ジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記の最終本、「これこそ男だ(This Was A Man)」を読み終えた。何と言っても5年で7冊目になる歳月が掛かっている。最後はどういうオチがあるのだろう?それを一途にここまで来たが、至って平穏で彼の人生を振り返るものだった。
最大の謎は、主人公のハリーと妻のエマの父親が同じかどうかだった。物語の始まりが、それらしき伏線から始まっていたから最もである。ところがそれも最後はDNAでさらっと流して、やはりハリーの父は本来の親だったと片付けていた。長い物語ではそれが大きなテーマで、2人の結婚の障害でもあっただけに、少し肩透かしの感があった。しかし下世話な憶測を他所に、信じた愛を全うする姿こそが、正に著者が描こうとした処だったのかも知れない。
読んでいて今に通じる面白い箇所も多かった。例えばレディー・バージニアが再婚した男から収入を得るが、贈与だと莫大な所得税が掛かるのでローンを選択する。ところが夫が死亡すると返済義務が生じてしまう・・・、また遺産で相続した陶磁器を換金しようとするが転売禁止だったり、財産目当ての結婚は結局元も木阿弥であった。また夫婦の会話に、さだまさしの関白宣言ではないが、「俺より早く逝ってはいけない」みたいな件がある。それではどの位待てばいいかというと、本文の中ではfortnightという単語が出てきた。調べて見ると2週間という意味だった。本書のタイプはStorytelling(語り)というらしく、原書ならではの発見も多かった。ともあれ長い間読者としての義務も果たした気分になりホッとした。
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