第二次大戦が終わり、ヨーロッパでは米ソが東西の国境を設定した。所謂鉄のカーテンだが、その一つがノヴァ・ゴリツァだった。パリ条約で1947年に突然町の中に国境線が引かれた。当時はスロベニアでなくユーゴスラビアだった。市民は普段通っている道路が鉄条網で閉鎖され、兵士が監視で立つようになったのを見て、初めて事態の深刻さを目のあたりにしたようだ。以来、70年に渡り、イタリア側は自由に発展し、ユーゴスラビア側は統制経済の下に時代に取り残された。
今では駅の前に埋め込まれた墓標と、申し訳け程度の記念館が残っている。あまり訪れる人も殆どいないのだろうか、恐る恐るドアを開けると真っ暗な中に係りの人が座っていてビックリした。中には当時の米軍が鉄条網を轢く光景や、国境で記念撮影する新婚の写真が飾られていた。折角なので、70年前に霧消した墓標を跨いで当時を思い浮かべた。国境は2004年にスロベニアがEUに加盟した際に無くなったが、朝鮮半島の38度線は残っている。どちらも大国の利害に翻弄されたのに、未だにその過去を引きずっている人々がいるかと思うと、少し不憫な気持ちになった。
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