ここタリン空港からは欧州各都市への便が出ているので、旅行するのには便利である。しかも日本の国内並みの料金と安い。最近は格安チケットが出ているが、それでもParis3万円、Stockholm1万円といった感じだ。そんなこともあり、この2月久しぶりに冬のパリを訪れた。パリは昔住んでいた懐かしい街である。趣は変わらないが、やたらにアラブ系が増え、物価が東京並みになってきたことが気になった。
ところで変わっていると言われるが、私のパリでの楽しみの一つに偉人の墓巡りがある。パリには、Pere-Lachaise, Montmartre, Montparnasseの3つの大きな墓地がある。中でもPere-Lachaiseは大きく、エディットピアフ、イブモンタン、コロー、ドラクロワ、バルザック、ショパン、そして永遠のマドンナ、マリアカラスなどが眠っている。いつぞやショパンの立派なお墓を見つけた。彼はワルシャワの西50KmのZelazowa Walaという村で生まれたポーランド人だが、1849年ここパリで39歳の若さで逝った。有名なジョルジュサンドとの恋に破れたことが原因だったのだろうか。私はその前年ポーランドを旅した際にこの生家に立ち寄ったこともあったので、感慨もひとしおだった。
今回はMontmartre墓地を訪ねた。ここにはハイネ、スタンダール、ベルリオーズなどが眠っていた。スタンダールはペンネーム、本名はMarie Henri Beyleなので、お墓には(後で調べたところによると)イタリア語で「アリッゴベイレ、生きた、愛した、書いた」と刻まれたいた。帰ってから何故イタリア語だったのかも知った。「赤と黒」も読み返してみた。主人公ジュリアンソレルの掴み所のない人間性に退屈感を覚えたが、彼の幼年時代の家庭環境と複雑なフランス社会を垣間見た気がした。スタンダールの墓の近くに最近作った日本人のお墓もあった。スタンダールより立派で、見ているうちに自分も欲しくなった。
墓地は気味悪いという人でも、パリ郊外のAubers-sur-Oiseの村にあるゴッホのお墓を訪れる人は多い。ゴッホの晩年の作、「医師ガシェの肖像」「オーヴェールの教会」「カラスのいる麦畑」など当時のままの風景が残っている。人々はひと通り絵と現実を重ね合わせた後、生涯支えた弟のテオと並んで眠るゴッホのお墓をお参りして帰る。
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