知覧、鹿屋、出水、万世、桜島・・・、南九州を旅すると未だ多くの戦地跡が残っている。知覧、万世は陸軍、鹿屋、出水は海軍、何れも航空機の滑走路を持っていた場所だ。今では農地や住宅地になっているが、微かに当時の痕跡が残っている。目を閉じれば滑走路や兵舎の風景が蘇ってくる。陸軍はドイツから技術輸入した空冷エンジンの飛燕、一方海軍は三菱のゼロ戦・・・どちらも競うように配置されていた。
戦争の様相が変わったのは特攻だった。陸軍1000機の特攻の内、半分は知覧から飛んで行ったという。知覧の歴史館に行くと、特攻は昭和20年(1945年)4月以降と記されたいた。後4か月待っていれば、若い命が救われたかも知れない。一方で、彼らの志があったころこそ戦争が終わったのだという複雑な気持ちも残った。
知覧、万世は戦後に有志が立派な場所を作った。その為遺書や引き揚げられた戦闘機が展示されていた。ただ出水は海軍司令部跡だけがひっそり残っていた。外は小高いが、地下の司令部は中々分かり難い場所だった。本物は不思議とDNAを呼び戻す。当時をもっと残して置いて欲しかった。
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