Wednesday, 28 September 2016

伊勢籐が恋しくて

便利なようでイライラする都会、どうして欲しいかと聞かれれば、迷いなく「静かにしてくれ!」と言いたい。特に電車の車内放送は最悪だ。毎日通勤している人ばかりなのに、次の駅名放送など本当に馬鹿げている。

多くの人が集まる飲み屋もそうだ。3人も集まればテンションが上がり、30分もすれば殆ど奇声に変わる。特に若い人、それも会社仲間だと尚更だ。黙っていると分が悪いのか、我先に話し出す傾向にある。そんな時、静かに飲みたいな・・・といつも心の中で思う。ボソボソと、途中で話が中断して、又我に返って「何を話していたんだっけ?」と会話が再開する・・・そんな間合いの中で飲みたい。

若い頃よく神楽坂に通った。勿論お目当ては毘沙門天の前の路地を入った小料理であった。新政の樽酒が置いてあった。その道すがらに、今でも健在の「伊勢藤」があった。最近でこそご無沙汰しているが、煩い客は追い出されるし、酒も2合までであった。炉端から運んでくる熱燗は風情があったし、何より泉鏡花になったような大正時代の趣があった。今どきそんな場所ってないのだろうか?

Tuesday, 27 September 2016

Cuba & Godfather

"I am coming back from Cuba!" that my friend said to me. Since US moved to normalize the relationship, Cuba has attracted to attention for the tourism. He was one of the man who quickly responded.

Prime Minister Shinzo Abe also visited there last week. It was an impressive speech that he quoted Hemingway`s novel and this beautiful marine charms the world people from old days.I don`t know much about Cuba but am familiar through the Godfather movie. It was in part II that revolution happened in Habana during the evening  reception and all American including Michael tried to escape from the country.

My friend also told it costed only $10 for big red lobster with salad and wine. It looks price is very cheap now. Seeing his pitures, Spanish colonial style building make us nostalgy for old days. I would like to visit once in my life.   

Monday, 26 September 2016

ヴォズニアッキの優勝

今週のテニス界は、大阪なおみの活躍が話題になった。日本人離れしたプレースタイルに、誰もが伸びしろを感じた。その東レパシフィックだが、優勝したのはヴォズニアッキ(Caroline Wozniacki)選手だった。派手さこそないが、ベースラインから繰り広げる鉄壁のストロークは、今回も終始安定していた。

そのヴォズニアッキだが、2010年に本大会で優勝している。その年の3月には東日本大震災があったので、コートでは「貴方と同じ気持ち!」と書いた日の丸を持って写真に納まっていたのが印象的だった。彼女は早咲きで、当時は20歳で世界NO1のランキングであった。国籍がデンマークということもあり、バルト海ではCMに連日出ない日はない人気者だった。中でもトルコ航空のコマーシャルは、3分間ほどのコマを日に何度も放映していた。

そんな彼女も26歳になった。相変わらずお父さんが横に付いてサーキットを廻っている。サービスを構える目線が獲物を狙う姿は、昔に比べれば鋭さがないが、勝負への執念はまだある。特に準決勝のラドワンスカ戦でそれを感じた。女子テニスは華やかさが大事なので応援している。

Sunday, 25 September 2016

クリミア戦争の映画

今年は良く雨が降る。中々外に出れないので家でビデオを観た。この夏、ブルガリアのシプカ峠を訪れたこともあり、クリミア戦争の「遥かなる戦場(原題:The Charge of the Light Brigade)」を思い出した。改めて見てみると、この戦いでロシアは敗れたが、400年の長きに渡ったオスマン帝国の終焉を物語っていた。この戦いから20年後、今度はシプカ峠の戦いで遂にロシアはオスマン帝国を破った。

映画はイギリスの参戦を皮肉っている。凋落のしかも異教徒に犠牲を払ったからだ。ロシアは熊、オスマンは鶏、大英帝国はライオンである。その眠れる獅子ライオンが目を覚まして熊を退治するのだが、予想外に苦戦した。原題の”騎兵旅団の突撃”は、一瞬にして1/3の騎兵を失ったヴァラクラヴァの戦いを指している。

映画の中にWubbly officerという単語が出て来る。蜘蛛の巣に揺られるような不安定から転じて”頼りにならない士官”という意味だ。それは当時の大英帝国の一面を象徴しているかのようだった。

Saturday, 24 September 2016

生きて帰って来た男

昨年の小林秀雄賞を取った本だというので、小熊英二著「生きて帰って来た男」を読んでみた。父親のシベリア抑留と、戦後の半生を描いたノンフィクションだった。ごく平凡な市民が戦争に巻き込まれ、過酷なシベリアで生死を彷徨う・・・まるで濁流に飲み込まれた小枝のようであった。

本の中に死亡率の話があった。ドイツ軍の捕虜になったソ連人は6割、逆にソ連軍の捕虜になったドイツ人は3割、シベリアに抑留された日本人は1割が死亡したという。ソ連の扱いが良かったのは意外だった。中でも収容所の奥さん達は温かったようだ。そう言えばインドまで6000kmを歩いた「脱出記」も、看守の奥さんの手心があった。

読んでいて、映画「ひまわり」を思い出した。ソフィア・ローレンと「戦争と平和」のリュドミラ・サベリエワの演技が冴えた作品だ。ロシア戦線で行方不明になったイタリア人の夫を探すストーリーである。背景には、戦争で男女比が1:9になってしまった現実があった。華々しく鉄砲を撃ち合うばかりが戦争ではない・・・。

Wednesday, 21 September 2016

ラスベガスのプレスリー

夏休みもそろそろ終わりになってきた。海外に行った人も多く、シカゴ、スペイン、タイ・・・世界のお土産話が帰ってきた。中でも最近国交を回復したキューバに行った人もいた。メキシコ産の辛いピーナッツが珍しかった。そんな中にラスベガスの人も居た。カジノ好きなAさんは連日スロットマシンとブラックジャックで過ごしたという。

ラスベガスと聞いて、40数年前を懐かしく思い出した。グレーハウンドバスで全米を一周した途中、寄ったのが砂漠の町ラスベガスだった。たまたま誰かがエルビス・プレスリーのショーがあると教えてくれた。値段は忘れたが、決して安くはなかったはずだ。チケットを買ったものの、着いたシーザース・パレスは超高級で、ジーンズ姿の学生は当然尻込みしてしまった。中に入ったものの端の方で遠慮していると、タキシードとドレス姿のアメリカ人グループが「こっちのテーブルに来い!」と呼んでくれた。「こんな格好でいいの?」と聞くと、「ノー・プロブレム」と言う。お蔭で寂しい思いをせず楽しむことが出来た。

ショーの最前列には、サミー・デービス・ジュニアが来ていて、最後に紹介されていた。シュトラウスの「ツラトストラはかく語りき」のテーマに乗って登場したプレスリーは迫力があった。トレードマークの赤いマフラーを、観客席に投げ込むと女性が殺到した。ともあれ、これをきっかけにして、フランクなアメリカ人が好きになった。

Tuesday, 20 September 2016

Rain, rain, rain…

Rain, rain, rain… It’s a typhoon season. There are lot of unusual things happen.

There was a golf tournament this weekend that had suspended with heavy rain. This was very rare. Most of the players were disappointed with it as they were from long way to come getting up early in the morning. The problem was a green condition that green carpet made ball to stop with soaking water.

My dogs were also the same. Although they were expecting to go outside for taking a walk on their dairy work, they were obliged to stay at home whole day. The young one was Ok but an old one could not put up with waiting. He had finally pee at my library!  I shocked. 

Sunday, 18 September 2016

面接する方される方

就活も一段落したが、人事面接は人生の岐路である。採用す方も採用される方も真剣勝負である。長いサラリーマン人生から多くの両サイドに立ち会い、そこから見えて来るものがあった。

採用される側は、選ばれるので当然緊張する。しかし受験者からみれば、受けている会社はそこだけではないので実は逆面接しているケースが多い。受験者の心の中では、この人素晴らしい、!と思う反面、なんだ、こんな奴の居る会社か!、と見切りを付けてしまう事があるので要注意だ。殆どの面接官はそれに気が付いていない。

一方採用す方の原理は至って単純だ。新卒なら優の数や有名大学が有利化も知れないが、最近ではそれすらも不問らしい。況や中途なら尚更だ。それは「こいつと一緒に仕事がしたいかどうか」だろう。誠実そうで何となくスマートで感じがいい、清潔感があって言葉使いがちゃんとしていれば、9割方Okである。一方、服装がだらしなくタバコ臭い輩は一発でアウトだ。中には箸の使い方で値踏みする人もいる。その後のサラリーマン人生もそうだが、人事は所詮好き嫌いで決まるから、採用も前哨戦なのかも知れない。

Saturday, 17 September 2016

若い人とビール

恵比寿ビール祭りが始まったというので、早速初日に行ってみた。所詮ビール、去れどビール、同じサッポロでもやはり直営店の味は違う。ビールの鮮度は勿論だが、グラスがいいのではないかと思っている。

今回は若手のY君を連れて行った。社会人3年目、そろそろ社会の裏も表も分かってきた年代だ。後輩が入り、仕事の責任も増してきた。半面忙しくなり中々時間が取れないという。そこで、「それだったら、年初めに1年の休暇予定を作ってしまう事だよ!」と教えてやった。一度手帳に予定が入れば、次第に気持ちも固まって来るからだ。「そうですか・・・、やってみます!」と元気な返事が返ってきた。

話も弾んだ処で「彼女いないの?」と聞くと、「これ今付き合っている人です!」とスマホの写真を見せてくれた。何とも睦まじい2人だ。若いっていいなと改めて思った。年寄りと飲むと過去の話が多いが、若い人とは将来の話になる。気が付けば6種類を制覇したので3リットルも飲んでしまった。痛風で我慢している諸氏には申し訳ないがいい一夜だった。やはり一緒に飲むのは、若い人がいい。

Thursday, 15 September 2016

犬の効用

朝晩に犬の散歩がある。冬は寒いし、夏のこの季節は蚊に悩ませられる。インドネシア産の防蚊クリームで何とか被害を最小に留めているが、やはり犬が用を足している数秒間は鬼門である。それもこれも好きで飼った愛犬のこと、半分仕事と思って続けている。
                           それでも時々いい事もある。先日も散歩していたら、仕事帰りの女性とすれ違った。「あら可愛い!、撫でてもいいですか?」と聞かれたので、「どうぞどうぞ、これは撫でられるのが大好きです!」と差し出した。愛犬はお座りして、撫でられ易いポーズに入った。「犬が好きなのですか?」と聞くと、「ええ、本当は飼いたいのですが一人住まいなので・・・今日は私の誕生日だったので嬉しい!」と、聞きもしないのに色々話し出した。犬もいい気持になっている・・・こいつもやはりオスだからなのだろうか?と思った。

その昔、その反対の事があった。公園で赤いセーターに長い髪の少女がセントバーナードを連れて歩いていた。ポスターの絵になるような光景に、気が付くと頭を撫でていた。一言二言話す内に、近くに住む人だと分かった。それが縁で映画を観に行ったりもした・・・。

Tuesday, 13 September 2016

北岡さんの福沢諭吉

友人のM君が「これ面白いよ!」と、北岡伸一著「福沢諭吉の挑戦、独立自尊」を取り出した。M君が云うのだからと、早速アマゾンで取り寄せた。まだ5年前の本だと言うのに価格は1円だったのには驚いたが、最初の数ページでその通りと確信した。

著者は東大の先生だが、今ではJICA理事長を務める実務派だけあって、文章に思い入れと躍動感があった。勿論福沢の「福翁自伝」や「文明論之概略」などは読んでいたが、改めてその生涯が立体的になった。中津に残してきた母親のことや、結婚しても奥さん・子供を「~さん」付けで呼んでいたことなど、より身近に感じた編集だった。

特に、今に通じたのは朝鮮(現韓国)のことだった。朝鮮からの留学生を自宅に受け入れ、一方で中国との従属関係を憂いた。結果は日韓併合に至ったが、あの時に日本の傘下に入らなければ中国かロシアの属国になるしか道はなかった。そして、その後の戸籍制度による奴婢の解放も無かった。朝鮮シンパの伊藤博文を暗殺したのは全くお門違いだったし、福沢はその辺いいセンスで対応していた

Friday, 9 September 2016

Emperor`s abdiction

Since Emperor Akihito addressed his sentiment to abdicate the throne during his lifetime, one month passed. It was very sincere speaking out that most of people impressively had a sympathy. He was afraid of many ceremonies continued after his death would bring burden to Empress. The nation people accepted his will as it was very normal.


If he retires, Prince Naruhito will succeed. I like him personally that his interest overlaps mine. He used to bring Chivas Regal whisky for mountain climbing. His most favorite book is "Conte Monte Christo" of Alexander Duma, That`s exactly what I do.


Though I have no special sentiment for Emperor, I feel sometimes something different from others. If I am ordered to jump off from the cliff for dedication, I may not reject it. That`s my friend used to have told me the same thing. He has still an exstra power that we follow. It`s an oppotunity to think about Emperor system.

Wednesday, 7 September 2016

東大安田講堂のMさん

「最近Mちゃん見ないね」、クラブ仲間にそう尋ねると、「Mちゃんは3年前に死んだよ!知らなかったの?・・・」 と返ってきた。何気ない会話が一時中断した。

Mさんは腕前こそソコソコだが、愛嬌あるプレースタイルからチャン付けで呼ばれていた。ただそのコミカルな風貌とは裏腹に、東大紛争の安田講堂に立て籠もった戦士であった。よく「若い頃は壁の向こう側で過ごした」みたいな話をしていたようだ。最後は、看守との生活も面白可笑しく話せる年頃になっていた。

安田講堂の紛争は1969年、今から思えば学生運動の始まりだった。ベトナム戦争の厭世が日本にも伝播し、戦中戦後から続いた権威への不信感が頂点に達した頃だった。雀荘にこそ入り浸らなかったが、殆ど学校に行かないまま卒業した。革丸や民青、思えば日本が青年から大人になる過渡期だった気がする。あれから47年、過激派もノンポリもそれぞれの人生を歩み、またこうして同じ道に戻ってきた。

Monday, 5 September 2016

マザー・テレサの洗礼

マザー・テレサが聖人になったニュースがあった。死後19年も経って、だからどうなの?の世界に生きる者には、その意味が良く分からない。ある時、「マザー・テレサって、日本で言えばおしんのような人だね!」と言ったら、顰蹙を買ったことを思い出した。

そのマザー・テレサだが、先日たまたまマケドニアの記念館を訪れる機会を得た。首都のスコピエに新しいビルが建てられていた。スコピエは彼女が生まれて17歳になるまで住んでいた街だ。その記念館は、彼女が洗礼を受けた教会があった場所らしい。偉かったのはそこの神父さんで、彼の助言でその後アイルランドを経てインドに行く事になった。

スコピエの街は落書きばかりで荒廃していた。彼女が生まれた時は国名がコソボだったが、未だに人種の抗争が絶えない地域だ。そんな土壌が生んだ聖人って、益々分からなくなる・・・。英語ではCanonizationだから、正確には偶像化なのではないだろうか?聖人とは少し意味が違う。そんな違約も余計混乱する原因になっているかも。

Friday, 2 September 2016

ロシアの過去は問わない

2011年、エストニアが18番目のユーロに加盟した。ユーロ通貨のデザインは片面が自由である。そのためエストニアも、1ユーロ硬貨の裏面に自国の地図を描いて発行した。ところがそれにクレームしたのがロシアだった。微妙に国境線が違うと言い出した。そしてそれから3年し、両国の領土問題に終止符が打たれた。結果はロシアの国境線が残った。

北方四島を巡り、プーチン大統領が12月に訪日するという。改めてロシアの領土問題を調べてみて驚いた。それはエストニアばかりでなく、国境を接する中国・ノルウェーが、既に国境問題を決着したことだった。残るは日本だけなのだろうか?ロシアのキーワードは、「過去(歴史)は問わない」である。つまり現状の追認である。元々無毛の大地の中国ならいざ知らず、これは難しい相談だ。

エストニアの国境に住むロシア人は3万人余に対し、4島には17000人と云う。どこかに線を引くのだろうか?それに加え内なる外圧・・・エストニアの時は、NATOが「もういいだろう!」と言い出した。今回の慰安婦もそうだが、取り分けアメリカが気になる。

Thursday, 1 September 2016

俺たちバブル出向組

池井戸潤の「俺たちバブル入行組」は面白い本だった。当時の実体験が伝わってきた。バブルというと華やかな一瞬があったが、殆どはその後の後始末を想像する。戦争を始めるのは容易いが、戦後の処理にその数十倍のエネルギーが掛かる・・・。

そのバブルの真っ最中に、役所の外郭団体に出向した。仕事は楽だしノルマもない中、同じような年頃の出向者が5名揃った。金利が8%の時代、何をやっても資産が膨らむ・・・暇に任せて株で一財産を築き、ゴルフ会員権や別荘を買った人も多かった。給料やボーナスもうなぎ上りだったので、毎晩皆で六本木に繰り出した。いつも最後は西麻布の「Shirin]という店に寄った。カウンターの前に障子の格子があり、見ていると格子毎に色が変わった。ある時その仕掛けを見せてもらうと、何のことはないテレビが裏に入っていた。YMOの細野さんの店だったらしいが、他愛もない雰囲気に、当時は入り浸った。

今週、その仲間の一人から電話が掛かってきた。今度東京に出てくるので、久々に昔の仲間が集まりたいと云う。言わば「俺たちバブル出向組」、一緒に遊んだ若いプロパー達も皆んな☓△部長になっている。バブルと聞くとその後の苦い思い出ばかりだが、少しは楽しいこともあった