Wednesday, 3 August 2016

シプカ峠の戦い

旅も後半になり、最初飛ばした疲れが出て来た。そこでプロヴディフ(Plovdiv)という町で2泊することにした。大きいが、ローマ時代のコロシアム跡が残っている古い町だった。

途中、山岳ルートを通ると、山の上に大きな塔が見えて来た。近付くと急勾配の丘の上に巨大なモニュメントが建っており、その中に入れるようになっていた。偶然だったが、それは1877年の露土戦争のシプカ峠(Battle of Shipka)の戦勝記念碑であった。クリミア戦争に負けたロシアは、20年後に再度南下してオスマン帝国に挑んだ。そして遂にこの峠でオスマンを破った。両軍14万人が戦い、結果的にバルカン諸国がオスマン帝国から解放され、そしてロシアの支配下に入った一戦だった。

塔の上からパノラマが開け、オスマン軍がよじ登って来る光景が彷彿とした。それはあたかも、映画で見た203高地そのものであった。館内では当時の様子が詳しく描かれており、暫し見入ってしまった。1877年と言えば、アメリカではカスター将軍の第七騎兵隊が全滅し、日本では西南戦争、またパリではゾラの「居酒屋」に出て来る洗濯女がブリキ屋と再婚しようとしていた頃だった。耳を澄ますと兵士の怒号が聞こえてきそうだった。

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