ナポレオンというと、今ではコニャック位しか思い浮かばないが、思えば足跡を追った時期もあった。まず生地のコルシカ島、現地語でコルス(Corse)という素朴な島だ。島は一日では廻りきれない大きさで、モヤイ像のような古代の石像が野ざらしになっていた。浜辺の砂が粗く、以前家に来た電気屋がその砂を見ただけでコルシカ島だと分かった。後で聞くと島の出身者だったようだ。昔はイタリア領だったので、ナポレオンはイタリア訛りが残り、コンプレックスだったと先の倉田さんの本では述べていた。
そして何と言ってもウォータールーの古戦場である。ナポレオンはエルバ島から脱出し、後に言う100日天下の頃、イギリス・プロシア連合軍と最後の一戦を交えた。場所はベルギーのブラッセル郊外、結果はウェリントン率いる連合軍に破れ、セント・ヘレナ島に流される切っ掛けになった因縁の場所である。今では小高い丘だけが残る草原だが、受付に立ち寄ると当時の状況を上手くまとめたビデオを見せてくれた。して映画を見て野原に立つと、静かな風が吹いている。暫し立ち止まり目を閉じると、兵士の怒号や馬の蹄が聞こえて来るようだった。
ナポレオン街道もある。エルバ島から脱出しパリに向う北上の道である。コート・ダジュールのカンヌから、途中香水で有名なグラースの町を通りグルノーブルに抜ける。夏と冬、今では両方を楽しむには最適の地域である。そしてスペイン遠征で難儀したピレネー山脈・・・、この時の勇ましい絵があるが実際は過酷だったようだ。
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