中島飛行機は、ゼロ戦など多くの飛行機を作った民間航空機メーカーだ。戦後の財閥解体でその姿を消したが、小泉町の小泉製作所は、海軍の97式艦攻、ゼロ戦、銀河、月光などを送り出した大工場だった。今は電機メーカーの敷地になっているが、当時工員が完成した飛行機を手押するのが目撃されている。
当時の歴史を紐解いている内に、1945年2月25日に工場がB29の爆撃を受けたことが分かった。死者21名と、当時夜間戦闘機として生産された「月光」が大きな被害を受けた。2月25日と云えば、正に硫黄島に米軍が上陸して1週間が経った頃だ。血みどろの戦いが南方の島で始まった時に、群馬の奥地まで敵機が飛んできたことになる。辺鄙な場所は、海軍の機密を守る上で、格好の場所だったのだろう。今は亡き廃線の跡が、それを物語っているようで感慨深いものがあった。
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