Monday, 31 October 2011

一枚の絵

旅をしていると、時々思いも掛けないものに出会うことがある。取り分け、過去の記憶と出会えば感激も一入だ。

子供の頃に百科事典で見た、コンスタブルの絵画「ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)」は夢のような風景だった。英国の深い森、そこから立派な男女が見上げた聳え立つような教会、その自然と芸術のコントラストに、いつの間にか一番好きな絵になっていた。

それから20年ほどして、ボーンマスからバーミンガムにレンタカーで向かう途中、偶然通り掛かったソールズベリーの町で本物の大聖堂に巡り合えた。時を経て、百科事典の写真そのものの風景に感動した想いがある。そして又10年、今度はNYのメトロポリタン美術館を訪れた時のことであった。駆け足で館内を観て廻っていると、偶然その絵画が目に入った。思っていたより小さかったが、旅が完結した気分になった。こんなことは滅多にないが、一枚の絵に因縁を感じた旅だった。

サマータイム考

今日からウィンタータイムが始まった。朝に弱い者としては、1時間寝坊できるので嬉しい。一般的には、あまりウィンタータイムとは云わず、サマータイムが終わったという。

このサマータイム、日本でも随分導入の是非があったらしいが、中々実現しない。個人的にはとてもいい制度だと思っている。夕方は1時間長くなるので、仕事が終わってからスポーツ出来たり、陽の明るいう内からお茶や飲み屋に繰り出せるのは、得した気分になるからだ。サマータイムが終わった秋は、逆に朝がゆっくり過ごせるし、夕方も時間を(夏時間と思うと)得した気分になる。つまり、自然と共存したウィンウィンの関係がある。ただいいことばかりでない。子供が時差で体調を崩したりすることもあると、ある人が言っていた。

以前から気になっているが、この議論を日本では経済効果と絡めている。導入するとCO2が何トン減るとか、企業への影響はどうかとか。”エコノミックアニマル”というのは、働き過ぎもあるが、判断の基準が何でも「お金」の国民性を指している。日本人はお金に極めて清潔なはずなのに、いつの間にか損得が尺度になってきたのはとても悲しいことだ。そろそろ普通の感覚で考えてもいいのではないだろうか

Friday, 28 October 2011

オーロラ

何日か前に、当地の南部でオーロラが観測された。オーロラは厳寒期に出るため、まだ雪も降らないこの時期としては珍しいという


オーロラはプラズマ粒子の衝突で起きるらしいが、詳しいことは勿論分からない。ただ真夜中に1-2時間程、それも明け方の3時頃までに出るらしい。毎日、天気図のような発生予想マップもあり、結構話題になっている。日本からは北極圏のオーロラツアーも出ているので、この機会に頑張って見てみたい気持ちはあるが、如何せん真夜中に起きている体力はないので諦めている。


そもそもオーロラと聞いて思い出すのは、映画「カサブランカ」のバー”オーロラ”である。パリで出会った2人が、サムの奏でるピアノで、あの有名な”時の過ぎゆくままに”(As Time Goes By )を聴くシーンである。最近では、「オーロラの彼方へ」(原題:Frequency)もあった。オーロラが出ると、遥か昔に亡くなった消防士の父親を思い出す、という息子の物語である。いつぞや飛行機の中で見て、胸が熱くなった記憶がある。オーロラは神秘な現象だけに、ロマンチックな追憶に繋がるらしい。

Thursday, 27 October 2011

ロシア版の大奥

日本から来た人が最近の話題書「大奥騒乱」を置いて行った。江戸大奥の確執を描いた時代劇だった。当地のカドリオルグ公園にもそれに似た逸話があった。ただこちらは世継ぎではなく女帝の話である。

当地のカドリオルグ公園は、1700年代初頭、ロシアのピョートル大帝が奥さんの為に作った公園である。ピョートル大帝はロシアが西洋進出した原点で、この人が居なかったらその後のソ連も無かったと云われている。その意味で歴史的に大きな役割を果たした。

一方奥さんの名前はエカチェリーナ(ロシア語をエストニア語読みするとカドリオルグ)1世という。実はこの女性、元々は現ラトビアのアルクスネ(Alūksne)という村に住んでいた農民の娘であった。さぞかし美しかったのであろう、ロシアがスウェーデンと戦った大北方戦争の際に、その村を通りかかった司令官が17歳の彼女を国に連れ帰った。そしてその娘を見染めたのがピョートル大帝で、司令官は娘を大帝に献上、大帝は極秘裏に結婚した。大帝が死んだ後は、彼女が女帝になったというので、今で云えば玉の輿である。つくづく歴史はいい加減だと思う。女帝はカドリオルグ公園を一度も訪れることはなかったが、今となっては立派な観光名所として市民の憩いの場になっている。

Wednesday, 26 October 2011

エストニア美人

日本でエストニアのTV番組があったという。友人によるとエストニアは、美人の国でアルコールの消費量も多いと紹介されたらしい。正にその通りである。今回はその美人について紹介したい。

エストニアの女性は、多くが長いブロンズの髪を風に靡かせ、ライトブルーの瞳がとても魅力的である。長いまつ毛とやや垂れ目の輪郭は知的な印象を与える。女子テニス界NO1のボツニアッキはデンマーク人だが、彼女に似ている人が多い。背丈も日本人並みに小さいせいか親近感がある。同じ北欧美人でも、スウェーデンはかなり大柄だし、ラトビアになると厳つくなる。いつぞや「My Estonia」で紹介したアメリカ人のジャーナリストも、いみじくもこの国の宝は美しい女性であると絶賛していた。

ただ性格は極めて内向的で恥しがり屋、そして素朴である。このため話しかけてもノリはあまり良くないし、そもそも見知らぬ人を敬遠する傾向がある。若いカップルも人前でハグすることはあっても、キスする光景はあまり見ない。こうして遠くから絵でも見るように、毎日楽しんでいる。

Tuesday, 25 October 2011

「死ぬ前に」シリーズ

BBCの旅行書に、”死ぬ前に・・・”というタイトルのシリーズがある。些かショッキングだが、例えば「死ぬ前に見ておく忘れられない場所(Unforgettable Places to see before you die)」になっている。この他にも、”しておくこと”、”旅”、”散策”などのテーマがある。いずれも世界の都市、秘境などを紹介しており、旅の仕方も河下り、トレッキング、馬の旅など様々である。読者はこの本を読むと、とても死んでなんていられない気持ちになる、というのが味噌である。


先日も当地を訪れた人が、中世の街でオペラを楽しみ、地元のパブでビールを飲み、何とも落ち着いた気分になったと言っていた。このような体験が人に新たな息吹を吹き込む。本の意図もそういうところにある。

この本を寝る前に読むと、夢の中でタダで旅ができるメリットがある。

Monday, 24 October 2011

スポーツに沸く日曜日

この日曜日、TVを付けるとスキーをやっていた。もうウィンターシーズンが始まったいた。会場のソルデン(Sölden)ってどこかと思いきや、ドイツアルプスの反対側、オーストリアのチロル地方であった。積雪の状態も良さそうで、女子滑降でアメリカのリンゼー・ボンが優勝していた。

モスクワで披かれている女子テニスもあった。アメリカ、東京、北京と廻るサーキット、先週はモスクワのクレムリンカップである。決勝にはエストニアの星カイア・カネッピ(Kanepi)が残った。あわやと思い応援したが、惜しいところで競り負けた。小さな国なのでレストランで彼女を見たことがある。大柄でいかにもスポーツ選手の風格があった。

夕方パブに行くと、イギリス人が大挙してプレミアリーグを観戦していた。何もここまで来て自国のサッカーを観る必要もないと思うが、人気のマンチェスターユナイテッドらしい。後で聞くとマンチェスターシティーに1/6の歴史的大敗を記したとか。一方ドイツのブンデスリーガでは、ドルトムントの香川真司がゴールを上げ大勝した。隣り合わせた男がNZ出身だという。早速ラグビーワールドカップで、NZの優勝を祝し乾杯をする。地震もあったし、何より地元の優勝は盛り上がったようだ。

Sunday, 23 October 2011

リスト生誕200年

今年はフランツ・リスト生誕200年という。リストは作曲家であると共に、偉大なピアニストだったらしい。当地の記念公演でも超絶技巧練習曲とかいう難解な曲が披露された。ちんぷんかんぷんだったが、アンコールのカンパネラを聴いてホッとして帰ってきた。

ところでリストはハンガリー生まれのドイツ人である。その娘コジマはワーグナーと結婚し、その子孫が今日までバイロイト音楽祭を仕切っている。私はまだバイロイトに行ったことはないが、バイロイトのあるバイエルン地方は、ミュンヘン、ニュールンベルグなどの古都やドイツアルプス、国境を渡るとチェコのボヘミア地方、オーストリアのザルツブルグも近く、素晴らしい所である。

以前、たまたま成田空港で買ったBaigent&Leigh著”Secret Germany”という本に、このバイエルン地方の秘密が書いてあり面白かった。それはヒットラーを暗殺しようと企て、結局は失敗したスタッフェンベルグの精神土壌を解説したものだった。あの時期、あの状況で彼の勇気はどこから来たのか?本では地元のステファン・ジョージという詩人の影響と、彼の貴族としての血筋がまずあったと云う。そして何より山々に囲まれたバイエルン地方が、長年他国に影響されずにドイツ精神を醸造し、彼はそれを受け継いだという。バイエルン地方はビールのメッカ、ソーセージも美味しい。リストもその土地に守られながら今でも生きている。

Thursday, 20 October 2011

タイの幽霊(ピー)

バンコクのホテルに幽霊(タイ語でピー)が出る話は有名だが、ある時、同僚のM君が体験談を聞かせてくれた。ベットに入り寝入った頃、寒気がして目が覚めたという。足元から徐々に寒さが上がってきたかと思うと、何か壁を叩く音が聞こえる。部屋の電気を付けると、何事も無かったかのようになる。何かの思い過ごしかと電気を消してベットに入ると、また暫くすると寒さが襲ってきて音が聞こえる・・・・、結局その晩は電気を煌々と付けて過ごしたという。


その話を聞いて暫く経った頃、やはりバンコクのホテルに泊まった時のことである。受付で鍵をもらい、エレベーターから降りた階は人気のない不思議な静けさがあった。部屋は3部屋もあり、1人には広過ぎる。そして夜になった。電気を消してベットに入ると、暫くして隣の居間でカタ!と音がする。扉を開けたが勿論誰もいない。気のせいかと思ったが、また暫くすると音がする。今度は本当に気持ち悪くなり、受付に頼んで部屋を交換してもらった。


同じようなことは、フランス南部の田舎に泊まった時にもあった。古い屋敷の部屋に掛かっている鏡から、誰かに見られているような気がして怖かった。ピーの正体は、ビル建設で足を滑らし命を落とした人や宿泊者など様々らしい。霊を信じるかと聞かれれば、やはりいるような気がする。ただ今までの経験から、暖かい地域で出るように思う。

Wednesday, 19 October 2011

ヒルトンの777号室

随分前になるが、仕事でベルリンのヒルトンホテルに泊まった事があった。受付で部屋が777号室だと言われ、ラッキーナンバーだと思っていると、係りの人が「その部屋は昔ジャクリーヌが泊まった部屋です」と教えてくれた。あのケネディー大統領のジャクリーヌ夫人であった。その日は何か落ち着かなく、ベットに入ってからも目が冴えて眠れなかった記憶がある。


実は最近、ある国の片田舎に泊まったとき、家主に「あなたは日本人ですか?」と聞かれた。何かと思ったら、「日本のXさんという女優さんが、長らくここに泊まっていたのですよ。本当に娘のようでいい子でした」と教えてくれた。有名な女優さんで、不倫のスキャンダルもあったので、一時日本から離れて身を隠していたのかも知れないと思った。折角だからと、彼女の使っていたという部屋を提供され、やはり同じベットで寝ることになった。この時もまたいろいろな事が頭を過ぎって寝つきが悪くなった。


ただ良く考えると、ホテルは毎日入れ替わり誰かが使っている。女優の夢に浸っている内はまだいいが、良からぬことを知って不快になることも多そうだ。

Tuesday, 18 October 2011

世界の築地と温泉スキー

日本に行ったことがある人に会うと、皆素晴らしかったと口を揃えて云う。リップサービスではなく、本当に食べ物、人情、街並みを気に入って帰ってくる。つくづく日本人で良かったと思う瞬間である。

取り分け、ヨーロッパの人が好きなのは築地の魚市場である。きびきび働くせりの人達に驚き、獲りたての魚を現地の寿司屋で食べるのは最高らしい。ヨーロッパ便が成田に着くのは朝なので、常連さんになると、機内の朝食を我慢して築地に直行する人もいると聞く。東南アジアの日本レストランも、この築地から毎週空輸される魚を使っている。今や築地は世界の魚市場だ。


もう一つは温泉スキーである。日本の温泉はどこに行っても素晴らしい宿と料理があり、人を持成す女将や仲居さんの気配りは他国に類を見ない文化だ。加えてスキー、ゲレンデこそ小さいが、村には日本の良さが凝縮している。暫く前にテニス仲間と野沢温泉のスキーに行った時のことである。夕方になり、居酒屋の暖簾を潜ると多くの外人が屯っていた。話を聞くとオーストラリアからの一行だという。例の北海道はニセコで味を占めた人達が、日本の温泉スキーの良さを発見し長野まで来たと云う。滞在は2週間、節約しているせいか、少しの酒で何時間も粘っていた。この温泉とスキーの組合わせは、日本の専売特許と云っていい。

Monday, 17 October 2011

冬のナイトゴルフ

週末、天気もまずまずだったのでゴルフに出かけた。市内から30㎞、ブラっと行って、現地の中年夫妻と日本に息子が留学しているというシングルハンディーの4人でラウンドした。

相変わらずラフに入るとボールが中々見つからないが、時折持参のコニャックをご馳走になりながら、和気あいあい進んだ。ところが4時を過ぎた頃、次第に辺りは暗くなり始めてきた。同伴者たちは意に介することなくプレーを続け、不思議とボールを見つける。昔から青目と黒目は随分と光の捉え方が違うとは思っていたが、ここでも遺憾なくそれが証明された。

その内本当に真っ暗になって来た。ティーショットをすると、オレンジ色の火花が出る!昼だと分からないが結構迫力がある。そして今度はナイトボールと称する電光球、打つと5分間だけ点滅する特殊ボール、を使い始めた。1個10ユーロと高価だし、飛距離も通常より20ヤード短いらしいが、ナイトゴルフには欠かせないとの事だ。私はボール見失うと終わりなので、7番アイアンで刻む。かくして無事に終わり握手、夫妻は闇の中で熱いキスを交わすのであった。

Friday, 14 October 2011

大平さんの名スピーチ

こちらの人の結婚式は、教会で式を挙げた後、車のクラクションを鳴らし、参列者が街を走り回る。この辺はどこでも同じだが、変わっているのは、ゆかりの場所で参列者がシャンパンを空ける風習がある。例えばロシア国境のナルバの町ではソ連の記念碑とか、冬だとクロスカントリースキーのコースになっている橋の上とか・・・。


最近でこそなくなったが、若い時は良く結婚式に出たものだ。1日昼夜の掛け持ちもあった。数あるスピーチを聞いたが、中でも大平さんの話は印象的だった。若い人は知らないかもしれないが、昔「アーウー・・・」で有名な政治家、故大平正芳氏である。


それは、フランスの作家兼政治家アンドレ・マルローの話だった。ある時、マルローが記者から「もし何か1つと云われたら、貴方は何が欲しいですか?」と聞かれた。それに対して彼は、「自分は作家なのでペンが欲しい」と応えたという。そして「出来れば語り合う友が欲しい」、それから「寄り添う妻が欲しい」・・・とやって行くうちに、何のことはない今の自分そのものだったことに気が付いたという。大平さんは新郎新婦に、”幸せはどっかにあるのではなく、意外と足元にあるのですよ”と諭していたのを思い出す。

Thursday, 13 October 2011

パブと居酒屋

パブの居心地がいいのは、ビールも然ることながら適度な空間があるからだ。人と人の距離が微妙に保たれ、英国文化が凝縮している。トイレの張り紙一つとってもそうだ。日本的には「もう一歩前へ」と云うところを、「貴殿のアレにご協力をお願いします。近寄って下さい。貴殿のアレは思っているほど長くありません(Your aim will help, stand closer, it`s shorter than you think)」と婉曲的な表現になっている。私は英語が苦手だが、回りくどいがウィットのある言い方は、英国人が好むらしい。尤も女性トイレの場合は、「全ての用を足すまで席を離れないでください(Please remain seated for the entire performance)」とそうでもないらしいが。


そして何より、ここが男の溜まり場だということ。飲むにつれ血が騒ぐようなフレーズも多い。例えば英国ビールのスピットファイア(Spitfire)は戦時中の戦闘機の名前だが、ボトルには Bottle of Britainと書いてある。勿論これはBattle of Britanを捩ったジョークである。英国騎兵がサーベルで「前へ!(Forward!)」、ロンドンプライドで有名なフラー社のロゴは、「何するにもプライドを持て!(Whatever you do, take pride)」、ウィスキーのへイグ(Haig)もスコットランドの名将かと思いきや、ただこちらは創業者の名前だったり、兎に角アルコールが進むようになっている。


とはいえこの時期、本当のところは日本の居酒屋が恋しい。人と人の距離がない、温もりが欲しい。路地裏の小料理屋に入り、湯豆腐、熱燗でチビチビとやりたい。

Tuesday, 11 October 2011

床屋の話

外国で床屋に行くのは、最初かなりの勇気がいる。言葉の問題も然ることながら、当地のヘアスタイルがあるからだ。昔パリでやってもらった時、ボクシング選手のように刈り上げられ、大変な思いをしたことがあった。覚えたての仏語で、「あまり切るな」が「あまり残すな」に聞こえたようだ。

その反省もあって、最初はメモを用意して行ったが、始まると(メモとは関係なく)勝手にやっているので諦めて運を天に任せた。幸い終わってみると、日本の床屋とあまり差がなく、胸を撫で下ろした次第であった。ただロシア風というか、かなり短く切る。ここのスタイルで、多分冬に帽子を被るせいかも知れない。

当地の床屋は、美容室(Ilusalong)といって比較的小さな店が多い。男女兼用である。私の行く店は、殆ど看板らしきものもないので、外から見たのでは分かり難い。大柄でカザフスタンかウクライナ人らしきおばさんが1人でやっている。チョキチョキと20分ほどで終わり、10ユーロ(1,000円)である。

Monday, 10 October 2011

海風が運ぶ雨

やっとアパートに暖房が入った。秋の底冷えは予想以上に厳しく、深々と冷え込む部屋で震えていたところだった。雨も良く降る。9月から殆ど毎日のように降っている。強い海風が雨雲を運んできては、雨を落として去って行く。ちょっと降っては止み、また忘れた頃に降る。どんよりした日が続き、週に1回晴れればいい方だ。


ただ地元の人々は馴れた様子である。未だにジャンパーにTシャツ姿の人は多いし、雨もフードで軽く凌いでいる。湿度が低いので、仮に濡れても直ぐに乾いてしまうからだろう。ゴルフ場も、水で糠っている割には結構混んでいる。フェアウェーに落ちたショットでも水飛沫が上がるし、私から見ればゴルフ場全体がウォーターハザードだが、余り意に介してないようだ。


この日曜日は久々の秋晴れだった。逝く秋を惜しむようにテニスに繰り出したが、もう殆ど外でプレーする人はいない。相棒のA君が「この季節ボールが見難い」と言う。確かに、云われてみて気が付いたが、森の紅葉とボールの色が似ていて一瞬ボールを見失う。外で楽しめるのも、今月一杯のようだ。

Sunday, 9 October 2011

エリーナ・ガランチャのカルメン

この国にも小さなオペラハウスがあり、現在は「カルメン」を上演している。あまり期待していなかったが、観ると中々の出来だった。始まる前にスペインの古い写真を写しだし、観客が十分感情移入したところで幕を開けたり、舞台装置も良く出来ていた。観客も土地柄、ブラボーなどのエールもなく静かに浸っている。海賊似の闘牛士やブロンズの子供たち、エストニア訛りの仏語台詞・・・、地域色もあって面白かった。

「カルメン」は、スペインの闘牛場を舞台したジプシー女と、彼女に恋する兵士の物語である。どの曲も郷愁があって親しみが持てる。トレアドールは運動会の行進曲で使われたので、日本人なら誰でも知っている。ただジプシー女のカルメン役を演じるのは中々難しい。歌唱力は勿論だが、ハバネラの歌などドスの効いた凄みが必要だし、何といっても男を魅了する役柄だけにルックスが大事だ。




その点、暫く前に旅先のTVで観たエリーナ・ガランチャ(Elīna Garanča)は素晴らしかった。NYのメトロポリタン歌劇場のカルメンだったが、主役のエリーナ・ガランチャは、歌唱力、演技力、どれをとっても最高のプリマドンナではないかと思った。ひょっとしてマリア・カラス以来かも知れない。思わず旅を忘れて魅入ってしまったが、その彼女、隣国ラトビアの出身という。

Friday, 7 October 2011

金持ちでない人の話

金持ちでない普通の人の生活はどうなのだろう。エストニア人の平均給与は、2010年の場合822ユーロ(平均的な為替@140円で計算すると約11万円)であった。日本が確か30万円位なので、概ね3分の1である。この中で、一月の可処分所得は265ユーロ(4万円程)、内食費は69ユーロ(1万円弱)なので、1日当たり2.3ユーロ322円)で食べていることになる。仮に夫婦共稼ぎでも700円程度、これで大丈夫かと思うが、例えば牛肉200gが100円、主食のジャガイモが1キロ30円等、物価も安いので何とかやり繰りしている。

 ただ失業者、年金生活者、病人などの貧困層はそれなりに厳しい。乞食や物乞いは(寒さのせいもあって)あまり見ないが、10代の子供の16%が寝る時に空腹感を持ってベットに入るとか、冬に暖房が切れると凍死者も出る等の話は尽きない。ある人に聞くと1日1食の人はゴロゴロいるという。

一方、統計に出て来ない生活の支えも結構ある。例えばこの国の場合、アパートはソ連の払下げで家賃がないこと、林檎や野菜(先日のキノコ)は森に行けば取り放題、釣り、草刈りや狐の密漁アルバイトなど。ヨーロッパの人は、自分で飲むワインは修道院から安く仕込んだり、自宅で醸造したり、また動物、爬虫類、鳥等を販売用に飼育したり・・・、私から見れば田舎生活が徹底している。自然との共存を上手くやりながら生きている。

Thursday, 6 October 2011

金持ちの話

エストニアの長者番付が発表され、保有資産のトップ500人が紹介された。1位は大ショッピングセンターなど不動産開発のヒラー・テンダー氏(写真:Hillar Tender)で保有資産は383百万ユーロであった。2位は造船のフィヨドール・ベルマン氏(Fjodor Berman)で189百万ユーロである。

1ユーロ100円で換算すると、トップの資産は383億円、500位で3億円というので、日本人の感覚だとさしてビックリする金額ではない。ただ1991年の独立後、ゼロから始めてここまで来たことを思うと隔絶の感がある。1991年といえば日本ではバブルがそろそろ弾けた頃であった。それから20年、日本は長い坂道を下っている時に、地球の反対側の小国では金持ちが沢山生まれた訳だ。人口はたったの130万人、さいたま市と同じ規模である。

因みに、ベスト10の顔ぶれは、氏名で見る限りエストニア人が6人、ロシア人4人である。ただ実際はユダヤ人と思われる人が、エストニア系で2人、ロシア系で1人いる。職業は不動産の他、化学、木材、カジノなど様々である。私の友人で弁護士をやっているMさんも、クロアチアに置いているクルーザーに良く乗りに行くし、普通の人でも外国に不動産を所有している。実際の豊かさは数字以上のものがある、というのが実感だ。

Tuesday, 4 October 2011

WhiskyとWhiskey

読書の秋、夏のアイルランド旅行に刺激され、ジャック・ヒギンズに凝っている。今となっては、やや古臭い感じはいがめないが、そこそこに楽しめる。

殺し屋が一仕事終えた後で飲むウィスキーは、決まってブッシュミルズ(Bushmills)かジェイムソン(Jameson)、どちらも勿論アイリッシュウィスキーである。私もこの夏、北アイルランドにあるブッシュミルズの醸造所を訪れ、年代物を試飲する機会があった。水のようだが、暫くすると体が自然に温まる不思議な感覚だった。このアイリッシュウィスキー、いつぞや紹介した林景一氏(現英国大使)の本が面白い。スコッチウィスキーはWhisky、アイリッシュウィスキーはWhiskeyとeが入ることも、その本で知った。確かに良く見てみるとスペルが違う!

もう一つ、トディー(Toddy)と呼ばれるホットウィスキーがある。冬の尾行から戻った殺し屋が、ウィスキーにレモンと砂糖を入れ、お湯で割って飲む。山に登らずに本の世界で山を楽しむ人を”Armchair climber(安楽椅子登山家)”というが、冒険小説の場合は何と云うのだろう?

Monday, 3 October 2011

ギネスビール指数

世界の物価を比べる時に、良くハンバーガーの「マック指数」が使われる。私の経験だと、どこの都市でもあまり値段は変わらない気がする。その点ビール、特に世界どこでも置いてある「ギネスビール」は結構いい尺度になる。


当地のパブ”ダブリナー”では、ギネスビールを2杯頼むと3杯出て来るサービスがある。1杯当たりの価格にすると、何と2ユーロ(210円)になる計算だ。ダブリナー(何故か日本はダブリナーズと複数形になっている)は、新宿や渋谷にもあるが、ギネスビールはハッピーアワーでも800円である。通常は1000円なので4~5倍の格差になる。先日ギネスビールの本場、アイルランドのダブリンで飲んだ時は、4.7ユーロ(494円)、地元の割には高い印象だった。またスコットランドのグラスゴーでは3.5ポンド(420円)、因みにNYを調べてみると、大体6ドル(450円)であった。

勿論、場所、店やその時の為替レートも色々違うので、一概に比べることは出来ないが、如何なものでしょうか。

Sunday, 2 October 2011

日本の芸術家

カドリオルグ公園で開催されているタリン建築祭で、日本の建築家、近藤哲雄氏の「森の道(Path of the Forest)」が評判を呼んでいる。森の空間の歩道だが、週末は行列が出来るほどのスポットになっている。

同時に日本庭園も公開された。こちらはSono Masaoさんという庭園家の作で、完成は2015年という。見た感じ、広大な公園の一角の為か、花鳥風月の侘び寂びの世界とは無縁である。ただバルトで最初の日本庭園、将来には茶室も出来るとのことで楽しみだ。


カドリオルグ公園は、18世紀初めに西洋進出を図った時の皇帝ピョートル1世が、奥さんの為に作った宮殿の跡地である。この人が居なければ、その後のソ連もなかったと言われている。当時のノスタルジーを求めて訪れるロシア人観光客も多い。旧ロシアの地にあって、日本文化が頑張っている。