう。単調で決して楽しいスポーツではなかった。

今回久々に挑戦してみたが、その印象は昔と同じだった。行ったのは日光の戦場ヶ原、5㎞程の人も疎らなコースを歩いた。自身の滑る音だけが響く静かな世界だった。終わって近くの温泉に浸かると、こちらも水の流れる音だけが聞こえてくる静けさだった。改めて北欧の国ならいざ知らず、誘惑の多い日本で、それを極める人の孤独を思ったりもした。雑踏から逃げて来たのに、誰も居ない自然の中は不安になってしまう。

Saturday, 24 February 2018

グレンコーの渓谷

酒屋でFort Williamと言う名のスコッチを見つけた。Fort Williamはスコットランドの港町である。過去に2度訪れたので思い出が蘇ってきた。2回も行ったのには理由があった。最初に行った時は、町から海岸沿いを南下しグラスゴーに出た。しかしその後、民宿で一緒になったドイツ人から、近くのグレンコー(Glen Coe)の美しさを聞かされた。以来ずっとその事が気になっていたので、その2年後にチャレンジした訳である。そのグレンコーはハイランド地方の雄大な渓谷である。2回目はその霧に包まれた谷を経て、今度は内陸からグラスゴーに出た。


景勝も沙流事ながら、その地を有名にしたのは17世紀の惨劇であった。スコットランドの歴史はイングランドの抑圧に尽きる。それを象徴したのがこの事件だった。それは村人のマクドナルド一族40人が、政府の兵士によって殺害されたものである。今だに人々の郷愁を誘うのは、2週間近く村に滞在した兵士に、村人が手厚いもてなしを施した後だったからだ。一連を紹介しているインフォメーションセンターでは、その生き残りの話も出ていた。末裔のマクドナルドはアメリカに渡り、インディアンの娘と結婚し12人の子供を儲けたようだ。スコットランド民謡は陽気なメロディーだが、どこか物悲しく、このグレンコーと重ねると一層旅情を誘うのである。特にUtisetaやCoilsfield Houseの歌は遂々聞き入ってしまう。

Fort Williamも名前の通り、昔は兵士の駐留町だったのだろうか?今ではB&Bの民宿が立ち並んでいる。2度目に泊った宿では、夜に女将さんの親戚から電話があり、それは不幸の知らせだった。動揺するおばさんがとても気の毒だったので、翌朝は食事もせずに発った。かと思えば美しい虹にもお目に掛かったり、町のゴルフコースも廻ったし、スカイ島のタリスカーの蒸留所も行ったり、それは楽しい旅だった。

Friday, 23 February 2018

血液型とハゲの関係


高校生の頃、クラスに勉強が良く出来たT君がいた。そのT君からある時「君は将来ハゲるよ!」と言われた。何気ない一言にショックを受けた。鏡を見ては頭髪を掻き揚げ、髪が無くなった顔を想像し暗い気持ちになった。そんな折、頭髪は母方の親父に隔世遺伝すると何かの本で読んだ。祖父は確かに薄かった人だったので、次第に心配は確信に変わって行った。そこで小遣いを叩き高価な養毛剤を買った。当時は2種類の液を順番に振り掛けるのだったが、強烈な匂いがした記憶がある。

しかしそんな心配を余所に、60歳を過ぎてからもお陰様で髪は健在している。いろいろ裏切られることの多い中で、これだけは予想もしていなかった幸運だった。最近、竹内均さんの「雑学の本」を読んでいたらその訳がやっと分かった。それはハゲと血液型の関係で、AB型は比較的禿げる確率が低いという。高いのはO型、A型は中途半端なハゲかたで、B型は少しだけ残るそうだ。自身はAB型だったので謎が解けた気分になった。

確かに調べてみたら、三浦友和、別所広司、島田紳助、反町隆史、柳沢慎吾・・・AB型の芸能人は皆頭が健在だった。しかにそんな事が早く分かっていれば、青春時代にあんなに悩まずに済んだのに・・・。

Wednesday, 14 February 2018

スイスのマーティン

先日、駅前で現役の自衛官が制服姿で何かを配っていた。気になったのでこちらから頼んで貰ったところ、それは自衛官の募集要項だった。迷彩色のティッシュペーパーに、募集の要綱が入っていた。幹部候補生は陸軍だと165名だった。一方兵隊を指す一般曹候補生は3000名だった。海軍は120名に対し1300名だったので、やはりそれだけ陸軍は消耗率が高いのだろうか?なんて勝手に想像した。それにしても現役の自衛官が街頭に立つなんて異常だ。軍事費は増えても所詮それを操るのは人が足りない?徴兵制も時間の問題なのだろうか?そんな危惧が頭を過った。

その昔、皆兵制のスイスで、友人の結婚式に参列した事があった。18歳の時に知り合った同い年のマーチンは、当時から髭を蓄え大人の風貌があった。20歳で徴兵されその後チューリッヒの小学校の先生になった。無事兵役を終え、その時は地元の先生になって、結婚式には既に子供もいた。

その晩は彼の家に泊めて貰うことになった。スイス人は質素とは聞いていたが、出された食事は喉を通る事が出来なかった記憶がある。朝起きると、一家の自給自足を紹介された。例えばトマトやレタスの農作物ばかりでなく、養殖して販売する蛇や昆虫に囲まれていた。とてもチューリッヒのイメージとは程遠い田舎生活だった。元来スイスの物価は高く、麻薬患者の多いから、その清楚なイメージとは真逆の荒々しい国である。永久中立国の美しい言葉の陰には、こうした現実があるからこそ国が持っているのかも知れない。

Tuesday, 13 February 2018

軍服姿が似合う人

暫く前に友人のT君に誘われ、加山雄三を聞きに行った。オーチャードホールの会場は満員で、結構若い人も来ていたのには驚いた。御年80歳、聞く方も年賀状ではないが、歌は兎も角、生存確認のような行事になっている。当日のゲストは谷村新司さんだった。谷村さんは田舎から出てきて大学を受験した時、若大将シリーズの西南大学を志望校に書いた話をしていた。その夜も二人の合作「サライ」や「星の旅人」など披露していた。

加山さんはスキーや水泳のスポーツマンだ。当時は体育会が幅を利かせる時代だったが、彼は今で云う典型的な同好会派だった。それでも腕前は国体級だ。松岡修三のお父さんや岡留さんが卒業を境にラケットを捨てた一方で、加山さんは歌いながら楽しんで来た。云わばスポーツを人生に取り込んだ功労者だ。コンサートの帰り道、ふと「俺もこの人が居なかったらここまでやっていたかな!」と思ったりした。

最近、加山さんと同世代の夏木陽介さんや佐藤允さんの訃報が相次いだ。三人は若い頃「青島要塞爆撃命令」や「太平洋の翼」などで共演したが、皆んな軍服が良く似合う人達だった。特に当時の夏木さんは目が輝いていた。そんな遥か昔の事を思い出した。

Sunday, 11 February 2018

国際化するスキー場

今年もスキーを楽しんでいる。どこに行っても外人ばかりだ。湯沢では平日の多い時には、8割が外人だと言う。近場の湯沢は中国、韓国始め、東南アジア系が多く、滑らずに雪遊びに来る人もいる。そんな遂にモンゴル人の経営するレンタルスキー屋も出来た。一方、オーストラリア人は北海道、長野など遠くに2週間程度滞在する。

中国人や韓国人とは殆ど会話を交わすことはないが、そんなオーストラリア人は気さくに話しかけて来る。リフトで隣合せたオーストラリア人は、一か所に泊り妙高、斑尾、白馬などのスキー場を梯子していると言う。加えて日本酒の酒蔵やビール工場も訪れ、すっかり日本酒ファンになったようだ。スキーの流儀も異なり、降雪の日に新雪を滑るのがいいらしい。変わっている人達だな?と思っていたが、どうやらオーストラリアのスキー場は気温が高く、アイスバーンが多いようだ。狭くて雪が重い印象のある日本のスキー場だったが、そんな楽しみ方もあるようだ。

オーストラリアでは滑った事はないが、シャモニー、バル・トランス、ティーニュ、バル・ディゼール、デュ・ザルプス・・・思えば随分ヨーロッパアルプスでは滑ったものだ。スキー場はどこも広くて立派だが、殆どコンドに泊ってスーパーで買ってきた物を部屋で食べるので、アフタースキーがつまらない。勿論レストランはあるが、高いし毎日という訳には行かない。その点、日本の田舎町は居酒屋が多く、何より星の数の如きある温泉が魅了的だ。特に野沢、湯沢、蔵王などの大きな温泉町はいいし、宝台樹や水上など群馬の小さなスキー場も、それなりの雰囲気がある。環境を整備すればまだまだ伸びる余地がある気がする

Wednesday, 7 February 2018

ツークシュピツェの飛ぶ教室


日曜日のTV番組、サンデーモーニングを見ていたら、今ベストセラーの「君たちはどう生きるか」の話題になった。するとコメンテーターの誰かが、「あの本は飛ぶ教室に似ていますね!」と言った。あのドイツ人作家ケストナーの作だが、どちらも戦時中の言論統制の厳しかった頃に書かれた本である。主人公も中学生位の子供である。気になったので早速図書館から取り寄せて読んでみた。吉野さんの本は教条的でしっくり来なかったが、こちらの方は滑らかなタッチが快かった。子供のケンカで傍観した方も悪い!と先生が叱っていたのが、風刺掛かっていた。

その「飛ぶ教室」の冒頭に、ドイツの主峰ツークシュピツェが出て来る。バイエルン地方に聳えるオーストリアとの国境の山である。小説ではそこで少年が夏休みの宿題で小説を書く。少年が書いた小説は学芸会の脚本で、エジプトや北極に飛ぶ短編だった。空想豊かな処はあのジュンヌ・ベルンそっくりだった。ドイツ人の想像力が豊かだったのか、それとも欧州の風土がそうさせたのか、中々日本の子供には真似できない世界だ。

ところで、その「飛ぶ教室」を最初に教えてくれたのは同僚のH君だった。10年程前にH君とミュンヘン郊外に出張した時、そのツークシュピツェに登ったのが縁だった。ホテルでレンタカーを借り、1時間ほどでドイツアルプスの麓に着き、そこから山頂まではロープ―ウェーで行くのだが、その時H君は「この山って、あの飛ぶ教室の舞台ですよ!」と言う。子供頃に読んだ記憶が蘇ったらしく痛く感動していた。山頂から眺める景色は素晴らしく、時間を超えて正に本の世界が飛んで来たのであった。

Tuesday, 6 February 2018

モルジブの難破船

David Gibbinsのスキューバーダイビングを読んでいる内に、「そう言えば、俺も難破船を見に行ったっけ?」と思い出した。今から30年程前だったか、スキューバーのライセンスを取った頃だった。遥々飛行機に乗ってモルジブまで潜りに行った。

日本からのツアー参加者は、皆自身のウエットスーツやレギュレーターを持参していた。どう考えても夫婦でないカップルが多かったのがやけに気になった。そんな人達と小さなボートに揺られ何時間だったか、やっと島に着いた。途中の荒波で船酔いし、着いた頃にはヘトヘトになった記憶がある。その島で難破船を巡るツアーがあった。小舟で沖合まで出てスポットに辿り着くと、そこから一気にダイブして20~30m程潜ると確かに船の残骸があった。私は片方の耳の抜きが遅いので、途中で皆のペースに追いて行けず苦しかった。

そのモルジブだが、今日のニュースでは非常事態宣言が出ていた。とても観光処ではないのだろうか?

Monday, 5 February 2018

David Gibbinsの小説

去年の夏にトランジットしたのがドバイ空港だった。そこの本屋で買ったDavid Gibbinsの「Testament(遺言)」をやっと読んでみた。バビロニアの財宝を発掘する話だが、第二次大戦の時にナチが手に入れようとし、その情報を英国情報機関にキャッチされ船を沈められる。その海底に沈んだままの財宝の謎に立ち向かう。

読んでいる内に、昔に凝ったクライブ・カスラーの小説を思い出した。カスラーの主人公はピット、こちらはジャック、どちらも海を仕事にするダイバーである。こんな面白い本が翻訳されていないのか?と思って調べて見たら、今まで2冊出ていた。一つはアトランティスを探せ(原題Atlantis)、もう一つは「ユダヤの秘宝を追え(同Crusader)」だった。どちらも読んだことは無かったが、2005~2006年の1~2作目とかなり昔の作だった。ただそれ以降は出ていないようで、このTestamentはジャックシリーズの9作目、昨年に出版された最新作だ。

物語にはフェニキア、エジプト文明やソマリヤの海賊、また日本海軍の潜水艦も登場し、ナチのUボートと交換物資を行う。それがウラニウムとゴールドで、物語を面白くしている。古代の歴史にはちょっと付いて行けない処もあるが、かなり歴史に精通していないとこんな小説は書けない。そう思って著者を調べてみたら、ケンブリッジ大の考古学のPhDだった。原書で読むのは時間が掛かるが、だったら未だ日本では出ていない3~8作に挑戦して見ようかという気になって来た。

Thursday, 1 February 2018

冬の宇部にて

年は明治維新150周年だと首相が言う。長州の安倍さんだから、思いも一入のようだ。そんな中、冬の宇部市を久々に訪れた。相変わらず海沿いのコンビナートを除けばひっそりとした街である。ガランとして人気のない感じがする。地元の山口大の前を通ると200周年の看板が出ていた。本当かと思って地元の人に聞くと、前身の藩校だった山口講堂があったと教えてくれた。あまり聞いた事はないが、幕末の志士を育てたのだろうか?今になってはその面影は全く感じられない。

寒かったので早めに居酒屋の暖簾を潜った。地元の山頭火と山猿という聞き慣れない地酒が出て来た。やはり地の蒲鉾と長門市の地鶏を肴に暖を取った。

飲んでいる内に、その山口大に行ったTさんを思い出した。子供の頃の友達だったTさんは、大学受験の時に第一志望を東京の国立大学、第二志望を地元の山口大にした。その東京の大学を受ける時、上京して久しぶりに会うと結果発表を見て送って欲しいと頼まれた。して発表の当日、目を皿にして番号を探したが結局見つからなかった。「桜散る」の電報を打つ時は本当に気が滅入った。そしてTさんは山口大に行くことになったが、以来関係は疎遠になり二度と会う事はなかった。こうして来てみると、遠い昔の事だが、この地で過ごしたTさんに複雑な思いを馳せるのであった。