Saturday, 9 September 2017

物乞いの話

トランプ大統領が韓国を「物乞いのようだ」と例えた。どういう状況でそう言ったか分からないが、英語でlike begging と表現したようだ。これが切掛けで、物乞いの英単語beggarを覚えた。正にその言葉は今の韓国を端的に象徴しており、慰安婦像や徴用工の話はこの言葉に尽きる気がした。

海外を旅していると、よくそのbeggarが寄ってくる。小銭を渡すと満足せず、図々しく「1ポンドコイン、1ユーロコインはないか?」と聞き返される。渡す方の気持ちになると、恵んであげるの善意が前提になっている。ところが相手はそれを職業としているので、全く感謝の気持ちはないどころか、カモを見つけた程度にしか思っていない。そのギャップが分かると後で不快な気分になるが、その時は時既に遅しである。Beggarにも色々あって、中には「ビールを奢ってくれないか?」という輩も居れば、beggarbeggar、つまり同僚の金を狙っているワルも居る。いつも寝ている赤ん坊を抱いて同情を誘うのはロマの女性、ロマの男は礼拝でもするように跪くなど形は様々だ。大人のbeggarは断ると直ぐ引き下がるが、子供は何度でも食い下がってくる。

一方、日本の物乞いは少し様子が違う。以前にこのブログでも書いたが、静岡の地下通路に座っていた老女がいた。小奇麗なセーター姿で座布団に正座していた。一度通り過ぎたが、気になって引き替えし小銭を投げ込むと、深々と頭を下げた。国内では殆ど見ない光景だったし、まるで近所の人が本当にお金に困っていたかのようだった。

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