その伊賀、甲賀から奈良に戻る道すがら、浄瑠璃寺に立ち寄った。十津川から奈良市に入る途中、市から車で5分程の地だが、住所は京都府であった。つまり県境である。その立地条件から、昨今はごみ処理場の建設予定地になっているという。
一見見過ごしてしまいそうな寺だったが、境内には藤原時代の国宝である九体阿弥陀如来像が祭られていた。聞くと、山間の目立たぬ寺だったので、永年の歴史を生き抜いたという。
元来仏像には興味がないし、(仏様には失礼だが)見ても芸術以上の価値を感じない。ただこうして千年以上も日本人が崇めていたことを思うと、知らない世界を感じる。指の生印が"お金"を意味する世俗的な今日、祖先はどんな気持ちで仏像と向かい合ったのだろう?
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