思い出したのは首相官邸である。こちらも安倍首相の頃に見せてもらったが、やはり二・二六事件の時の銃弾の穴や、絨毯を剥がすと野営した兵隊が焦がした床跡を現存していた。昼休みになったので、閣議を終えた安倍さんが地下通路と通ってひょっこり現れた。それはまるで昨日のようである。
その細川家の当主、護貞氏に嫁いだのは近衛文麿の次女温子(よしこ)であった。その流れで近衛文麿の住居だった荻窪の「荻外荘」も訪れた。近衛氏は太平洋戦争の頃、東条英機に代わるまで三期に渡って首相を務めた人である。しかし終戦後、戦争犯罪人としてGHQに出頭ずる朝、書斎で自決した。庭に面したその部屋は当時のまま残されていて、冷たい空気が漂っていた。
遺書は志那事変以降の戦争責任を痛感する一方で、友好としていたアメリカから裁かれる屈辱に耐えきれなかった無念を綴っていた。また昭和3年の軽井沢ゴルフ倶楽部の5番のパー3で、ホーインワンした時のカップなどもあった。スコアカードも残っていて、ホールインワンした後の7番パー5では10を叩いていた。その無念さが伝わって来るようで、特に以前雲場池近くにある軽井沢の別荘にも行ったので、ここから倶楽部に通ったのかとやけに身近な人になった。
どちらの旧跡は良く管理されていて、多くの裏方さんやファンの存在も感じた。