リエパヤはその後もソ連最大の軍港として存続し、1994年にソ連が引き揚げるまで冷戦で大きな役割を果たした。日本海海戦から100年以上経った今、そのリエパヤはどうなっているのだろうと行ってみた。そこには荒れ果てた軍施設と、廃墟かと思うアパートにひっそり暮らす人々、撤退時に破壊した海岸線の防衛施設の残骸等々、大国の成れの果てだけが残っていた。唯一変わらないのは、船を保護した理想的な内海であった。
忌まわしい過去と決別したい属国の気持ちもあるのか、案内所で聞いてもバルティック艦隊のことなど誰も知らない。ビールを飲んでいると若い男が話しかけてきた。父親が軍に居たが失職して移って来たというカザフスタン人だった。ここでも、まだカザフスタンよりマシなようだ。それにしてもあの時日本が負けていたら、今頃自分もロシアの属国で暮らしていたのだろうか?そんな想いを巡らせたのであった。