Friday, 17 June 2011

小国の悲劇

今週の火曜日(6/14)、思えば街には国旗が掲揚されていた。後で聞くと強制連行の記念日だったという。

第2次大戦が始まり、ソ連がバルト3国を占領してから暫く経ったある日、今から70年前の1941年6月14日、玄関先に突然兵士が現れ「直ぐに荷物を纏めるように!」と、1万人のエストニア人を連行、シベリアに送ったのであった。バルト3国だけでも4万5千人に上ったという。

悲劇はこの後も続いた。次にやってきたのはナチスドイツであった。ソ連からの解放を期待して、バルトの国々の人々はドイツの側に立ってソ連と闘った。ノルウェーなどもそうだった。しかし待っていたのは独立への抑え込みとユダヤ人の収容であった。そして終戦近くになって又ソ連が戻ってきた。当然ドイツ側に立って戦った戦犯を逮捕、その数はエストニアだけでも7万5千人に上った。そして40年以上に渡る支配が続いた。

バルト・東欧の諸国は、いずれもソ連とドイツといった2つの大国の狭間に翻弄された。愛する国のために死ぬのはいいが支配された国のために血を流す、それがこの100年続いた小国の歴史そのものだった。

冷戦下のシベリアを舞台にした小説に、Louis L`amour著「シベリアの弧狼(The last of the breed)」がある。米パイロットがシベリアに不時着陸し脱出する話だが、厳冬の荒野を彷徨っていると山の中でエストニア人の親子に出会う。何でこんなところに?今になってみればそれが良く分かる

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