Monday, 29 April 2013

ゴールドでない連休

ゴールデンウィークの行楽地は賑わっているが、都心は至って静かだ。こういう時には、人のいない東京で過ごすに限る。道路は空いているし、レストランもガラガラだ。第一お金が掛からない。遠出をしている人には失礼だが、本当の贅沢とはこういうものを指すのではないか、と思ってしまう。

この連休制度、サラリーマンにとっては祝日が続くので有難い。ただ本当にそうなのだろうか。日本は会社ごとに休みを決めるが、フランスなどは国の専管事項だ。人々は勤めている会社とは無関係に国から休みを与えられる。国民は国と契約しているため年間XX日の休暇が保証される。そのため仮に会社を代わっても休日は持ち越される。こうして人々は、好きな時に休みを取る仕組みが出来上がる。

誰かが祭日と民度は反比例すると言っていた。祝日の多い国は途上国に多く、先進国には少ないという意味である。個人の自由の問題でもある。遅かれ一斉休業などは、その内死語になるように思う。ゴールデンウィークやお盆に旅行する高いコストは、国が個人に転嫁しているのかも知れない。戦後68年、そろそろ気が付いてもいいのではないだろうか。





Sunday, 28 April 2013

先細る寿司文化

暫く前に、知人が四十八漁場という居酒屋に連れて行ってくれた。何やら2048年には魚が食べられなくなってしまうのを懸念したネーミングだそうだ。魚の鮮度も良く、客には出世カードが渡される。課長、部長と行く度にランクが上がる仕組みらしく、サラリーマンの心も掴んで賑わっている。

かねがね、生魚の需給が保たれているのは、中国人が食べないからだと思っていた。ただ次第にお金持ちが味を知り始めた。土産にコシヒカリを抱えて帰る人も多い。美味いものは万国共通だ。特に魚は海に出れば容易に獲れる。13億人が寿司を食べ出したら、おそらく日本人の口までは廻ってこないだろう。イスラム教の豚もそうだ。まだまだ魚に比べれば安泰だが、日本のトンカツの味を知ると危ない。箸でも切れる柔らかさ、サラダ食べ放題、そしてご飯とみそ汁の組み合わせが絶妙、既に外人のファンは多い。

ユダヤ人はどうなのだろう。一説には魚は食べるが、イカ・タコ・エビ・カニの狡猾類は駄目だそうだ。まるで我が家の犬のようだ。間違って口にすると、翌日は吐いてしまう。誰がユダヤ人か、中々外見で判断し難くなったが、そう言われてみると思い当たる節もあった。銀ダラは深海魚で捕獲が制限されるし、ウナギも昨今の品薄だ。先細る寿司文化、結局流れに身を任せるしかないのだが・・・。

Saturday, 27 April 2013

Puffを歌って

昨夜は、昔の仲間と久々に母校を訪れた。新学期ということもあり、仲間と飲み会に繰り出そうとする一団がいる。その一方で、先生らしき人がそばを通り抜けて行く。いつの時代も変わらない大学の風景である。

暫く前に出来たファカルティークラブで食事をした。華やかさはないが、緑に囲まれた校舎の中は落ち着く。月日の経つのは早いものだ。正に光陰矢のごとし、少年老い易く学成り難しの半生だった。一寸の光陰軽んずべからず、・・・いくつになっても未だ覚めずに池塘春草の夢を語り、気が付けば、階前の梧葉已に秋声を聞いている。銀杏の木が大きくなった分歳も取った。

2次会は行き付けのパブ、ママはもうよろよろの婆さんになっている。皆で応援歌を歌う、これも地元ならでは。誰かがPPMの「パフ(Puff)」を歌いだす。Puff the magic dragon・・・当時のアメリカではdrug on と捩っていたという。そういえばベトナム戦争の頃の学校も揺れていた・・そんな事を思い出し、何ともリラックスした一夜だった。

Thursday, 25 April 2013

ミラノの食い逃げ


今まで何が美味しかったかと聞かれれば、迷わずミラノで食べたミラノ風リゾットである。サフランとチーズ風味、たっぷり染み込んだ甘いバターのご飯である。白ワインとの相性も最高、まるで食いしん坊の漫画に出てくるような感激であった。食後に給仕がサービスしてくれたアペレティフも素晴らしく、正に忘れられない夜になった。

ところが勘定の段階になり、クレジットカードを出すとカードは駄目だと言われた。そうこうしている内に人が混み始め、中々お金を取りに来てくれない。痺れを切らして席を立ちレジで待っていると、今度は団体が入ってきてごった返し始めた。待っても待っても無視される。イライラが募りもうこれまでとばかり、そのままレストランを後にした。所謂食い逃げである。そして疚しい気持ちでホテルに帰り、翌日はミラノを去った。

それからまたイタリアの旅を続けたが、その夜のことがどうしても頭から離れない。それもあんなに美味しいリゾットと、至り付くせりのサービスしてくれたのに・・・良心の呵責は日に日に募るばかりだ。結局、旅先から手紙を添えてお金を送った、「悪うございました」と書いて・・・。以来、折角のミラノが遠くなってしまった気がする

Tuesday, 23 April 2013

血が騒ぐ戦記本

若い人と飲んでいたら、「永遠のゼロ」が面白かったという話になった。ミッドウェーの敗因や桜花の話など、とても思うところがあったという。私も最近の1冊と聞かれれば、迷わずにこの本を挙げる。ただ戦争オタクと思われたくないので、自ら話すことはない。それだけに、この日は流石身を乗り出した。
 
その彼が、他にもその類の面白い本はないかと聞くので、何冊か紹介した。映画にもなったが「日輪の遺産」、佐々木譲の3部作「ストックホルムの密使」、「ベルリン飛行指令」、「エトロフ発緊急電」、帚木蓬生の「ヒットラーの防具」などを薦めた。外国物もあるが、ひとまず無難な線で収めた。加えて、靖国神社の遊就館に桜花の本物がある事も教えてあげた。

こうして血が騒ぐのはやはり日本人のDNAだろうか。最近もある本で、昭和17年に米国オレゴンの森を爆撃した日本機の話を見つけた。前にも後にも米国本土を爆撃したのは、これを置いてない。搭乗員は戦後アメリカから招待され、その勇気を称えられ、大統領からホワイトハウスの星条旗まで贈られたという。土浦にそれが現存しているというので、近いうちに見に行こうと思っている。



Monday, 22 April 2013

カレーの話

昔隣にインド人が座っていたことがあった。昼になると良く一緒に出掛けたが、勿論行くのはカレー屋だ。日ごとに店を替えるが、毎日は正直辛かった。ただそのお蔭で、意外と町にカレー屋が多いのも発見した。その中で彼のお気に入りはCoCo壱番、やはり美味しさは世界に通じるものがある。
 
ところでそのカレー、バーモントカレーはリンゴと蜂蜜のまろやかな味わいで、ハウス食品の長年のヒット商品である。TVコマーシャルは、最近でこそ嵐の何とかという若い男の子だが、昔は西條秀樹だった。彼の明るい歌声と共に、それまで辛くて大人の食べ物だったカレーを、子供でも食べられるようにしたのは大成功だった。

バーモントはアメリカのバーモント州、リンゴと蜂蜜の産地のところから、商品のネーミングを借用したらしい。バーモント州はカナダに接するフランス人の多い州だ。このためバーモントの本来の意味は、フランス語で緑の山(Les verts monts)だった。日本のカレーとは全く関係ないが、地元の人がどう思っているのか、いつか聞いてみたい。





Sunday, 21 April 2013

安倍さんの桜の会

今週の土曜日、新宿御苑で安倍首相主催の桜を見る会が披かれた。生憎朝から曇り空の寒い日、八重桜といってももう散っていた。それでも1万人の人が訪れたという。震災もあったので3年ぶり、景気も良くなってきたので人々の顔も明るかった。

朝9時から招待者は新宿門から入る。招待状にはご夫婦と書いてあるので、原則2人一組だ。普段は車の通らない道が、タクシーで渋滞している。入り口で日本酒用の枡が渡され、テントで楽しむという趣向だ。勿論招待なので、屋台の飲み食いは無料だ。

安倍さんも忙しかった。ももいろクローバーZなる少女隊や、由紀さおり、鶴太郎、アグネスチャンなど有名人との記念撮影の写真が新聞に出ていた。「葉桜になっても、もう一度咲く」の話をしたようだ。今の日本人はこうした華やかな権威に飢えている気がする。知事、区長なども、山ほどある公共施設で地元の人を招待し宴を披けばいい。芸能人、著名人が来れば盛り上がる。冷めた世の中だが、人々は心のどこかでカリスマを求めている。

Saturday, 20 April 2013

水素エネルギー

パシフィコ横浜に、「神奈川発、水素革命」の話を聞きに行った。何やら今日は、東名の海老名SAに水素ステーションが開設された記念すべき日だという。水素燃料で走る車は2015年から販売されるらしいが、そのインフラ作りの一環だと云う。司会は神奈川県知事の黒岩さんだった。どこかで見た人かと思ったら、元フジTVのキャスター、どうりで話し方が上手かった。
 
水素と云われても目に見えないし、どこか掘れば出て来る物でもないの実感が伴わない。元々理科は苦手な事もあり、殆ど無縁の世界である。ただ聞いている内に、水素の原料は水なので、安価、生産が無限、貯蔵可能、CO2が出ない等々・・・いいこと尽くめ、だから期待できるのだという事が分かってきた。何より日本の開発技術は世界一らしい。確かにいつまでも化石燃料を使う訳にも行かない。特に3.11以降、原発も当てに出来なくなった。30年ほど前に、落合信彦が水が石油に代わるという小説を書いていたが、今やそれが現実になろうとしている。

日本の新エネはまだまだだ。風力発電がそのいい例である。ドイツやオランダは国の風景が変わるのではないかと思うほど、あちこちに風車が立っている。アメリカも、西部劇に出てくる砂漠の岩山が風車で埋め尽くされ出した。水素ステーションは、取り敢えず100個所を目指すという。多くの人々の熱意も感じるので、陰ながら応援したい。

Friday, 19 April 2013

パレートの法則

北朝鮮問題の鍵は中国が握っている。しかし国境を接し、既に100万人の朝鮮人を受け入れているの中国にとって、これ以上雪崩れ込んだら大変なことになる、それが本音だろう。そうでなくても、チベットに象徴される民族問題は中国のアキレス健だ。

北朝鮮はやがて崩壊するだろう。しかし問題はその後だ。昨今のイラク、エジプトではないが、壊すだけ壊しておいて後は国民にお任せすると、余計混乱し対価は高く付くことになり兼ねない。昔の方が良かったという声を聞けば尚更だ。シリアが中々片付かないのも、そうした思惑が見え隠れする。

経済用語に「パレートの法則」がある。人間社会は誰がトップになろうが、80:20で人々はクラス分けされるという法則だ。例えば、フセインが居なくなり新たな指導者が生まれても、「20%の人が80%の民を支配するという形は変わらない」という法則だ。パレートにはもう一つ、「パレート最適」もある。「20%の人の満足を満たす為には、80%の人々を犠牲にすることが効率的だ」という原理である。所詮人間がやること、横の物を縦にすることになり兼ねない。それが分かっているから、中々次の一手が打てないのかも知れない。




Thursday, 18 April 2013

人口減少と日本の未来

2012年の日本の人口が発表され、昨年だけで28万人が減少したという。日本はこれからの20年で1000万人減少するというので、単純に考えれば毎年50万人づつ減る計算になる。50万人と言えば大変な数だ。金沢市や福山市が毎年1つずつ無くなっていくようなものである。それもまだ始まったばかり、ジェットコースターでいえば、やっと下りに差し掛かった所だ。
 
多くの人はこの減少を悲観しているが、私は全く反対だ。日本の人口は1億3000万人もいるので、1000万人減ってもまだ大国には変わりない。そもそもアメリカ、中国などの大国を除けば、世界の国の規模は数百万人が一般的だ。民主主義も、適度な数の方が旨く機能する。
 
そして、日本人の定義がこれからどんどん変わっていく。従来の純血主義から、「日本で生まれた人、日本語を話せる人が日本人」の時代になって行く。肌の色、親の祖国、オリジナル言語等様々な人が同居する国になる。サッカーのラモスやドナルド・キーンさんのような人でも未だにお客さんだが、それも時間の問題だ。その証拠に、今の日本経済を支えているのは外国からの短期労働者である。統計には出てこないが、飲食・土木業などは典型だ。企業が海外進出する時代は終わり、21世紀は内なる国際化の時代である。こういった人達をちゃんと受け入れ進化する・・・そう思うと日本の未来は明るい。

 

Tuesday, 16 April 2013

北朝鮮の三年坂

北朝鮮については、連日のように報道され食傷気味になっている。いつロケットが打ち上げられるのか、大臣の失言ではないが、どうせやるなら早く打ち上げて欲しいという気にもなってくる。それにしても、挑発に乗らない日米韓の冷静な対応は評価できる。

昔テリー伊藤が、北朝鮮の童話を紹介していた。「三年坂」と言って、人は三年坂で転ぶと3年しか生きられないというものだった。しかしある時、老人がその坂で転び嘆いていた時に、子供がもう一回転べば6年生きられるよ、3回転べば9年・・・と言って元気を付けたという。たいして面白くはないが、素朴な話で朝鮮の国民性を良く表現していると思った。

北朝鮮問題で忘れてはならないのは、何といっても横田さん夫妻だ。高齢を押して、今日もめぐみさんが帰ってくるのを待っている。私は何か辛い時があると、いつもこの人達が頑張っているのを思い出す。三年坂ではないが、何回転べばいいのだろう。早く普通の国になって欲しい!


Saturday, 13 April 2013

綻びが出るインド

最近インドで性犯罪が多発している。英国人やスイス人の旅行者が被害にあったり、ニューデリーの女子学生が襲われ死亡した。インドは階級社会、それが故に社会の秩序は安定していると思っていた。しかし経済が豊かになるにつれ、次第に綻びが出て来たのだろうか?
 
インドには一度しか行ったことがない。プネだったが、想像を絶する貧富の格差に驚いた。衛生状態、居住環境など、下層の世界は40年前の東南アジアでも見なかった世界だ。片手の男、病気の女、トイレのない町の臭気、泥の歩道・・・、ニューデリー国際空港でも路上に家族が川の字になって寝ていた。かと思うと、会社には競馬馬が放牧されていたり、大学の施設も立派だ。税金を払っているのは、国民の3%しかいないというのも頷けた。
 
今週、取引先の人が急に会社に来なくなった。インドに長らく駐在していた人だったが、聞くと肝臓をやられたという。同じような話は、やはり駐在していた友人にもあった。肝炎になって、現地の病院で天井を見ながら、こんな処では死にたくないと思ったそうだ。インドは中国と並ぶ明日の大国だ。避けて通れないだけに、これからの若い人は大変だ。
 
 
 
 

Friday, 12 April 2013

闇を見つめて


朝日新聞の日曜版GLOBEは、各国のベストセラー本を紹介している。暫く前にピーター・ロビンソンの「Watching the Dark(闇を見つめて)」が出ていた。舞台がエストニアだったので、早速読んでみた。あらすじは、英国の検査官が殺害された事件の究明だ。犯人を探す内に、被害者の写真にエストニアの地ビール”A. le Coq”が写っていたところから、舞台はエストニアの首都タリンに移る。失踪した英国少女の事件の関連で、ドラックや違法労働のロシアマフィアが浮かび上がってくる。小説は兎も角、タリンが出てきてそこそこ楽しめた。

例えば、主人公の探偵が良く行くのは、St.Patrick'sという寂れたパブだった。旧市街の中心にあるが、いつも人気のない空間で気持ち悪い店だった。ここだけではないが、タリンのパブは変に奥が深いところが多い。小説を読んでいる内に、人身売買やマフィアの打ち合わせ場所に使われてるような気がしてきたエストニアの3割はまだロシア人だ。一見治安はいいが、黒スーツとシルバーの高級メルセデスで闊歩している、その筋と思われるロシア人を思い出した。

本では、ベラルーシから出稼ぎに来た男の証言が、究明の手掛かりになる。男は隣国のラトビア経由で入ってくる。エストニアとラトビアは共にEU国なので、勿論国境もない。ただそうした東欧、旧ソ連からの違法移民が多いため、抜き打ち検査がある。高速バスが突然覆面パトカーに止められ、警察官が乗り込んで来てビックリした経験もある。

また少女はヘンパーティー(Hen Party)で酔っていたところを拉致される。聞いたことがない言葉だったが、結婚前に女友達で騒ぐパーティーらしい。ロンドンから1万円程度で来れるので、週末のタリンはこうした若い英国人でごった返す。彼女もそんな一人だったのだ。ともあれ、時には毛色の違う世界も覗いてみるものだ。
 
 

道場の名言

定年を迎える人がいる。これから家で何をしようかと迷っている。毎日が日曜日、何でも出来るのはいいが、一日中家にいるとお奥さんに煙たがられる。買い物にも付いて行く人を濡れ落ち葉と呼ぶらしいが、そうはなりたくないものだ。

正月のTVだったか、久々に「料理の達人」に道場六三郎が登場していた。御年82歳、現役そのままの姿で包丁を握っていた。彼の元気の秘訣は、教養と教育だと言う。何かというと、「今日用(教養)があること、今日行く(教育)ところがあること」が大事だという。中々サラリーマンには真似出来ないが、いいこと言うなと思った。

奥さんがいる内はまだいい。知り合いのOさんは、暫く前に奥さんに先立たれ、以降すっかり家に籠ってしまった。ある時お会いしたら、「俺の家には大きな冷蔵庫がある」と豪語する。何のことかと聞くと、アパートの一階にセブンイレブンが入っていて、必要な時にエレベーターで一階まで下り、食糧を仕入れているらしかった。後は只管酒を飲み、殆ど外出しなくなった。今からでも定年後の準備をしないと・・・。


 

Tuesday, 9 April 2013

癒しのアイスクリーム

疲れた時の息抜き、人によって様々だ。タバコを吸う人、コーヒーを飲む人・・・私の場合はアイスクリームである。


3時ごろにちょっと席を離れ、行き付けのパーラーで食べるアイスクリームは最高だ。冷たさと甘さがリフレッシュさせてくれる。良く行くのはコールド・ストーンだ。脂肪が多そうだが、やはり高級感があって美味しい。マックのソフトクリームも良く愛用している。しかし何といっても、お気に入りはサーティーワンのロッキーロードだ。チョコレートとマッシュルーム、そしてナッツのバランスがとてもいい。もう40年になるか、有栖川公園にオープンして時以来、ファンになっている。

このことを他人に云うと、子供っぽい印象を持たれるので秘密にしている。往々にして、年相応の振る舞いをしないと違和感を持たれるからだ。暑い時のアイスクリームもいいが、オッフィス街で人目を憚りながら楽しんでいる。



サッチャーの訃報

夕方のニュースで、英国のマーガレット・サッチャー元首相が亡くなったと知った。享年87歳だった。
 
サッチャーの功績は2つあった。1つは1986年の証券市場の自由化(ビック・バン)だ。それまでシティーの代名詞はマーチャントバンクだった。オックスブリッジを出たジェントルマンが、血縁地縁で操るで金融の世界は本当に格好良かった。セビーロードのスーツに身を包み、電話一本で数億円を集める姿は、自転車に乗ってどぶ板をやっていた日本の銀行員からみると別世界だった。それが一瞬にしてアメリカの投資銀行の津波に消え去った、名を捨て実を取ったのがサッチャーだった。今のシティーは昔のオーラこそないが、相変わらず元気だ。先のロンドンオリンピックでもマラソンコースになるなど、進化している。
 
もう一つは、何と言っても1982年のフォークランド紛争だ。彼女はこの賭けに勝ち、その後の政治生命が繋がった。死者255名、負傷者777名、6隻の軍艦と34機の飛行機の犠牲を出しながら、先の2回の大戦を戦い貫いたジョンブル魂を見せた。国土を守るとは何か、それを忘れかけている日本人に尖閣、竹島の意味を教えてくれるのだった。彼女はニュートン、ネルソン、チャーチルと並び、国葬(State funeral)に伏されるという。

Sunday, 7 April 2013

退屈な日本舞踊

春の突風が吹き荒れる中、国立劇場に行った。知り合いのお孫さんが出るというので、切符が送られてきた。踊りは全く無縁の世界、勿論見るのは初めてだ。
 
驚いたのは観客の9割が女性、取り分け年配者が多い。皆さんいい着物を着てお洒落している。渋谷や新宿を歩いている人とは一味違う。午前11時から延々と、弁当を廊下で食べながら見ている。やはり暇な人でないと来れないのかも知れない。藤娘、雷船頭、連獅子・・と見ている内に、次第に眠くなってきた。お夏狂乱で子役が出てきたので、一応責務を果たし引き揚げた。最後まで退屈で、醤油を掛けない豆腐のような会だった。
 
それにしても国立劇場は立派だ。音響効果も良さそうだし、出来ればこういう所で小田和正やクラシックコンサートを聞いてみたくなった。そして脇役の三味線、太鼓、拍子木等の専門職の人々も珍しかった。心持ち品があり、叙勲の人間国宝ってこういう人達なんだと思った。ともあれ勉強になった一日であった。





Saturday, 6 April 2013

アルゴに見る中東の世界

天気も悪そうなので、映画「アルゴ」を見に行った。今年のアカデミー賞作品だけに、もっと早く行きたかった。

舞台は1979年のイラン、パーレビ政権末期の孤立したアメリカ大使館員の物語だ。クリントン政権になって、この秘密作戦が公表されたようだ。それまではカナダが表に立ち、CIAは陰に隠れていた。印象的だったのは、時のカナダ大使夫妻だった。米大使館員を自宅に匿い、一歩間違えば自分たちの命も危なかったのに、正にこれぞ外交官だった。この人達が居なかったら物語も無かった。
 
あれから33年が経った。国を追われたパーレビ国王は、転々としながら翌年に亡命のエジプトで死んだ。時のサダド大統領の庇護だったようだが、その彼も3年後に暗殺された。それを引き継いだムバラク大統領、彼も昨年のクーデターで追われた。
 
見ていて、1986年にマニラで起きた三井物産の若王子さん事件を思い出した。あの頃日本の大手会社には、アメリカのセキュリティー会社と称した誘拐、テロの請負人が売り込みに来ていた。彼らもひょっとしてCIAのOBだったのだろうか?アメリカとカナダの貸し借りなど、私には計り知れない凄い世界だ。一方でイスラム社会は何時まで経っても血なま臭い。まるで不可逆合金のように、時が経つと曲がった形が基に戻って行く特異性がある。映画を見ていて、改めて中東は全く別物の世界と思うのであった。

Friday, 5 April 2013

レ島の牡蠣

レ島のコニャックについて書いたつもりが、周辺の案内ばかりになってしまった。改めて、レ島について紹介してみたい。レ島はフランス中西部の大西洋岸に位置する島だ。夏のバカンスシーズンには多くの人が訪れる。南のコート・ダジュールと違って、至って庶民的な地域だ。そして牡蠣の産地でもある。人々は、安くて新鮮な牡蠣を求めてやってくる。

フランス人は牡蠣が大好きだ。エカイエ(L`ecailler)と呼ばれる牡蠣職人は、冬のパリの風物詩だ。その牡蠣が1970年代、病気で壊滅的な被害に遭った。これを助けたのが、宮城県や広島県の牡蠣業者だった。その恩返しにと、先の大震災の時、レ島近辺のフランスの牡蠣業者が、大打撃を受けた宮城の牡蠣業者を救ったと云う。両国の養殖方法はフランスが岩に張り付けるのに対し、日本は筏から吊るすので、全く別物らしい。同じ牡蠣といっても、やってみると中々大変なようだ。

牡蠣には「R月のルール」がある。元々腐り易いので、Rの付く寒い9月~4月が安全という意味だ。そう思っていたら、レ島の牡蠣は年中やっていた。それだけ新鮮ということなのだろう。昔訪れたが、17世紀の要塞を見物した後、掘立小屋みたいなところで食べた牡蠣は最高だった。

Thursday, 4 April 2013

レ島のコニャック

先日スーパーの成城石井に行ったら、何とレ島(Île de Ré)のコニャックがあった。こんな島にコニャック?とビックリした。レ島は、ボルドーの北に位置する島、牡蠣や塩田以外に然したる差物もないと思っていた。
 

改めて地図を見てみたら、コニャックの産地であるコニャック村は、島から車で70-80Km程の処であった。コニャック村は人口5千人の小さな村、近づくとキャラメルのいい香りがしてくる。村には、レミー・マルタン、ヘネシーなど6つの酒蔵があり、試飲させてくれる。

島の対岸には、ラ・ロッシェル(La Rochelle)の港町がある。第2次大戦中は、ドイツの潜水艦基地だった。映画インディー・ジョーンズの第一作「失われたアーク」の撮影でも使われたり、まだその面影を残している。更に遡れば、17世紀にはプロテスタントの牙城だったところから内戦の舞台になった。これを題材にしたのが小説「三銃士」、剣士ダルタニアンも、その町の防衛で活躍した。コニャックは別名「命の水」、仄かに口にするとロマンが蘇るのであった。







Tuesday, 2 April 2013

「4月の魚」の日

今日は新年度、アオキのスーツに身を包んだ男女が電車に乗っている。初々しさとぎこちなさ、夢に胸を膨らます若人を見ながら、若い頃の自分を思い出している人も多いのではないだろうか。

4月1日と云えば、エイプリルフールでもある。この起源は云わずと知れた4月の魚である。時は16世紀のフランス、当時4月1日だった年度初めが、王様の命で突然1月1日に代わった。慣習の残る人々は、暫くの間4月1日に年賀を贈り合った。当時のお祝い品は魚、ところが時間が経つにつれそれも形骸化し、最後は箱だけになった。このことから箱の開けても中身は空っぽ、「あらマー!」と、人々は騙されたと思ったところからこの言い伝えた始まったと言われている。フランスで、この日を「4月の魚(Poisson d'Avril)」と呼んでいるのはそのためだ。

最近TVを見ていたら、未だに「ドッキリカメラ」をやっていた。どぎついし、芸能人の仕事とは云え、人の気持ちを傷付けるので不快だ。人を驚かすのはユーモアの範囲だ。「人の不幸は蜜の味」などと思っている内は、幸せになれない。