Monday, 18 August 2014

豊崎少尉の手記

終戦が迫った1945年7月28日、霞ケ浦から博多の由比ヶ浜に向けて飛び立った4機のゼロカン(零式水上観測機)がいた。搭乗員は全て学徒、予備学生の13期と14期が多かった。

機は戦闘用の固定銃を外し、特攻用の爆弾を抱えていた。して琵琶湖上空に差し掛かった頃、グラマンの編体に襲われ、全機撃墜された。8人いた搭乗員で唯一生き残ったのが豊崎昌二少尉だった。豊崎は東大から学徒に出征した14期だった。その話は、「学徒特攻その生と死、海軍第14期飛行予備学生の手記」(国書刊行会)、「三番機偵察員の記録」に記されている。

14期は訓練の時間もなく、取り分け戦死者が多かったという。戦後生き残った人達は高野山で供養の会を催した。お茶の千宗室、俳優の西村崑等々、戦後の著名人も混じっていたらしい。ただ人々の心中は複雑だ。たまたま招集された同世代、同期と言われても自ら望んで来た処でもない。同じ体験と云っても人様々、生き続ける人もいれば過去にしたい人もいたようだ。そんなことをこの時期になると思い出す。

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