この夏に、クロアチアのプーラ(Pula)という町に泊まった。ローマ時代のコロシアムが残るアドリア海の古い町だった。泊まったのは地元の人に教えてもらった大きなホテルであった。受付の女性が、「ここは昔XXも泊まったのですよ」と教えてくれたが、その人が誰だか分からなかった。ただどこかで聞いた名前だったのでずっと気になっていた。
ところが最近古本屋で買った「フランツ・ヨーゼフ、ハプスブルグ最後の皇帝」を読んでいたら、何とその時の話が出ていた。時代は1875年4月、まだ日本では明治維新が終わり廃藩置県の行われた頃だった。当時のハプスブルグ家の皇帝フランツ・ヨーゼフが、領地のダルマチア地方(今のクロアチア)を視察で訪れた時に寄ったのであった。ハプスブルグ家は既に退潮していて、当時はオーストリア・ハンガリー同盟と呼ばれていた。それも当時台頭してきたプロイセン(後のドイツ)に、ケーニッヒグレーツの戦いで敗れた後であった。そんな中、何とか繋ぎ止めようと思ったバルカンの領地も、その後ロシアに取られてしまった。
皇帝が泊ったホテルは、起きて窓を開けると目の前は港であった。季節こそ違うが、窓から差す朝日は眩しかった。彼はそこから東の端のコトルまで行った。それはこの夏に車で走った逆コースであった。黄昏を迎えたヨーゼス皇帝も同じように港を見ていたかと思うと、時代と時間を超えてシンクロするのであった。
No comments:
Post a Comment