大手町に久々に行くと、開発工事の真っ最中であった。昔の合同庁舎跡地には新しいビルが建ち、その横の残された一角で、三井物産、旧長銀、旧三井生命ビルなどがあった場所である。でも、あの平将門の首塚はどうかったのだろう?と心配になったが、無事に保護されているようだ。
平将門は平安時代の武将で、朝廷に逆らったために不運な処遇を得たという。永年に渡りその墓の祟りは尽きず、ビル工事に携わる人が怪我をしたり、オフィスで墓に背を向けて座ると出世出来ないとか噂は尽きなかった。その極め付けは90年代のバブルの終焉であった。大手町から日比谷に移転した某銀行は破綻した。当時から「霞が関に近づいてはいけない!」と言われていたジンクスが本当になったが、将門塚を後にしたことと関係なかったのだろうか。
将門も時の権力に歯向かった象徴である。ひょっとして、その教訓を未来永劫、記憶に留めようとしているのかも知れない?なんて事が頭を過った。大手町ビルの地下街だけは昔のまま残っている。そこの「玉の光」に寄り、変わりゆく街の姿と変わらぬ将門塚を重ねたのである。
No comments:
Post a Comment