シベリアの強制労働はスターリンの意向だったという。彼の独裁と粛清は有名な話だが、バルカンを旅していると、その残虐性の原点は正教の宗教と関係しているように思えてくる。つまりキリスト教は神を司る法王と実務の皇帝が分かれていたが、正教では両者が一体だった。そのため、権力を握るとオールマイティになり、人をして歯止めが効かなくなったと言う説である。何となく分かる気もするが、そのソ連も昔から正教だった訳ではないから複雑だ。それは、ビザンチンがオスマン帝国に敗れた辺りから、東ローマ帝国の威光をロシアが受け継いだからだ。
そう思うと、占守島で戦死した人、捕虜となってシベリアの寒さで亡くなった人、それは歴史のイフではないが、ビザンチンがオスマン帝国に滅ぼされなければ、その運命に出会わなかったかも知れない・・・ということになる。余りの飛躍だが、未だ旅の熱が冷めないのかもしれない。
No comments:
Post a Comment