Mさんは腕前こそソコソコだが、愛嬌あるプレースタイルからチャン付けで呼ばれていた。ただそのコミカルな風貌とは裏腹に、東大紛争の安田講堂に立て籠もった戦士であった。よく「若い頃は壁の向こう側で過ごした」みたいな話をしていたようだ。最後は、看守との生活も面白可笑しく話せる年頃になっていた。
安田講堂の紛争は1969年、今から思えば学生運動の始まりだった。ベトナム戦争の厭世が日本にも伝播し、戦中戦後から続いた権威への不信感が頂点に達した頃だった。雀荘にこそ入り浸らなかったが、殆ど学校に行かないまま卒業した。革丸や民青、思えば日本が青年から大人になる過渡期だった気がする。あれから47年、過激派もノンポリもそれぞれの人生を歩み、またこうして同じ道に戻ってきた。
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