一昨日は終戦の日、今年で70周年になったという。戦争を体験した人が次第に他界していく。時恰も隣国の脅威に国防の機運が擡げ始めている。歴史は繰り返すというが、そうしてはならない・・・。
終戦の日、読売新聞に小泉妙さんが寄稿していた。妙さんは慶応の塾長を務めた小泉信三の次女である。6年前に「父 小泉信三を語る」を出版し、家族から見た父の姿を紹介している。今回も記事の中で、三田の火災で火達磨になった父に、大樽で水掛けたのは19歳の妙さんだったと語っていた。信三は塾長時代、幻の門から学徒を送り出し、自らの子息も戦火に散った体験がある。「君の出征に臨んで言って置く・・・」の一節は、結婚式の祝辞でも使われたように多くの人の心を打った。その著書「海軍主計大尉小泉信吉」(文芸春秋刊)からは、教育者というより理想の父親像が伝わって来る。
火災に遭ってから顔の肉が落ち、指がくっ付いて開かない、初めて見る人に取ってはビックリする風貌に変った。1950代後半だったか、とある会で握手する機会を授かった。子供心に怖い人のイメージだったが、それが後年宝物のようになった。記事の最後で、妙さんが「終戦日と言っても特別なことをせず、テレビが点いていれば黙祷を捧げます」と言っていたのが印象的だった。
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