Wednesday, 23 April 2025

近衛文麿のホールインワン

先日縁あって、旧細川伯爵邸(今の和敬塾本館)と、隣接する博物館「永青文庫」を訪れた。大正から昭和にかけての面影が残っていてタイムスリップした感覚になった。特に旧細川邸では二・二六事件の影響で、賊から守るために窓に鉄格子や、避難用の通路や隠し部屋などが生々しかった。

思い出したのは首相官邸である。こちらも安倍首相の頃に見せてもらったが、やはり二・二六事件の時の銃弾の穴や、絨毯を剥がすと野営した兵隊が焦がした床跡を現存していた。昼休みになったので、閣議を終えた安倍さんが地下通路と通ってひょっこり現れた。それはまるで昨日のようである。

その細川家の当主、護貞氏に嫁いだのは近衛文麿の次女温子(よしこ)であった。その流れで近衛文麿の住居だった荻窪の「荻外荘」も訪れた。近衛氏は太平洋戦争の頃、東条英機に代わるまで三期に渡って首相を務めた人である。しかし終戦後、戦争犯罪人としてGHQに出頭ずる朝、書斎で自決した。庭に面したその部屋は当時のまま残されていて、冷たい空気が漂っていた。

遺書は志那事変以降の戦争責任を痛感する一方で、友好としていたアメリカから裁かれる屈辱に耐えきれなかった無念を綴っていた。また昭和3年の軽井沢ゴルフ倶楽部の5番のパー3で、ホーインワンした時のカップなどもあった。スコアカードも残っていて、ホールインワンした後の7番パー5では10を叩いていた。その無念さが伝わって来るようで、特に以前雲場池近くにある軽井沢の別荘にも行ったので、ここから倶楽部に通ったのかとやけに身近な人になった。

どちらの旧跡は良く管理されていて、多くの裏方さんやファンの存在も感じた。

Tuesday, 22 April 2025

赤沢氏の格下発言

トランプの関税を巡って、先日訪米した赤沢氏の言動にガッカリした人は多かったと思う。特にワシントンでの、「格下の私にトランプ大統領が会って下さった!」の会見には耳を疑った。忌み字句も彼は日本の全権大使、それがまるで餌を与えられた犬のように豹変してしまった。折から高関税を課されケンカを売られた矢先である。本来ならば毅然とすべき処、国民の一人として腹が立った。

赤沢氏の人選に、もっと適任者がいなかったのだろうか?何やら石破首相と同郷の縁とか、櫻井よしこさんは「チーム鳥取」と比喩していたが、改めてトップの度量も問われた。

今回の要求の中に非関税障壁が話題になっている。自動車の安全基準とか消費税などを指している。ただ私は兼ねがね、この非関税障壁こそが日本を守る要と思っている。その最たるものが日本語である。非効率に見えても長年の慣習にはその理由がある。そこは慎重にやるべきだ。

また日本の防衛費にも言及があった。「アメリカは日本を守っているのに、日本はアメリカを守らない」と言っている。とんでもない話である。何も日本が頼んで駐留して貰っている訳ではない。この際、「日本は核武装して自分で守るから、アメリカは出て行ってもらって構わない」位の気概が必要だ。

ただマスコミの報道を見る限り、今回の人選やその対応を好意的に受け取る向きもある。トランプを怒らせては更なる要求が降ってくるから、それを回避するにはこれで良かったと。確かにそれには一理あるし、そう思うと余計に不甲斐ないのである。

Thursday, 17 April 2025

サクラと香水

サクラの季節である。我が家には樹齢90年の桜の木がある。先代が戦前の夜店で買ってきた苗木が大きくなり、今では区の保護樹木にもなっている。最近でこそ老朽化が目立ち、幹が落ち始めているが、未だ何とか持っている。

その木の下で、随分前からご近所の方々と花見を楽しんでいる。場所とビールは提供するが、ご馳走は各々の奥さんが作って持って来てくれる。だから至って気楽な会で、お陰様でご近所とは長屋のような関係が出来ている。

その桜であるが、見ているだけで誰もが幸せな気分になる。夕方になると気温が下がって寒くなるので、一斗缶に枯れ枝を焚いて暖を取る。辺りが暗くなっても、酔いが廻って来ると時間が経つのも忘れて話が続く。これは本当に不思議な現象である。

この不思議は香りについても同じである。香水の魔力は女性の魅力を一層引き立てるのは勿論だが、最近は男性のオーデコロンもある。こちらは汗の香りがベースとか、だから汗臭い男も結構モテるのである。

「香水(Das Perfum)ある人殺しの物語」という小説があった。嗅覚に優れた男が、究極の香水を作る話である。彼は若い女性を殺し、そのシーツに染み込んだ体臭をろ過し、究極の香水を作ったのである。ただある時その殺人が発覚し死刑に処せられる事になった。処がその究極の香水をバラまくと、観衆は狂ったかのようなエクスタシーに満たされ、処刑を忘れてしまうのであった。

作者はドイツ人だが如何にもフランス的な作品である。フランス語でカエルという名前の男は、最後は陶酔から覚めた浮浪者に食べられてしまうオチも付いていた。

Sunday, 13 April 2025

パクリの太陽の塔

大阪万博が始まった。当初から前評判は芳しくなかったが、やはり盛り上がりは今一の感がする。個人的には、万博は既に役割を終えた気がしている。ネットの時代に加え、凄いスピードで時間が流れている。栄華盛衰も早いから、計画しても5年後には既に終わっている商品企画も多いはずだ。

ところで前回(1970年)の大阪万博では、岡本太郎の「太陽の塔」がシンボルになった。埴輪のような顔をして博覧会の象徴になった。ただこれは1881年のパリ万博のパクリだから、今でも恥ずかしい事この上ない。

当時のパリ万博ではそのシンボルに、ギュスターブ・エッフェルの鉄の塔と、ジュール・ブリーデによる石の塔が競い合った。最終的には今のエッフェル塔で決着したが、その対抗馬の名前が「太陽の塔」であった。

計画では高さ366mの石の塔の先端に反射鏡を設置し、そこに地上から送る光を反射させ、パリ市を煌々と照らす案だった。正に夜でも太陽が照らす処に由来した。その辺の裏話は、倉田保雄氏の本で知った。

岡本太郎の作品に、渋谷駅の「明日への神話」という大きな絵もある。原爆の悲惨さを描いたようだが、兼ねがね毎日の通勤通学途上で目に入り不快感を持っている。一説によると、余りに大き過ぎて引き取り手のない中、駅ビルへの貸与が決まったという。大阪の「太陽の塔」もそうだが芸術性はゼロ、その上何より気持ちが悪くなる。

Wednesday, 9 April 2025

和敬塾

暫く前に、石破首相が1年生議員に10万円を配った話が話題になった。旧安倍派の裏金問題であれだけ叩かれた後だっただけに、その政治感覚が疑われた。何より党内でその批判を繰り返してきた先鋒だっただけに、正に「ブルータス、お前もか!」であった。

「信なくば立たず」、政治は信頼があって初めて人は付いてくる。特に公人と言われる人は、その言動に気を付けなくてはならない。思い出したのは、当時文科次官だった前川喜平氏である。随分前だが、歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りし、社会的に大きな話題になった。

ご本人は「若い貧困女性の調査」とか訳の分からない事を言っていた。ただ教育行政を司るトップが、毎夜そんな処に通っていたと想像しただけでゾッとした。法的には問題なかったとはいえ、子供や青少年も含め、教育現場に与えた影響は計り知れなかった。

そんな事を思い出したきっかけは、ご縁あって訪れた文京区の和敬塾であった。実業家の前川喜作氏(喜平氏の祖父)が、細川家から譲り受けた敷地に作った寮である。今では400人ほどの学生が寄宿していた。行き交う学生は訪問者に必ず挨拶する、古き伝統は今でも守られていて気持ちよかった。

庭の真ん中に氏の銅像が建っていた。入塾は東大に入るより難しかったと言われる。その学生らを見下ろしながら、孫の汚名に嘸かし苦い思いをしたのではと、思いを馳せたのである。

Thursday, 3 April 2025

JFK暗殺と第三の銃弾

JFKが暗殺されて今年で62年が経つ。関連文書が全て公開されると話題になっている。何か新しい事実が出て来るのか?事件直後も証拠の隠滅が多かったようだし、正直余り期待できないが、興味は尽きない。

個人的には、JFKの事件現場になったダラス市のエルム・ストリートを訪れてから大きな関心を持っている。オズワルドが撃ったとされる教科書倉庫など、周囲のビルは当時のまま保存されていて、大統領の頭が吹き飛ばされた地点には、白い×印が付けられていた。だから誰でも当時を検証できるのが、アメリカらしい計らいだった。

ただ狙撃のあった教科書ビルの6Fから現場を見ると、相当の距離で木も邪魔になる。それに連射のない単発式のライフルだったから、素人から見ても精度に疑問が残った。そこで現場に行った人なら誰しも思うのが、グラシー・ノールと称する小高い丘である。進行方向に向かって右側の至近距離で、実際「白煙を見た」という証言もあった場所である。

これに対しスティーブン・ハンターは、小説「第三の銃弾(The Third Bullet)」で別の見解を出していた。彼は犯人はもう一人いて、教科書倉庫の奥のダル・テックスビルから撃ったと推測した。オズワルドが一発目を外し、二発目で喉に当たった所謂「魔法の銃弾」を撃った。そして決定的になったのが第三の銃弾だった。銃弾の痕跡を残さない爆発型の特殊弾で、別のプロがそれで頭を吹き飛ばしたと・・・。

ワシントンのアーリントン墓地でも、JFKの一角は長蛇の列が続き、今でも人気が色褪せていないのが分かった。弟のロバートの墓も一緒にあった。

それにしても犯人は誰だったのだろうか?

Monday, 31 March 2025

メテオラの修道院

MLBが開幕した。今年も大谷選手の活躍に一喜一憂する毎日が始まった。ドジャースの勝敗で、日本中の人の気分が明るくなったり暗くなったりする。この人のオーラは凄いものがある。

ある人が「大谷選手は修行僧のようだ」と語っていた。野球に対する集中力は半端でなく、例えばパスタに塩だけ掛けて食べる食の管理や、観光とも全く無縁である。その徹底振りに改めて驚かされるが、彼は極めて自然にやっている。

処でその修行だが、昨年旅したギリシャを旅した時、やたらに修道院が多かったのを思い出した。ギリシャは東のイスラム国と西のキリスト教国に挟まれ、長年その不安定な地政から、逃れてきた人達が多かったからだ。

ギリシャの国土は起伏が激しいから、場所は人を寄せ付けない岩山が選ばれた。有名なのは北部のテッサリア平原のメテオラ(Meteora)である。今では世界遺産になってる、2000mを超える奇岩を繰り抜いて作った修道院群は圧巻である。正に俗世界から離れ、瞑想に耽るのには絶好の場所に思えた。

アトス半島で島ごと修道院の一角もある。私は行った事がないが、作家の立花隆氏が潜入体験し、その仮修行を「エーゲ、永遠回帰の海」という本にしていた。修行僧に邪念が湧かないように、(女性も乗せた)観光船は半島から距離を置いて運航するのが義務付けられているそうだ。

修行が厳しい分その反動も大きい。ギリシャの土産物屋に行くと、実物大の男根の形をした色とりどりのキーホルダーを売っていた。初めて見た時はビックリしたが、山から下りてきた僧侶の本能が爆発したのかも知れない。