日も暮れたのでグラスゴーで泊まることにした。グラスゴーと云うと産業革命、紡績工場を想像していたが、今では寂れた都会に過ぎなかった。ホテルで「どこか良いパブはないか」と聞くと、"The Pot Still"がいいと言う。行くと大変な人だかり、どうやら地元セルティックFCのサッカーファンらしく、日本人だと分かると「Nakamuraがいたよ!」と話しかけてきた。サッカーは門外だが、あの中村俊輔はここでプレーしていたのかと知った。
セルティック(Celtic)の意味はケルト人、アイルランドからの移民も多く、従ってカソリック系である。そう云えば中村のユニホームも緑と白のアイルランドカラーだった。一方、同じグラスゴーにRangers FCというプロテスタント系のクラブもあり、因縁のライバルだそうだ。ケルト人といってもピンと来ないが、道路標識など今でも英語とケルト系のゲール語の併記がされている。田舎で人と話すと、何だか聞いたことがない言葉を耳にする、途中でゲール語かと気が付くことが良くあった。
グラスゴーの広場には、偉人の銅像が建っていた。誰かと思ったら、「蛍の光」や「故郷の空」のロバート・バーンズや蒸気機関車のジェームス・ワットなど、馴染みの人も多かった。
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