Sunday, 3 February 2013

呉の大和と雨後の月

金曜日に広島に行った。小さい時に1年住んでいた懐かしい町だ。長年行かなかったが、この1ヵ月で2回も来た。これも何かのご縁なのだろうか。仕事も早く終わり、雨の中、駅前の居酒屋に入る。夕方の5時前だというのに、既に何人かが飲み始めている。TVの吉田類ではないが、地元の常連が集まる場所、何かいい雰囲気を感じる。

魚の子、さよりさし、ハゲ煮つけ・・・など聞き慣れない品書きが並んでいる。取り敢えず、瀬戸内の平目さしを頼み、呉の銘酒「雨後の月」の冷酒から始める。いい気持になっていると、TVのニュースが、「今日、呉のそごうが閉店になりました」という。呉は海軍の軍港として、最盛期は40万人を超える人が住んでいた町だった。戦後は、造船などが残ったため人口こそ半減に留まっているが、もはや当時の面影は乏しい。その追い討ちを掛けるようで、暗い気持ちになった。

先月来たときに、呉の大和ミュージアムに行って見た。正直、立派なハコモノ展示にがっかりした。戦艦大和は世界3大無用の長物として比喩されたが、その延長のようなセンスを感じたからだ。せめてもの慰めは、当時の技術だった。効率的生産がトヨタのカンバン方式に、主砲の旋回技術がホテル・ニューオータニの回転レストランに、探照灯の反射板が新エネの太陽灯に、水上機発射台のカタパルトも・・・等々、その後の高度成長に繋がった。戦争は空しいけれど我々はその上に生きている・・そしてこうして呉の酒を飲んでいる・・・、そう思う頃には酔いが廻っていた。外に出ると冷たい雨が心良いのだった。

1 comment:

バルクキャリアー said...

空母を実戦に使ったのは、日本が真珠湾攻撃した時。以来本格的な機動部隊を運用したのは世界で日本と米国だけですね。
鉄道斜陽と云われた時代、新幹線を造り世界中で高速鉄道が見直されるきっかけも我々の父の代の日本人が成し遂げました。
大和の生涯は大変残念でしたが、ものつくりにこだわる日本人の気持ちがこの艦から感じられます。