Friday, 9 December 2016

中島飛行機の富嶽

太平洋戦争の開戦日に放映された、NHKの「幻の飛行機計画」は良かった。隼などを製造した中島飛行機の爆撃機「富嶽」の話であった。終戦末期に、B29を上回る性能でアメリカ本土を爆撃する壮大な発想だった。結局は生産に至らなかったが、1万mの高度を保つターボ技術が日本に無かったという。

面白かったのは、番組の最後に若い軍事評論家が「中島知久平は戦後の旅客機まで考えていたのではないか?」と好意的なコメントをした。ところが当時を知る年配の技術者は、「それは違います。設計に携わった人達は勝つことだけを考えてやっていました。だから戦後は誰も当時を語ろうとしなかったのです」とポツリと語った。それがとても印象的だった。

以前、群馬県にあった中島の小泉製作所跡を訪れたことがある。今では分社化し企業の工場地になっているが、辺りには当時の面影が所々残っていた。例えば東武鉄道の西小泉駅は小さな駅だが、そこが終着駅になっていた。不自然だが、良く見ると工場まで延びていた線路が道路に埋められていた。また工場前の道路は長く真っ直ぐだった。昔は滑走路だったことが容易に想像出来た。それにしても、凄い飛行機を考えたものだ。

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